堀江氏が「逸脱する」ことを周囲の人は心配する。
要は、手段の為に過激な暴力を辞さない、ってことなんだが。
だが。たぶん、「力」を持っていたら、使いたいものではないか?
自分が「必要」と思った時には。
そして、その「必要な場面」に出会えば喜んで行使する、のでは?
第三者の見物人の立場でも、悪に対する制裁としての「暴力」になら、
いくらでも寛大になれてしまうものだ。正直、望みさえする。
私は、彼が振るう暴力を静かに見つめながら、そこに嫌悪がないことを
はっきりと自覚した。そうだな、私も、その力があれば、こいつの指の、
一本や二本、きっと、へし折ってやるだろうなと考えながら。
そこで、何故か、私の思考は飛躍して、唐突に昔の思い出が甦る。
高校の授業。まだ若い、教師。やや女っぽいほどに優しく喋る、色白の、
そう・・・確か、非常勤の講師。いつも小奇麗なスーツ姿だった。
まぁまぁ可愛らしい感じの顔立ちで、とにかく繊細な印象で、
小柄で、リスみたいな雰囲気で、女子に、そこそこ人気があった。
さて・・・。何の学科の担当だったっけ、思い出せない・・・社会?
その彼、ちょっと怪しいくらいに筋金入りのクリスチャンだった。
なので、左の頬を打たれたら右の頬を差し出せ、という、
例のトンデモない教えを、何かについちゃ、持ち出すのだった。
キリスト教に関しては、もう並々ならぬ因縁のある私は、
こいつ、本気か?怖いな~と思っていた。
まぁ、何だか、色々なキリスト教徒が存在するんであって、
その色々を見てきた私は、生意気に自分で彼らを幾つかに
分類していたのだが・・・彼はどこへあてはめていいかわからずにいた。
私が多くのキリスト教徒をどこへ片付けたかといえば、「偽善者」。
すみません、クリスチャンの方がいらしたら、お気を悪くされるでしょう。
何しろ、当時、若かった上に、私なりに悩むことが多かったので。
し、今でも断言しますが、絶対に許したくない人もいるので。
さて、ある日の彼の授業中、何故か、巨大なゴキブリが教室に出現。
しかも、飛んだ! 女子高で、どんな騒ぎになるか想像つくよね?
悲鳴が響き渡る教室を飛ぶゴキブリは、パタと、壁に止まった。
で、その教師がどうしたかと言えば!!!
なんと!!!
手でそ~っと、つかまえて、窓の外に逃がした!!!
えええ~。ゴキブリも、尊い魂だってか!?ありえねー。
その後、彼は、いままでの支持者を一気に失い、嫌われるように。
・・・思春期の女子なんて、そんなもんだよね。
私は、内心、見なおしたけどね。
博愛主義を恥ずかしげもなく説き続けるだけのことはあるな、と。
でも、やっぱり、非現実的で無意味な行為だと思ったけど。
いや~何で、こんなこと思い出したんだろ。相当、昔の話だよ。
今まで、一度も思い出したことないのに。不思議だな。
何だろう。個人の主義ってさ、突き詰めると常識を超えるんだよなって。
堀江氏の暴力を見て、ふと、その対極にあるものとして思い出したのかな。
比べるのも、わけわかんないけど・・・仕方ないじゃん、私の頭が、
そんななんだもん。
あ、そっか。「程度」の問題、について考えたかったのかも。
殺さないで、指を折るのなら、OKなのか。
猫を殺しちゃだめで、ゴキブリは殺していいのか。
うーん、やっぱり、比べるのが次元として間違ってるよね、一般的には。
でも、あの教師は、そうは思ってなかったんだよねぇ・・・
その「本気」が伝わってきたから、みな、それに生理的に反発して、
「気持ち悪い」って言ったんだろうな・・・。
駄目だ。何が言いたいんだか、わからん。
脱線にも程がある。
ここで、何とか、まとめようと努力をするならば。
この小説は、とても様々なことを私に思い出させる作品だった。
それは、ただ、通りすがりに主人公が話をしたホストですら、
妙に存在感があり、背景として語られる社会情勢の中の名もなき人にまで、
何故か感情移入させられる、著者の筆力の見事さの副産物かな、と。
で、「人」なんだよね。向かっている先が。
うん。善し悪し好き嫌いを越えて、当たり前なんだけど、
縁があったりなかったりな、人と人の関係。
様々な人が出てきて、まぁ皆さん割と、好き勝手に生きてらして、
それでもやはり全然生きてくのはラクじゃなくて、
だけど、その人なりの信念を貫いてれば、結果がどうでもアリなんだな、と。
個人の力で背負える責任なんて、たかが知れてるんだ、と。
まぁ、なんだか、いっぱい自分の過去の不幸の数々を思い出させられつつ、
不思議に爽快な読後感でありましたよ・・・。
いつにも増して、まったく個人的な長い感想で申し訳ありません。
それにしても、惜しい作家さんを亡くしたなぁ。
もっと長生きして欲しかった・・・