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父の死

病気一つしたことのない父が。
昨日、あっという間にこの世を去ってしまいました。

私が出勤して。
その後、母が買い物へ出かけて。
母は買い物から40分後に帰宅して。

その時にはトイレで倒れていました。
すでに心肺停止でした。

朝。いつも通りに朝食を一緒にとり。
自分の仕事と父が決めている掃除もして。
私の分もコーヒーを淹れてくれ。

何もかも。
いつもと同じ朝だったのに。

父がいない暮らしが想像できません。
母と二人きり。
どちらも弱い人間なのに。
そんな二人を支え続けてくれた父が消えてしまった。

どれほど。我慢づよく。
どれほど。優しく。
どれほど。愛情深い人だったろう。

何もしてあげられなかった。

75歳は、若すぎるとは言わないかもしれないけれど。
でも。やっぱり早すぎる。

いつかは、ということは全く考えないわけではなかった。
でも。まだ、先のことだと思っていた。

親をなくすことは。
誰にでもあることと覚悟はしていた。
でも。今ではなかった。

トイレで倒れたと言っても。
服もきちんと着て、床一つ汚すこともなく、
きれいにパタリと倒れていたという。

とにかく、病気と縁がなく。
どこかが痛いとかしんどいとか口にしたこともない人で。
誰よりも健康に見えていた人だったから。

皆がただただ、びっくりして。信じられなくて。

そんな中、親族の一人が思わずつぶやいた。
「あまりにも爽やかに逝ってしまった」と。

仕事中の私は、メールも電話もロッカーの中。
後になって開いた母からのショートメールには。

「お父さんが亡くなってしまいました」
「お父さんが亡くなってしまいました」

と。二回、短かい言葉が繰り返されていました。

長かった父の逝った一日、それよりも長かった翌日、
そして、父を送る明日。

私の心は半分くらいは平静で、
けれど一睡も出来ないほどには動転から冷めず、
気がつくと、こうつぶやき続けている。

「お父さんがいない、お父さんがいない、お父さんがいない」

もう会えないなんて。
そんなおかしなことってあるだろうか。

ごめんなさい。
ブログ、当分、お休みします。

落ち着いたら帰って参りますね。

良き年にしたいとの思いを強くして。

nengazyou2019.jpg

2019年、元旦。
あけましておめでとうございます。

自分の力でどうにかなるものでもないでしょうが。
それでも、他人任せではなく。
日々をより良くできるように過ごしていきたいです。

去年の前半(というよりもほぼ八割方)が悲惨だったので。
その反動で、些細なことがとても幸せに感じられます。
うん。これはチャンスですよね。

小さなことばかりだけれど。
それでも、自分にもできることはある、と。
不思議と希望を持てているという珍しい現状ですから。

その貴重なる前向きさを活かして。
自分の機嫌を上手に取りながら日々を送りたいです。

今年も、昨年と同じく。
「美術海」から背景画像を拝借し。
筆ペンにて、ざっと文字を書いて終わりの簡単年賀状です。

いつも何パターンか作りますが。
今年はさっぱりと一種類にしました。
来年からも、そうしようと思います。

力を抜けるところは抜かなきゃだめだと思うようになりました。

さて。さて。新年の一冊目、何を読みましょうか。
思えば。そんなこと、意識したことがありませんでした。
詩集とか、俳句集なんかが似合いそうな気もします。

今年は去年よりたくさん本が読める予感。
根拠はありませんけれど。うん。20冊くらいは多く読めそう。

あ。去年読んだ本の冊数ですか?
220冊です。まぁまぁですよね。
(とは言え、料理本も手芸本も雑誌も含まれてますが)

冊数の問題ではないと繰り返し繰り返し書きながら。
年に300冊以上読んだ過去の栄光が忘れ難い私。
しかも、当時は雑誌や手芸本や料理本はカウントしてませんからね。

ただ。よくよく考えてみれば。
その頃はすべての本の感想なんて書いてはいなかったわけで。
そう思えば。現在の読書の方が「頑張っている」のかも。

そもそも。読書は趣味であって、努力の対象ではないのですけれども。
去年の私に勝ったぞ!ってちょっと、テンションがあがりますものね。

量より質、といくら言ってみても。
まぁ「質」って目に見えにくいから。
ついつい「量」で評価してしまう。
評価はしなくても。目安になるものね。

読み応えのあるものをたくさん読みたいです。
そういう本を読める、時間と精神と体力と知力の余裕が欲しいです。

いや。それは。願い求めるものではなく。
自分で創るものなんだな。

「読む」ことだって、
「観る」ことだって、
「聴く」ことだって、
立派に「創造」なんだと思っています。

その気持ちを堂々と宣言できるような、
豊かな読書の年にしたいというのが今年の抱負(の一つ)。

映画もたくさん、観れるといいなー。

新年の初めくらい。
何でも好きなことが好きなだけ出来ちゃう予感に身を任せ、
ほわーっと幸せな気持ちでいよう、そうしよう。

そのお気楽さが気がつくと年末まで続いていた、なんていう。
そういう奇跡を夢見つつ・・・



そして、今年も風邪をひく

年末年始。
私は仕事が休みではありません。
ここ3年は大晦日も元旦も働いておりました。
あ。去年は元旦だけ休みだったっけ。

要するに。忙しい時期なのです。
なのに、か。だから、か。
普段はひかない風邪をひきます。

今年こそは、絶対ひかない!と気合をいれていたのに。
今年もしっかり、ひいてしまいました。

38℃以上の熱が出たため。
もしやインフルエンザではとおびえましたが。
幸い、普通の風邪だったようです。

あー。良かった。

あとは。毎年恒例のように感染していた、ノロウイルス。
あれはインフルエンザ以上の地獄を見ますから。
今年こそは、絶対にかからないぞー!
あ。今年は今日までだった。来年こそは、か。

インフルエンザやノロウイルスにしょっちゅうなるなんて。
体調管理がなってないと言われそうですが。
あれやこれやと人一倍、気を遣っているはずなので。
職場の環境が苛酷過ぎるのと。
そもそもの基礎体力の無さ過ぎが原因と思われます。

一番いいのは、転職することです。
まだ諦めてはいないのですが・・・転職活動は小休止中。

ここでは語りませんが。
今年は色々ございまして、長く感じた一年でした。
それでも、ブログを辞めずに続けられたのは幸い。

いちばん苦しかった時期に不思議と辞めようと思わなかった。
その代わり、頑張ろうという気持ちもありませんでした。
かと言って好きだからやっている、というのとも少し違って。

読んだ本の記録を残したいという単純な理由かな、今は。
それなら、本の題名と著者名だけでも良さそうなんですけれど。
やはり感想を書き残しておくと、後々読み返して楽しいんです。

本を紹介しようという気持ちは・・・弱まっています。ごめんなさい。
読んで感じたことをなるべく正直に書く、それだけです。

紹介というつもりであれば、良いと思った本だけにするでしょう。
自分が読んだ本すべての感想を書くという方針を捨てないのは、
たとえ、読んで損したと感じるような本であったとしても、
それを読んだという事実と、その本に対して感じた想いを大切にしよう、
それらを役立てようとまでは欲張らないけれど、
読むことに費やした時間と労力を少しでも生かしたい、
そういう、まぁ貧乏性的な考えからかもしれません。

それに。
面白くなかったり腹がたったりした本の感想って。
意外と面白かったりもしますしね(自分自身にとっても)。

本って読む側のコンディションでも感想は異なるし。
自分がどう感じたかっていうことがそんなに大事だろうか。
うん。大事なんですね。「自分」は「こう思った」ってところが。

だって。それがなかったら、本を読む意味がないですもの。
単に面白いものを読みたいっていう面もありますけれど。
どういうものが、どうして面白いと思ったかは明らかにしたい。

まぁねぇ。
そこのところを表現できるほど冴えた感想はなかなか書けませんが。
それでも、何も書かないよりはいい、そう思っています。

毎年毎年、来年は今年よりも良き読書生活をしたいと言いつつ。
さして代わり映えのしない、お気楽濫読で終えている気がします。
えー。それでも懲りずに決意しましょう。

今年よりは豊かな読書生活をするぞ!
(別に今年が貧しかったとか言うわけでもないですが)

で。毎年宣言しつつ、実現しない「自己啓発本の卒業」も。
いや。もう本当に。来年こそは!ですよ。

これは。買った本だけ読めば実現可能なわけで。
というのも、この類いの本を買うことはなく。
つまり、全て借りて読んでいるということで。
裏返せば。買ってまで読みたいものではないわけです。

身銭を切ってでも読みたい本だけ読めば。
読書の質は向上するかもしませんね。
何でも気軽に借りれちゃうというのも弊害があるのです。

そうですね。
スパッと。やめてみましょう。今度こそ。

図書館の予約本の中に、一冊だけ自己啓発本があったので。
それだけは読むことになるでしょうけれど。
それで終わりにします。

気分転換に軽く読めるという利点がありますが。
結局、心には響かない。
アイデアや考え方として参考になる部分もありますが。
つまみ食い的にしかなり得ない。

何より。
自己啓発本の著者って軒並み文章が下手!
もちろん、例外はありますが、ごくごく稀。

来年は、文章を味わって読む読書をしたいと思います。
ええと・・・半分くらいは。
読書の楽しみを「文章」に限定してしまうのは勿体ないしね。

では。来年、大好きな本にたくさん出会えることを祈りつつ。
いつも訪問下さっている方々に心より感謝しつつ。
今年より多くの本を読めることを願いつつ。

読書の感想を溜めずに。
読んだらすぐ書く習慣が身に付くことを切望しつつ。

もっと楽に。もっと楽しく。もっとのんびり。
力を抜きつつ、充実した日々を送れるような。
そんな一年にしたいという野望を抱きつつ。

来年に向けての準備に、今日一日励もうと思います。
では。来年(明日)またお会い致しましょう。

本年もどうぞよろしくお願いいたします。

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2018年、元旦。
明けましておめでとうございます。

私は久しぶりに自宅で元日を過ごしております。
去年も一昨年も早朝出勤だったので。
嬉しくて仕方ありません。

ま。明日から仕事ですけれど。
一日だけでも、お正月気分。

冒頭の写真は今年の年賀状。パターンは三種。
時間も気力もないので、なるべく簡単に済ませました。

和紙風の模様だけを全面に印刷して。
筆ペンで文字を書いただけ。

(余白には、ひと言メッセージを添えています)

書道を辞めて5年以上が過ぎましたが。
こんなに下手になるなんて哀し過ぎます・・・

のし紙はちょくちょく仕事で書きますが。
「御礼」「御祝」「志」ばかりですしね。

「御就職」「御昇進」も多いかな。
あと、「米寿」「喜寿」「お餞別」と「粗品」。
なにしろ「御」と「祝」の出現率が高いのです。

先日、「はなむけ」と言われて固まりました。
私、ひらがなは頗る苦手なんですよ。
(しかも、ひらがなの中でも苦手な字ばかり!)

とか言いつつ、漢字の楷書もボロボロで。
得意だった住所の宛名書きも(お見せできませんが)ヒドイ。

来年は大いばりで見せびらかせる年賀状が書けるよう、
今からコツコツ、稽古します。

過去記事に、幾つか以前の年賀状も公開していたので、
ご興味のある方はどうぞ。

2011年の年賀状⇨http://raffiner.blog70.fc2.com/blog-entry-718.html

2012年の年賀状⇨http://raffiner.blog70.fc2.com/blog-entry-1325.html

2010年と2009年の年賀状⇨http://raffiner.blog70.fc2.com/blog-entry-947.html

ま。振り返ってみると。昔から下手でした。
記憶の中で美化されてただけですね。

今年も消しゴムハンコを制作する予定でしたが。
全然、時間がないので諦めました。

背景の模様は、「美術海」から。
明治時代にシリーズもので刊行されていた図案集です。

過去記事がこちらにあります。

http://raffiner.blog70.fc2.com/blog-entry-2624.html

なんと無料ダウンロードできるんです!

あまり華やかな柄だと文字と喧嘩するかな、と。
かなり地味めなのを選んでしまいましたが。
元の図案も淡めの彩色なので、無駄な心配だったかも。

来年はもっと派手めをチョイスしよう!
(来年もこのパターンで行く・・・のね?)

さてさて。
今年は本を何冊読めるでしょうか。
去年が少なかったので、その分も読みたいと思います。

毎年言ってることですが。
冊数より、中身を気にするべきなんですけれども・・・

良き本に出会える一年となりますように。

心の副え木

s_09877777.jpg

ブログトップに広告が表示される前に復帰するつもりでしたが。
今朝、とうとう出現。もう一ヵ月が過ぎたのですね。
(注:この記事が投稿された時には消えています)

ブログの更新の途絶えていた間は病んでおりました。
体調も崩しましたが、同時に心も不調に陥り。
自覚できる範囲であるからには、治るはずですが。
伏せっているうちに、加速して悪化して行きました。

ある日、ぽきん、と心の折れる音がしました。
聞こえた気がするというのが正しいでしょう。
ポキンなのか、パキンなのか、バリッなのか、
言い表そうとして思い出せる音がある訳でもありません。

あ、折れた。
そう感じた瞬間があっただけです。
近頃「心が折れる」という表現を多く見聞きするようになったから、
たまたま、その言葉が浮かんできたのだろうとも思います。

言葉にしないほうが良かったのです。
「心が折れた」という言葉を思い浮かべてしまったために、
私はいっそう沈み込み、立ち上がる気力を失くしました。

仕事は二度と行けないかもしれないと考えましたが。
五日(合間に正規の休みも挟むので実質三日)欠勤した後、
どうにかこうにか、復帰しました。

収入が途絶えては困るという現実が勝つくらいですから。
心が折れたと言っても、たいしたことはないのです。
もしくは、「折れた」と本人が思いこんだだけなのです。

それでも。その後、多くのことが出来なくなりました。
仕事へ行く。帰宅する。それはかろうじて出来る。
余暇はただ、横になっている。本も読まない。読めない。
うつろな心は何もしたがらないけれど。それでは時間が過ぎない。

テレビを見る。つまらない。
でも。テレビを見続ける。非常につまらない。
スマートフォンでゲームをする。止まらない。
面白いわけではなくて。もう他に何もしたくないから続ける。
で。延々とゲームをやり続けました。

ちなみに。私は単純なパズルゲームしかしません。
やっている間、心は「無」です。
隠すことでもないので、ゲーム名を明かしますと。
「Threes!」という、ひたすら3を作るというゲームです。
あとは、Lumosityという脳トレ系のゲーム。

やりだしたら止まらないのがそもそもゲームでしょうが。
私はもともとゲームというものが不毛で嫌いなのです。
でも、もう何をやっても空しいのは同じなので、ゲームがいい。
いえ、そういうことを考えているわけではなく。
そもそも何も考えたくない、考えられないからゲームをするのです。

いつ終えたらいいのかもわからないし。
終わらせることもできないし。
目が痛くなっても続けて。腕も痺れてきて。
やっと、不毛な時間を積み重ねる自己嫌悪が生まれてきて。
しかし、その自己嫌悪も常に感じるものより身にしみない。

だからなのかどうか。
疲労と自己嫌悪ますますを募らせながら、まだ続ける。
ゲームをやり出して止まらないというのは、私にとってそういうこと。

綺麗好き、整頓好きで有名な私ですが。
こうなると流行りの汚部屋の住人へと、日に日に近づいていきます。
片づけることが一切出来ないのです。気力が湧かない。

もともと少ないとはいえない持ち物が狭い部屋に犇めいている状態で、
それでも、秩序とバランスを考えて配置しているから片付いているのです。
あっという間に、物の上に物、その上に物、そして、雪崩れる。

普通だったら。私はこういう時、本を読みます。
本が読めないとわかった時はショックでした。
読んでも意味が頭に入ってこないのです。
文章を脳が、そもそも目が文字を拒否する。
写真集やら画集など、目が楽しむものも開く気にもならない。

もちろんカメラも持ちませんし。
ブログを書くなんて、とんでもない。

一ヶ月ずっと、そうだったといわけではありません。
最後の方は、少しずつ本が読めるようになり。
ゲームをする頻度は減り(でも、気がついたらやっている)。
友人に宛ててメールを打てるようになり。
家事を少し、やり。部屋を片付け。美容院へ行き。

もっとも、美容院は気分転換ではなく、アルバイト。
モニターとして、接客や技術に関して匿名で偵察に行くのです。
そのレポートを書くのが非常に神経が疲れる仕事なのですが。
まぁ、それも気がついたら、無事に終えていました。

ブログは書こうと思えば書ける、という段階になったと自覚して。
それなのに、それからも日は流れて行きました。

ブログを辞めてしまう人は。
さぁ今日から辞めるぞ!というのではないでしょう(例外はあります)。
一度、休む。何か、休みたい理由があったり、なかったり。
たいていは、仕事かプライベートか健康問題で何か変化があるでしょうが。
必ずしも、そうとは限らない。ともかく、人間、休みたくなるのです。

当然、いつか再開するつもりではいる。
実際、間をあけて復帰する方もある。

けれど。長期間更新しなかった人は。たとえ一度戻ってきても。
「お久しぶりです」の後、またしばらくぽつりぽつりと更新して。
でも、ふっつりとまた途絶えて。
それを何度か繰り返すうちに、ふっと消えてしまう。

そういう人(ブログ)をたくさん見てきました。
私自身、そのようにして終えたブログがあります。

このブログもそうなるかもしれないな、と。
心が折れたと感じた後の日々に何度か思いました。
書くことも読むことも、もうしない・・・とは言わないけれど。
いつか、始めるとしても、この場所に帰ってはこないかもしれない、と。

それでも。挨拶をせずに辞めることはしない、と決めています。
このブログはやはり、私にとって特別なのです。
どんなに短くても、どんなに長過ぎても(こちらの可能性が大)、
読んでくれる人がいようといまいと、お別れの文章は書くつもりです。

今朝、この部屋(私は当ブログを「部屋」と呼びます)の一番上に。
スポンサー広告が表示されているのを見た時。
ああ、消したい、と思いました。

書き始めるまで、再開通知になるのか、終了報告になるのか、
まだ、はっきりとは心には決めていませんでした。

続けてみようという想いの底に。
何度かの短い延命の、スタートにしかならないかもという予感があって。
それは、できればしたくない。辞めるなら、すっぱり辞める。
続けるならば、毎日とは言わないけれど、コンスタントに続ける。

気まぐれでもいい・・・というのは、断固、なし。
それが出来る性分ではないことはわかっています。

さて。折れた心のその後の話。

私は恵まれているのですね。
数少ないですが、「心を折れた」ことを報告できる友人がおりました。
その友人が私の心に「副え木」をしてくれました。

実感としては。私の心はまだ折れています。
でも、繋がりかけているのだなと感じています。
折れた直後は誰がみても「ちょっとヤバイ」感じでしたけれども。
今は、ごくごく親しい人にしか、異変は見えないでしょう。

治りかけの時期が、一番、心は忙しくなります。

心の底力を試されている感覚があります。
ああ私はやっぱり、しぶといな、と妙にしみじみと感心したりもします。
乗り切ったとは言えないけれど、たぶん、やり過ごせます。

近頃は、自分が持っているもの、持っていないもの、を考える日々です。
失ってしまったもの、失いかけているもの、これから失うであろうもの。
持っているものは少ないと思いこみ、信じ込んでいましたが。
そうではないよ、と教えてくれる出来事や人との出会いもありました。

「自分で自分を救う」キャンペーン、を脳内で繰り広げていたような・・・
そんな、ここ数年であったと今振りかえって、ふと思います。

それは思いあがりでしたね。それは出来っこないことです。
だからと言って、他者や神様に救って貰おうというのではありません。
また、そのことに関しては長い話になりますから、もしも機会があれば。

ここまで書いてきて、やっと「締めくくり」が見えました。
このブログを続けることも。私の「心の副え木」になるのだ、と。
今日私が言えることは、言いたいことは、そのことだ、と。

最後まで読んで下さった方に心より感謝いたします。
  

プロフィール

Author:彩月氷香

とにかく本が好き
読書感想がメインですが
時々、写真や雑記も。

*初めましてのご挨拶
*ブログタイトルの由来

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  • 私のこと
2019年01月13日 (日)
父の死
2018年12月31日 (月)
そして、今年も風邪をひく
2017年04月28日 (金)
心の副え木
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