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『心に美しい庭をつくりなさい。』 枡野俊明

2020.07.01 未分類   comments 0

心の庭づくりに託した「禅の教え」


ザーッとひたすら引用。

 できるかぎり、心を捉えている思いを捨てる。それが、「心の庭」をつくる際の前提です。座禅をするのが理想ですが、日常生活に座禅を取り入れているという人は、そうはいないと思います。
 それに代わるものとして、自分がもっとも心地よいことをするというのはいかがでしょうか。好きな音楽を聴く、気に入った画集を眺める、身体を動かす、アロマを焚く……。そのことをしていると、心が穏やかになったり、軽やかになったり、落ち着いてきたりする、ということが誰にでもあるはずです。
 そのとき、心を捉えているものから離れているのではありませんか?捨てているのです。しばらくそんな時間を持ったあと、静かに心に庭を思い浮かべてみましょう。この一連の流れが「心の庭」をつくるもっとも基本的なルール、決めごとです。

「心の庭」も簡素であるのが望ましいとはいえるかもしれません。簡素でいて、全体として調和がとれ、美しい庭が描けるということは、とらわれているものがなく、安定していて、しかも、しなやかな心が、そうした庭としてあらわれている、と考えられるからです。
 そんな心の有り様は禅が説く心と合致しています。もちろん、少なからず、余計なものを心に抱えながら生きているのが人ですから、時間がかかっても、確実にひとつずつそぎ落としていけばいいのです。

 仏教では欲や迷いを「煩悩」、あるいは「執着」といったりしますが、その世界からいかに距離を置くかが、現代人の課題ではないでしょうか。
 もちろん、ものが欲しい、情報を得たい、利便性を謳歌したい、ということがいけないというつもりはありません。人は時代性をもって生きているわけですから、それらすべてを断ちきったら、生活は成り立ちません。
 必要なのはまみれないということだと思います。言葉を換えれば、自分を律する心を持つことといってもいいかもしれません。
 「知足」という禅語があります。「足るを知る」ということですね。たとえば、ものに対しても、「もっと欲しい」ではなく、「もうこれで十分だ」という心が知足です。お釈迦様も欲望には際限がないとおっしゃっているように、「もっと欲しい」という思いは永遠の連鎖を続けます。

 誰にでも考えが行き詰まってしまうということがあります。(中略)
 突破口となるのは、考えることをいったんやめて、心地よさ、くつろぎの状態に心を置くことです。心がその状態にあると、それまで見えなかったものが見えてきます。気づかなかったことに気づくのです。新たな発見や気づきは発送の源泉です。つまり、心地よくなれば、心がくつろいだら、斬新な発想を生むための準備が整う、といっていいでしょう。

 現代人は総じて、心にいっぱい詰め込みすぎです。たとえば、それは、常識といわれるものであったり、固定観念、偏見というものであったり……。
 また、高度情報化にともなって、さまざまな情報も詰め込まれています。仕事の変化も、当然、関係していると思いますが、じつはそれらが、心を疲れさせ、硬直化させ、ゆとりを失わせている根本的な原因ではないか、とわたしは思っています。

「こんな思いを持っていてはいけない」「この思いをなんとか抑さえつけなくては……」と考えるから、かえって、そのことに心がとどまってしまう。わくままに、消えるままにして、放っておくのがいちばんです。

 処理にしても、即、ただちに、というのが枡野流です。届いたメールにはできるかぎりその場で返信メールを打ちます。いただいたお手紙の返事はさすがにその場でというわけにはいきませんが、その日の夜に時間があれば書いてしまいます。
 講演などのオファーをいただいた際も、その場でパソコンのスケジュールを見て、即答するのがわたしのなかでの原則です。
 また、庭づくりの現場でも即断がきわめて重要なのです。たとえば、大きな石を据えるというとき、クレーンで石を吊ったまま判断に迷っていたら、作業は大幅に停滞します。
 みなさんも、「心の庭』をつくるときに、「この石、いるかな、いや、やっぱりいらないかな……」などと迷わずに、即断を心がけるようにするといいと思います。「心の庭」で即断のトレーニングをするのです。
 「即断」「即処理」が習慣になっていると、多忙なスケジュールもこなせますし、疲れないのです。考えてみれば、そのときにやるべきことをやるだけですから、むずかしいことでもありません。
 習慣にする、癖をつけるということが大切です。まずは、メールの即処理あたりから始めてはいかがでしょう。実際にやってみることでしか、習慣にはなりませんし、癖もつきません。ちなみに“即処理”は禅的生き方そのものです。

 しかし、無駄な時間こそ貴重なのです。そのことに気づかなければいけません。無駄な時間といっても、ゴロゴロ寝転がってテレビを観ているような時間のことではありません。
 その時間を持つことによって、心地よくなる、心がリフレッシュする、前向きになる……。それが、わたしがいう無駄な時間です。

「玉、味がかざれば光らず」
 得意分野は自分が持っている玉です。やるべきことはそれにひたすら磨きをかけることでしょう。せっかく自分だけの才があるのに、他人の玉がきになって自分の玉を磨くことをしないなんて、もったいないことだと思いませんか?

 人は執着心を完全に消し去ることはできません。しかし、知足の心を持つこと、そうであろうと心がけることで、踏みとどまることができます。スパイラルに陥ることはないのです。

 ゴミがたまった心で描く「心の庭」には翳りがあります。心のゴミの点検と掃除を怠らないでください。いつも、翳りのない「心の庭」を描ける人であってください。

 ふるまい、所作の美しさは「丁寧」であることが原点だ、とわたしは思っています。丁寧におこなうことを心がけると、自然に所作はゆったりとして、落ち着いたものになります。そこに誰もが美しさを感じるのではないでしょうか。

言葉も美しさの要素です。綺麗な言葉を聞いていると、こちらの心まで清々しくなります。

 ふるまいを整えると、言葉も整ってくる。ふるまいも、言葉も整うと、自然に心も整ったものになる。この三つにはそうした関係があるのです。美しさも同じです。ふるまいを美しくすると、言葉も美しくなる。ふるまい、言葉が美しいと、心も美しいものになるのです。


(2018.10.30)
日頃から心がけ続けている事ばかりなのですが。
出来てないです、残念ながら。
即断っていうのが中でも私の不得意中の不得意。
保留・先送りが多すぎるという自覚は非常にある。
心のゴミも相当溜まっているし。
それにしても。「庭」って言葉が好きだな、私。
もちろん「庭」そのものも好きだけれど。
概念としての「庭」が好きなのだと思う。
「作る」ことがそもそも好きで。
その中でも「庭をつくる」というのは特別。
当ブログも私の「庭」なわけですが。
近頃、手入れが行き届いていなぁと反省。

『ちひろの花ことば』

2020.06.10 未分類   comments 0
 講談社文庫
 Amazon

大好きってわけではないのだけれど・・・

優しく平和な世界を描き続けたいわさきちひろが、とりわけ愛した花のある情景。「花の中の瞳がささやく」と、語ったちひろの描いた1000の花からは、1000のことばが聞こえます。未公開の作品や写真も紹介しつつ、ちひろの花のある暮らしや、色、構図などを手がかりに、花に託したメッセージを読みといていきます。

アマゾンから紹介文をお借りしました。

これといって、感想はないのですよね・・・
好きでも嫌いでもないんです、いわさきちひろ。

あの無表情な子供の顔がちょっと怖い。
顔色の肌色があまり好きになれない。

水彩の優しさ、透明感は好き。
線もきれいだ。

とか何とか言いながら。
「いわさきちひろ展」も行ったりしている。

やはり。
優しく平和、っていう風には感じなかった。

何より印象に残ったのは。
すごく、絵が上手い人なんだなってこと。

子供以外の絵が案外私は好きだった。
子供を描かせたら天下一品、って思われているけれど。

そうかなぁ。
私はあまり、ちひろの描く子供が好きじゃない。

可愛いって。昔から思ったことがない。
なんかみな、ちょっと難しい子供に見える。

意志が強い、意地っ張りな感じ。
そして、妙に淋しい。哀しい。

ある意味、大人になってからの方がわかる。
そういう、少し面倒くさい可愛さだ。

でも。やっぱり。心惹かれるな。
というよりも、余韻が残るな。

可愛い、綺麗、っていう。そういうんじゃない。

小さい本だからなぁ。
色や線の魅力が十分伝わってくるとは言い難い。

うん、うん。いわさきちひろだなぁ・・・って。
好き嫌いを超えて妙に説得力はある。

ひとつの真似できない独自の世界を持った人。

(2019年6月 読了)
本当に。不思議なくらい。
一度も彼女の描く子供を可愛いと思ったことがない。
なんでだろうな。

『ライカでショット! 私が歩んだ道と時代』笹本恒子

2020.05.04 未分類   comments 0
 新潮文庫
 Amazon


売り方も時代で変わる

なんだかなぁ・・・
102歳のカメラマンとしてテレビで取り上げられてましたね。
でも。ずーっとカメラをやってらしたわけじゃないんですね。

この本、副題が「私が歩んだ道と時代」となってますが。
以前は、「お嬢さんカメラマンの昭和のスナップ」でした。

まず。ほんとに。お嬢さん、なのですね・・・著者が。
それが悪いというつもりはありません。

ご自身が恵まれていたとはお認めにならないですが。
時代を考えると、かなり恵まれていたと思います。
でも。だからこそできたことがあるわけですし。

女性の地位の低かった時代に、それに負けず。
お嬢さんの強みを生かして活躍されたなぁと。

「こんな憂鬱な時代だからこそ、目新しいことをしてはどうだろう」
そういう発想が生まれて、行動できるのは素晴らしいことだ。

心が強くて(体も)、心のきれいな人だな。
濁りがなくて。

思ったより、感銘は受けなかったけれど。
正直さと、行動力とに感心しました。

あと。センスのある人だったんだということ。
カット描き、文章、アクセサリー、服飾。
何をやってもそこそこ出来ちゃった人なんですね。

彼女の、以下の持論には大賛成。

「衣装は着る人によって生かされる。着こなしが悪ければ価値は減退し、古い服も上手に着れば新鮮な魅力が生まれる」


(2019. 11.22 読了)
たぶん。自分と違いすぎて共感できないのだと思う。
憧れるにもタイプが違いすぎるんだな。
少し、羨ましい気持ちにはなりますが。
育ちが影響している部分がかなりあると感じる。
いい意味で、「お嬢さんならでは」だなぁ、と。
たぶんね。ちょっと嫉しいんですね・・・
もっと心の広い人になりたい。

『渦』ジョージ・ロバート・ギッシング

2020.04.15 未分類   comments 0
4336027331 国書刊行会
Amazon

哀しくも滑稽な・・・

正直、内容をはっきり覚えていない。

18世紀末、イギリス。
女性が家庭から社会へ出て行こうとし始めた。
その頃の女性像が描かれた長編小説。

シリーズ「ヒロインの時代」として刊行された中の一冊。
他には、
ハーディの『日陰者ジュード』
ゴールズワージーの『財産家』など。

私、なんか好きなのですよ。
この時代のイギリスの小説。
人物描写の妙にしつこい感じが。

読んでいて一番感じるのは。
苛立たしさかもしれません。

なんて愚かな。
なんて浅はかな。
なんて自己中心的な。
なんて視野の狭い。

特に描かれている女性に対して、その想いが強い。
でもそれは、彼女のせいばかりでもない。

シリーズ名は「ヒロインの時代」だけれど。
「ヒロインの時代前夜」の方が正しくて。

ヒロインにはなり得ない人生を生きている女性たち。
共感もできなくて、内心蔑んでしまいそうになる。

しかし、気配はある。
これからは時代が変わっていくのだ、と。

男のエゴと女のエゴの違いも感じる。
それもいつかはあまり差がなくなってくるだろう。

人間性として普遍のものもあるけれど。
やはり時代に紐付けされたものもある。

繊細さと鈍感さ。
人間はどちらも過剰に持ち合わせていて。
妙な具合にそれが混じり合っている。

主題もストーリーも好きではない。
だけど、妙に心に馴染む読み心地。

(2018.6.8)
私が好きなイギリスの昔の小説の味わいは。
ごくごく簡単な一語で表すならば「ペシミズム」だろうか。
「厭世主義」「悲観主義」と訳すとちょっと違う感じで。
斜に構えて少し、面白がっている気配がある。
暗くて、皮肉っぽいけれど、ユーモアが漂う。
意地悪な目線で、一歩引いて世の中を眺めているような。

 

『絶望図書館』頭木弘樹

2019.08.20 未分類   comments 0
 ちくま文庫
 Amazon




タイトルに呼ばれて。

絶望しているわけではないのですが。
こういうタイトルでどんな本が並ぶのかと気になって。
私てっきり、内容は本の紹介だと思い込んでました。

違うんですね。
古今東西様々な短編のアンソロジーでした。

以下、アマゾンから内容説明の一部を拝借。
なんとも、小洒落てます。

絶望図書館 ご利用案内絶望図書館 ご利用案内

この図書館は、
「絶望的な物語」を集めてあるわけではありません。
「絶望から立ち直るための物語」を集めてあるわけでもありません。

絶望して、まだ当分、立ち直れそうもないとき、その長い「絶望の期間」をいかにして過ごすか?
そういうときに、ぜひふらりと館内に入ってきてみていただきたいのです。
ここには世界中からさまざまなジャンルの物語が集めてあります。
児童文学、SF、ミステリー、エッセイ、口承文学、現代文学、日本文学、海外文学、マンガ……。
古今東西から、これぞという作品を選りすぐってあります。
絶望的な話もあれば、笑える話もありますし、せつない話、とんでもない話、どきりとする話など、さまざまです。
しかし、どれもすべて、絶望した気持ちに寄りそってくれるものばかりです。
今の気持ちにぴったりな、心にしみる物語がきっと見つかるはず。

絶望したときの気持ちは、誰にもわかってもらえないもの。
でも、文学だけは、わかってくれることがあります。
また、今の自分だけがこの作品を本当に理解できると思えることがあるものです。
そういう物語との出会いは、
それで何か解決されるわけではないのですが、
しかしそれでも、命綱となることがあります。

こういう図書館が世の中にひとつくらいあってもいいのではないでしょうか。

私、昔は「絶望の名人」だったのですよ。
近年は「絶望下手」になってしまいました。

それだからかどうなのか。
本書に収められた短編からあまり「絶望」を感じませんでした。
「普通」じゃないか。別に「絶望」でもないよ、って。

うん。やっぱり。もう「絶望」できなくなっているんです。
「絶望」できるのはある意味、「強さ」なんですよ。

弱い人間が「絶望」するのではありません。
本当に弱い人間は「絶望」を回避します。

「絶望」というのは。
徹底的に、苦しみに立ち向かっている姿だと思います。
心がね。全力で苦しむことができる、それは才能です。

私は絶望から逃げて誤魔化せるようになってしまった・・・

でも。収められた作品はどれも面白かった。
李清俊の『虫の話』だけは。
これはもう「ザ・絶望」だと感じました。個人的に。
すごい作品だな。怖いくらい。

著者がこの本に入れられなかった幻の短編について書いており。
実はそれが最高の「絶望作品」かもしれない。
いや。待て。もはやそれはホラーではないのか。

「絶望」ってなんだろう。

文字どおり「希望を絶つ」あ、「絶たれる」か。
要するに希望を失うことなわけでしょうけれど。

その状態が永遠に続くのか、乗り越えられると思えるのか。
もしくは共存していけるかで、色合いは違ってくる。

私はね。
なんどもなんどもなんども、絶望したんですね。
幼い頃から、ありとあらゆること、ありとあらゆる場面、
そして、ありとあらゆる自分自身の側面や内面、に対して。

で。いわば。「絶望慣れ」してしまった。

絶望しても、その絶望から抜け出せることを知ってしまった。
いや。まぁ。もしかしたらずーっと絶望し続けていて。
それが普通すぎて麻痺してるだけなのかもしれないけれど。

絶望から逃げている、と先に書きましたが。
そこまで強く、絶望の存在を意識してもいないんだな。
目をそらしているというくらいが近いかもしれない。

絶望の気配を察知するレーダーが発達して。
あ。あの辺にあるぞ、来るぞ、と気づくと。
遮断カーテンだか、シャッターだかを下ろして。
しれーっと、やり過ごす。

いや。絶望はそんな風に「訪れる」ものでもないか。

良い方に捉えれば。
私は「絶望」するよりも、
コツコツと「小さな希望」を見つけ続けることに。
邁進できるように、なったのかもしれない。

皮肉にも。「絶望」の方が強い動力源になるみたいで。
「絶望」している時の私の方が「創造的」だったりするのだけれど。

だから。私は「絶望」が懐かしく。
「絶望」していた時の私の方が好きだったりして。
「絶望」がたまには帰ってきたらいいのになんて思ったりもする。

でも。たぶん。やっぱり。絶対に。
もう、絶望の海に沈むことはやめにしたいと考えているのだ。

「絶望」が私に与えたものはある。
私が懐かしんでいる、かつ惜しんでいるのはそれなのだ。
望んでいるのは、「絶望そのもの」の再来ではない。

あるいは。

私は穏やかに緩やかに静かに。
絶望し続けているのかもしれない、今も。

だから。求めずとも絶望は常に傍にあり。
拒まずとも絶望は敵対するものでもなく。
共存していける存在なのだろう。

本書の最後に引用されていた言葉で締めくくりましょう。

本には、
悲しんでいる人を
助ける気持ちなんか、
ちっともないとしても、
本を読んでいる間は、
ぼくは本にしっかり
すがりついていられる。

   フランツ・カフカ


(2019.3.8 読了)
  

プロフィール

Author:彩月氷香

とにかく本が好き
読書感想がメインですが
時々、写真や雑記も。

*初めましてのご挨拶
*ブログタイトルの由来

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