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今月のテーマが一応あります。

去年の読書感想が結構溜まっていたので。
月ごとに「テーマ」を決めるという遊びを思いつきました。
まるまる一ヶ月、あるテーマに沿った本ばかりを並べる、という。

で。今月は「ミステリ」。
読んだ本の中からミステリばかり集めてみました。
本当は。「海外ミステリ」の予定でした。
でも。足りなくて。国内ミステリも加えました。

もっと言うと。
国内ミステリ月間も作ろうとしたのですが。
そんなに国内ミステリは読んでいないことが判明。

ジャンル分けすると。一ヶ月分埋めるのは案外難しく。
「ペン字本月間」とか「手芸本月間」とか「雑誌月間」とか。
なんか読者さん離れを起こしそうな気がして断念しました。

つまりですね。
この「月間テーマ」は今月限りです。

しかも。選び抜いたミステリとかそういうんじゃありません。
去年、たまたま読んだものなので。なぜか上下巻ものが多い。

この企画を成功させるには。
何年分か、読書記録を溜めてからじゃないと無理ですね。
もしくは。昔の読書感想を引っ張り出すか。

英国文学月間
本棚紹介本月間
旅行記月間
美味しい食べ物紹介月間
哲学月間
家族愛月間
歴史文学月間

とか。考えてると楽しいのですが。
それほど、あるテーマばかりを読むことは最近なくて。
昔だったら、それこそ。

SF月間
日本文学月間
南米文学月間
児童文学月間
絵本月間
俳句月間
詩集月間
科学本月間

などなど、いくらでもやれたに違いないんですけれども。

あ。著者でもイケるかな?
でも。一人の作家で30冊となると案外難しいか。

考えてるとなんか楽しいな。
ま。やれないことを考えても仕方ないか。

と言うわけで。私のただの妄想でした。
うん。残念。本当はあと三ヶ月くらい、やるつもりだったの。
幻の企画になってしまいました・・・

祝う気持ちにはなれないままに。

当ブログも、9周年を迎えました。
私も、かなり老人に近づいてきました。

ご存知ない方のために補足しますと。
当ブログは管理人の誕生日にスタートしておりますゆえ。
今日は、誕生日が重なる日なのです。

先月に父が急逝して以来。
本はあまり読めていません。
読む気も起きないというより、読む時間がありません。
この時間不足は一過性のものではないと思います。

書きそびれている過去の読書の記録も。
ただの一冊分も書けてはいません。

どうなるんでしょうね。これから。
今のところ、それどころじゃないのが本当のところ。

その割には更新はせっせとしておりますが。
これは溜まりに溜まった過去の読書感想を放出してるだけ。

もっと小出しにすれば、寿命が延びるかもと思いつつ。
記事が切れた時が決断の時、というつもりでいます。

本は読み続けるのだろうか。
読むとしたら何を読むつもりだろうか。

今までの半分しか読めないとしたら。
読む本を絞るしかありません。
いずれはそうなるのだろうとも思います。

まだ。でも。何もかもが。
ひたすらに精一杯で。
頭の整理が追いついてきません。

今は。模索しながら。
新たな生活のペースを創っている最中です。

時間がかかりそうです。

予定は未定。
先の展望とか、希望もゼロ。

あ。別に暗い気持ちで言っているわけではありません。
そういう段階ではない、っていう事実を述べてるだけ。
投げやりなわけでもなく、それ以前に問題が山積みすぎるだけ。

片付けなければならぬ問題たちに。
うんざりしてるとか、気が重いとか、そういうのもありません。
妙にそこのところは冷静で落ち着いているのです。

やらなきゃいけないことは。順番にやるしかない。
やり続けていれば、いつか終わる。

それらが終わってみないと。
私は何かを考え始めることはできないのかもしれません。
終わった時には。一体、何が起こるんだろう。
私は、どこにいるんだろう。

それまでは。
それでも時々、本を読み。
もしも書けるようなら感想を書き。

それ以外にも。
ずっと、当然のようにやってきて。
今では手につかなくなった多くのことのうち。
再開できるものは再開し。辞めるものはすっぱり辞め。

そうだな。
大きな大きな片付けの期間なのかな。

このブログも「片付ける」対象になるのかどうかの決断は。
当分、先送りになりそうです。

キリが良いのが好きな私のことだから。
せっかくだから10周年は迎えたい、とか言い出すのかな。

わからないな。
何のイメージも。願望も。湧いては来ないな。

ただ。思えば。
読書が好きなだけできるって。
とてつもなく贅沢な暮らしでしたね。

いや。もっと読みたいっていつも思っていたけれど。
今となっては。どんだけ欲張るつもりなんだって話。

でも。失って哀しいとは全然思わないんです。
今まで出来ていて、今できなくなった全てのことを。
私が失って哀しいのは、父の存在だけなのです。

ほんとうに大切なものなんて。そうそうあるものじゃない。
今ある生活を失うこともそれほど大きいことには思えません。
というよりも。父が亡くなった時、生活はもう壊れたんです。

自分でも驚くくらい。
自分の時間と呼べるものがない生活を。
今、不満にも不自由にも思わず暮らしています。

いや。ほんの少しは「ある」。ちゃんと。自分の時間も。
それこそ。「隙間」に発生するだけだけれど。
なぜだろう。それで十分だと感じられる。
だから。不幸だとは思わない。

単純に。数値換算的に考えれば。
あらゆる面で「貧しく」なった私の生活を。
それでも。自分なりに「豊かに」していきたい。

それができる、と信じていられることが。
私を支えているのだと思います。

簡単に言えば「足るを知る」を促進中ということです。
そもそも父が「足るを知る」の達人のような人でした。
そのことを思い出すと。どんな時も心の波は鎮まるのです。

物や状況を改善することで豊かさを目指していない。
何もかもが客観的にはマイナスになったとしても。
私の心の中ではプラスにしていこう、していける、と。

行動が無意味なわけでもなく。
動いて変えていける部分もあると思いますが。
まずは。自分の心の持ち方から変えていこう、と。

まぁ。別に。そこのところを頑張ってもいないのですが。

長くなりました。
相変わらず、何を言ってるんだかわからない文章ですみません。
訪れてくださる皆様に心より感謝して、おしまいに致します。

以下、今までの「誕生日記念記事」のリンクです。
未読かつ、ご興味のある方、かつ暇のある方はどうぞ。


2011年(1周年)「ダブル・バースデー その2~ブログ一周年」
2012年(2周年)「そして月日は巡る」
2013年(3周年)「気づけば、ブログ3周年」 
2014年(4周年)「ぶつくさ言いながら、4周年」
2015年(5周年)「とうとう5周年。ありがとうございます。」
2016年(6周年)「あ。そういえば誕生日だった・・・」
2017年(7周年)「続けて行く決意。」
2018年(8周年)「まだ定かならぬ決意とともに。」

そして、ひと月が過ぎ。

父が突然この世を去ってから。

長くて。長くて。
なのに振り返ると短い。
妙に淡々と静かな日々を送っていました。

何日も何日も眠れず。
今も通常通りの睡眠は取れません。

それでも。
普通に仕事に行き。
普通に食べ、お風呂に入り、買い物へ行き。

というよりも。
そういう日常の最低限以外、何もしていないのか。

常に。精一杯な感じがする。
ある意味、切実に生きている感じがする。

テレビも二週間は見る気が起きなかったけれど。
今は、お気に入りの番組だけは観ます。

別に泣き暮らしているわけでもない。
物も喉を通らないとまではいかない。

まぁ、食欲はないのだけれど。
食べなきゃと頑張って、一応食べてはいる。

掃除も洗濯も買い物も怠らず。
それどころか、毎日毎日片付けをして。

そうだ。
時間がありさえすれば。片づけていたのだ。

ゴミ捨てが重要行事となるほどに。
どんどんとゴミが出て。
なのにまだ。毎日処分できるものを探している。

父の不在にいつまでも慣れない。
いいえ。少しは慣れてきて。
でもそれは。いつか帰ってくるような気がしているからで。

時々。突発的に。
もう父は二度と帰って来ないのだ、と。
今さらにも今さらな事実に打たれて衝撃を受け。

しつこくしつこく。その事実を反芻し。
なのに。噛んでも噛んでも消化しない。

自分に言い聞かせるように。
もうお父さんは帰って来ないんだよ。
絶対に帰って来ないんだよ、と。

繰り返し繰り返し。
言葉というよりは強い強い念を体内に響かせるがごとく。
気がつくと、いつまでもいつまでも唱え続けている。

本は一冊だけ読みました。貧乏性なもので。
図書館の返却期限までになんとか読んでしまおうと。
返す数日前になって、宿題のように読み始めた本。

深緑野分『ベルリンは晴れているか』

辛い読書だった。
今、読むべき本ではなかった。

あ。感想は。また。いつか。
ひとことで言うなら。
大切な人がどんどん死んでいく話。
生き残った自分の生の正当性を疑いつつ生きていく話。

あ。違うかな。そう読めてしまうんだね、今は。

戦争を生き残ることが過酷だった、というところが。
すごくすごくよく描けていると思ったの。
そして。私たちはその戦争を生き残った人々の子孫なんだ、って。

生きのこらなかった人の子孫もいるのだけれど。
ていうか、それは私もちょっと該当するのだけれど。
その話は、また、本の感想が書けるようになった時に。

さて。
眠れなさに拍車がかかるくらい悩んで。
大きな大きな決断(私にとっては)を下したのだけれど。
その実現への道のりを思うと、時が止まる。

父が帰らないことを思うときも、時は止まる。
何か懐かしすぎることを思い出しても、時は止まる。

いま私の時間は、頻繁に停止する。

ブログを再開することは。時を動かすだろうか。
でも。やっぱり。キーボードに向かうと時が止まる。

動作や思考が固まるというのとは。似ているようで違うのだ。
虚しさ、というのともまたちょっと違う。
うまく言えない。

時が停止すると。
自分の人生が少し縮んだように感じる。
正確に言うと。停止した時間から戻ってきた時、それを感知する。

崩れてはいかないのだ。
縮むというより、齧られたという風な。
違う、一部、塗り固めたような。
違う違う。

自分の中に。
通行止の道が一つ、増えたような。
死んだのではなくて。消えたのでもなくて。
そこへは辿り着けない、そんな場所が生まれたような。

私自身のなかに。
もう二度と訪れることのできない部屋があるような。

けれど。閉ざされた道が増えるほどにむしろ。
可能性は広がるのかもしれない。

だから。敢えて。加速させるように。
自ら、扉のあるところは二度と開かぬように閉じながら。
歩き回っているような、そんな気もする。

今日が父の月命日でした。

明日から。ブログ再開いたします。
溜め込んだ記事を吐き出すというのが正しいかも。
書いてから随分と日が過ぎているものばかり。

通常はそれでも手直ししながら公開するのですが。
その手間は省略することになりそうです。

週に一度くらい休みつつ、ほぼ毎日アップする予定。
となると5月で記事は在庫切れとなります。

今のところはいちおう。たぶんですが。
まだ書けていない2018年に読んだ本の感想は書くつもりでいます。

それでまた、二ヶ月ほど延命することになりますが。
それから先のことはわかりません。

ひとつ確かなことがあります。
今までのように、もう本は読まないでしょう。
いいえ。読めないでしょう。

だから。ブログを続けていくにしても。
今までのようにはいかないということだけは間違いありません。

どこかに「きちんと締めくくりたい」という気持ちが生まれかけ。
それに被さるように「でも続けよう」という反論の声があります。

現実上のある問題が決着するまでは。
答えは出ないのだろうと思っています。

長くなりましたが。
常連の訪問者さまへの感謝と、再開のご挨拶とさせて頂きます。

お礼とお詫びと思い出と未来。

先日の。父の訃報記事に。
お悔やみの言葉、ありがとうございます。

ほんとうは個別にお返事すべきなのですが。
ここで、お声かけてくださった皆様にお礼申し上げます。

経験した人ならば、ご存知かと思いますが。
世帯主を予測もなく突然に失った家庭は。
兎にも角にも、手続きが山のようにあります。

私の忌引きは5日しかなくて。
(それでもあるだけで有難い世の中とも思いますが)
その間に、通夜とお葬式と最低限の事務手続きをして。

仕事に復帰してからも。
暇さえあれば、電話、電話、電話。
夜も朝も、書類、書類、書類。

休日は市役所。
これがうまく一度で済まず、もう5回は行きました。

あとは。
父がしてくれていた家事と買い物。
母ができないわけではないのですが。
そして、もちろん、人並み以上にしてくれているのですが。

母は足が悪いので。
無理をさせてはいけないのです。
だから父がいつも車の運転をして母と買い物へ行っていました。

私。ペーパードライバーではないのですが。
車の運転はどちらかというと苦手。
そんなこと言ってられなくて。
ここ半月、今までになく車のハンドルを握りました。

まぁ。この歳でも。乗れば慣れるものですね。
狭過ぎてイヤと敬遠していた道や駐車場も平気になりました。

つくづくと。
父に。ずっと甘えていたんだな、私。

ホントは私が運転して、父を乗せてあげなきゃいけなかったのに。
母だけでなく、私もよく送ってくれたり向かえに来てくれて。

ゴミ捨てと、掃除機かけと、新聞を取りに行くのと。
あと、お風呂洗いもよく、やってくれていた。
書類が必要な手続きは皆、コツコツとしてくれていた。

洗濯物を干したり、取り込んだりも。
とにかく、家族のために何かすることを優先していた。
嫌な顔をしたことが一度もない。

母が今日は自分で歩いて買い物へ行く、と言うと。
じゃあ、迎えに行く、と。
時間をおいて、自転車か車で迎えに行っていた。

毎朝、必ず、コーヒーを私の分も淹れてくれた。
私が予定より早く出掛けるような日は。
「コーヒー今から淹れるけれど、飲む時間ある?」と確認してくれた。
私の外出に合わせて、早めにコーヒーを淹れてくれたりした。

私と母が出かけて父だけ留守番の日も時々あったけれど。
そんな時は、いつもレンジでチンするチャーハンを食べていた。
それが不満というのでもなくて。ニコニコと笑顔で。
「じゃあ、おとうさん、あれ食べとく」といつも言っていた。

一人で家でのんびりしてるのも好きだったと思う。
何かをしなきゃとか、何かをしたいとか、何かが欲しいとか。
自分を縛る義務や欲が、驚くほど無い人だった。

そこが、物足りないなぁって私は感じていた。
不思議だなぁ、理解できないなぁとも思っていた。

ただ。訃報を知らせた父の友人が言ってくださったように。
「いつも幸せそう」だった、のが父という人で。
何も特別なことがなくても、普通の毎日を幸せに過ごせる人だった。

競馬と数独が好きだった。テレビでのスポーツ観戦も。
煙草も好きで、少しずつ減らしてはいたけれど。
禁煙なんて、ただの一度もしたことがなかった。
コーヒーは毎日、必ず朝、自分で淹れて飲んだ。
その時、絶対、柿ピーを小皿に出して添えてつまんでいた。

新しいことは特に好きではなくて。
いつもと同じ、がいいという人だった。
決まったペース、決まった銘柄。
それも、とてもとても平凡なものが好きで。

焼酎は、いいちこ。
ビールは、キリンビール(のちにアサヒに変わる)。
煙草はマイルドセブン。
コーヒーも普通のブレンド。
柿ピーは、亀田のノーマルなやつ。

ささやかな人生を、ささやかに、楽しんで生きていた。
誰にでも好かれる・・・というよりも。
なぜか、オバちゃんに異様に親しまれる人だった。

とにかく、優しい人だった。

でも。短気だったんだ。
皆が「穏やかで優しい」と言い、それはまちがいないのだけれど。
すごくすごく、短気な人だったんだ。

私はそれを知っている。自分もそうだったから。
家族も、もちろん気づいてる。
よその人は想像したこともないと思うけれど。

なんだっけ。私、何を言いたかったんだっけ。
父の自慢? 父の思い出? 父を喪った悲しみ?

父がいなくなって生じる「忙しさ」を言おうとしていたんだ。
そして。それは。その忙しさの意味するものは。

父が今まで私に与えてくれていた時間を表すものなんだ、って。
父が。なんでもしていてくれたから。
私には、自由な時間があったんだ、たっぷり。

なのに。時間がない、時間が足りないって。
そんな、愚かな言葉を平気で発していた。

悔やんでも。悔やんでも。泣いても泣いても。
私が、父から贈られた時間のお礼をすることはできない。

お父さん、ありがとう。お父さん、ごめんなさい。

こんな長い記事を書いておいて。信憑性は薄いかもしれませんが。
まだまだ、私はブログを再開できる状態ではありません。
気持ちの面でも。時間の面でも。体力的にも。

というよりも。
ブログを辞めることも。また考え始めています。
今までも。何度も何度も。辞めかけては続けてきましたが。
今度が多分、一番本気で辞める気持ちに傾いています。

それでも。
書き溜めた感想がそこそこな分量あるので。
それは順次、投稿していこうと考えています。

それに。
今年はどのみち、そう多く本を読むことはなさそうですから。
もしかしたら、ポツリポツリと感想を書き始めるかもしれません。

辞めるとしても。
緩やかに。終わりに向かって歩いていく感じになるのでしょう。

私の性格上。結局は辞めない可能性はかなり高い気もします。
今は。どちらとも答えは出せません。出しません。

もっともっと大きな問題が控えているから。
それが。どう決着するかによるのだと思います。

では。またしばらく留守にします。
様子を見に来てくださっている方(いらっしゃるのかな?)、
ごめんなさい。そして、ありがとうございます。

父がいない生活を。生活として成り立たせるために。
私は今、精一杯、頑張っています。
頑張らなくていい、頑張りすぎ、と心配してくれる人もいるけれど。
やっぱり、私は頑張りたいのです。

母も頑張っている。頑張っていないと言いながら頑張っている。
力を抜かなきゃいけないけれど。
力を抜くことにも頑張ってしまっている。

それも。まだ仕方ない。
時間はかかります。当たり前だ。
だって。お父さんがいなくなっちゃったんだもの。
ずっとずっと、私たちを支え続けてくれた人が消えたんだもの。
父の不在を埋めることなんて絶対にできっこないんだもの。

そのことを自覚した上で、頑張るけど無理はせずに。
私がいちばん私らしく生きていける暮らしを。
これから造っていきたいと思っています。

父の死

病気一つしたことのない父が。
昨日、あっという間にこの世を去ってしまいました。

私が出勤して。
その後、母が買い物へ出かけて。
母は買い物から40分後に帰宅して。

その時にはトイレで倒れていました。
すでに心肺停止でした。

朝。いつも通りに朝食を一緒にとり。
自分の仕事と父が決めている掃除もして。
私の分もコーヒーを淹れてくれ。

何もかも。
いつもと同じ朝だったのに。

父がいない暮らしが想像できません。
母と二人きり。
どちらも弱い人間なのに。
そんな二人を支え続けてくれた父が消えてしまった。

どれほど。我慢づよく。
どれほど。優しく。
どれほど。愛情深い人だったろう。

何もしてあげられなかった。

75歳は、若すぎるとは言わないかもしれないけれど。
でも。やっぱり早すぎる。

いつかは、ということは全く考えないわけではなかった。
でも。まだ、先のことだと思っていた。

親をなくすことは。
誰にでもあることと覚悟はしていた。
でも。今ではなかった。

トイレで倒れたと言っても。
服もきちんと着て、床一つ汚すこともなく、
きれいにパタリと倒れていたという。

とにかく、病気と縁がなく。
どこかが痛いとかしんどいとか口にしたこともない人で。
誰よりも健康に見えていた人だったから。

皆がただただ、びっくりして。信じられなくて。

そんな中、親族の一人が思わずつぶやいた。
「あまりにも爽やかに逝ってしまった」と。

仕事中の私は、メールも電話もロッカーの中。
後になって開いた母からのショートメールには。

「お父さんが亡くなってしまいました」
「お父さんが亡くなってしまいました」

と。二回、短かい言葉が繰り返されていました。

長かった父の逝った一日、それよりも長かった翌日、
そして、父を送る明日。

私の心は半分くらいは平静で、
けれど一睡も出来ないほどには動転から冷めず、
気がつくと、こうつぶやき続けている。

「お父さんがいない、お父さんがいない、お父さんがいない」

もう会えないなんて。
そんなおかしなことってあるだろうか。

ごめんなさい。
ブログ、当分、お休みします。

落ち着いたら帰って参りますね。
  

プロフィール

Author:彩月氷香

とにかく本が好き
読書感想がメインですが
時々、写真や雑記も。

*初めましてのご挨拶
*ブログタイトルの由来

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