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重耳(下) 宮城谷 昌光

4062633256
講談社文庫
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重耳(ちょうじ)というのは、主人公の名前。
十九年に及ぶ亡命生活の後に晋の君主となり、
「春秋五覇」の一人となった人物(文公とも呼ばれます)。

「春秋五覇」というのは中国の春秋時代に、
周王朝に代わって天下の事を取り仕切った覇者5人のこと。

しかしですね。覇者になりそうもない人生なワケです。
血筋もそうだし、継承順から言ってもそうだし、
そもそも覇者になるべき人格が備わっているようでもない。

至って冴えない、どこか魯鈍な男として彼は登場します。
いえ。登場するまでが長い。物語の流れは悠然たるもの。

重耳の祖父・称に関するだけでも小説が完成しそうな勢い。
この称という人は、いかにも一国の主という風格の魅力ある男。
しかし、その息子(重耳の父)の代から国は荒れていく。

他国から嫁した女が、父と子の絆も断ち切ってしまう。
もともと兄弟は、助け合う存在ではなく、蹴落とし合う間柄。
重耳が覇者となることは、はなから明示されて物語は進むのに。
いつまで絶っても、彼は辺境を彷徨う亡国の公子である。

重耳自身より、彼を支え続けた家臣たちが主役にも思える。
名君というのは、優秀な家臣が作り上げるものなのかもしれない。

なんと言っても。ちょっとガッカリするくらいに平凡な男。
才気もないし、努力家というほどでもなく、志も高くない。
ただ・・・素直。大らか。気性に歪みがなく。不思議な安定感がある。

こういう人だからこそ、家臣は懸命に仕えたのだろう。

それにしても。人がよく死ぬ・・・国々の栄枯盛衰の中で。
一つの視点から観れば、それはただの時の流れ、歴史の移り変わりだが。
どうにも私は、代わる代わる滅びる者の運命に同調してうろたえる。

ああ。だから歴史を描いたものが苦手なのか。
生き延びた者より、破滅した者に心を寄せてしまうから。
覇者たる者が葬る人々、国と共に自らも滅せられるように感じるから。
それが幾度も繰り返される月日の流れに、くたびれてしまうから。

去る者の方が心に残るのは何故なのだろう。

(2012.4.20)
家臣達の個性が際立っていて、それぞれの心模様の描き方が鮮やかで、
民族の違いが印象的で。遥か遠い時代の空気が色濃く立ち上ってきます。
中国の大地の広さを、地図ではなく人民の多様性から体感させられます。

<追記>
手元に本がない状態で。ひと月近く前に読んだ本について書く、
という・・・、無謀な行為の結果だということを念頭に置いて頂いて。
あまり参考にならない感想であることはお目こぼしくださいますように。


重耳(中) 宮城谷 昌光

4062633248
講談社文庫
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いちおう昨日の記事『重耳(上)』の続きです。

昨日書いたような経緯で。
ジャンルで読まず嫌いするのはやめようと決意し。
なるべく、広い範囲のものを読もうと努めてきて。

哲学ブームやら。ファンタジーブームやら。
科学ものブームやら。ラノベのシリーズ物ブームやら。
新書ブーム、ビジネス書ブーム、語学書ブーム、旅行記ブーム。
写真集ブーム、美容本ブーム、芸術論ブーム・・・

と。時々によって熱中するものがあったのです。
が。が。が。歴史小説ブームはなぜか来なかったわけで。

どうも。腰がひける。読みたい気が積極的に起きない。
たまーに読むと、読み通せないか、読んでも感心しない。

なんでかなぁ・・・なんで、こんなにハードル高いかなぁ。
まず、歴史小説に馴染む環境ではなかったからか。
歴史漫画とかも全然、興味なかったし。
大河ドラマもダメなんだよねぇ。すぐ飽きちゃう。

だいたいが。歴史っていうと戦争の話になるでしょう。
たぶん、それも一因。あと国単位の視点に馴染まないのかな。
一国が滅びたり。民族が全滅したり。スケール大き過ぎ。

醍醐味の一つなはずの主従関係ってのも、さして興味ない。
うー。「団体」ってものが苦手なんだよ。「組織」とか。

だいたい、こぢんまりした話の方が好きなんです。
SFやファンタジーも確かにスケールは大きいけど。戦争も多いけど。
歴史と違ってフィクションだから問題ない・・・のだろうか。

ていうか、「個」の要素の方が強いんだよね、何だかんだ言って。
いや。個人の目線というのは、もちろん歴史小説にもあるのだけど。
史実と創作のコラボレーションに違和感を感じてしまう。

まぁ。気性に合わないっていえば、それまでで。
その何が合わないかって言えば「スケール」ってことで。
戦術とか政治学にも興味がないから、不向きなわけで。

考えると。歴史小説好きって圧倒的に男性が多いと思うのです。
作家自体、ほぼ男性でしょ。私、男性の作家が苦手でもないけど。
歴史小説を主体に書いてる作家は、敬遠しているな・・・そう言えば。

小説家って。よくも悪くも女々しくないですか?
だから性差をさほど感じないんですよね。
でも歴史小説を書く作家は「男性性」が強い気がします。

そこんとこに、馴染み辛いんでしょうねぇ。
そんなことはない、と言われるかもしれませんが。
いかに女性の活躍も盛り込まれようとも、
基本、歴史小説は「男のロマン」の世界じゃありません?

その私にとっての苦手要素にこそ、面白さもあるわけで。
それがやっとちょっとわかって来たなとは思うのです。
時々、あーこの感覚は歴史小説ならではかも、と感じました。

もうちょい早くに読んでいたら良かったなというのが正直な感想。
今から歴史小説用のモードを開発するのは、なかなか困難です。

あと。題材として、実在の人物がいて。
そこから百も千も万もの違う人物像が描けちゃうというところに。
妙にへんなトコで石頭になる私は、納得出来ない気もします。

Aさんの描く信長もいいな、Bさんの描く信長も面白いな、
Cさんの描く信長は好かんな・・・とか?
いや、それらを統合して、自分なりの信長像を作ればいいの?
(幼稚な例えで・・・すみません)

それなら、歴史書か、古文書を頑張って読む方が、
歴史小説を読むより、なんかすっきりするんだよなぁ。
うーん。合わせて読みながら広げて行くといいんだろうけど。

私・・・そこまで入れこむほど歴史に興味ないんだよなぁ。

ていうか、単純に歴史小説を楽しむという読み方・・・出来んのか?
いや出来ないから、苦手なまま現在に至るんだねぇ。

(2012.4.17)
もうちょっと頑張って読むか。もう歴史小説は一切読まぬ道を歩むか。
今、重大な岐路に立たされております(って大げさか)
『重耳』に関して少しは感想を書きますと。(中)が一番面白かった。
とにかく、この頃の中国の話ときたら、とんでもなく壮大です。
私のちっちゃなアタマが、しばしばショートするんですけど・・・
その普段、思い浮かべない規模の土地、人民に脳内を占拠されるのは。
なんとも恐いような新鮮さがあったりして。これは捨て難い醍醐味かなぁ。


重耳(上) 宮城谷 昌光

406263323X
講談社文庫
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私は歴史小説が苦手です(って何度もしつこいですが)。
ですが。昨年、宮城谷昌光氏の『太公望』を勧められ。
その後、また違う方に『王家の風日』がいいよと聞き。

どちらも読んでみたら、かなり気に入ったりして。
歴史小説も意外と読めるかもしれないと思い始めたところ。

しかし。司馬遼太郎・・・昔、挫折してますし。
また?と思いつつ、宮城谷昌光氏の著書を読む。

著者はかつて、ミシェル・フーコーやアラン・ロブ=グリエ、
ラシーヌ、ロラン・バルト・・・などを愛読していたそうで。
そういう素養ゆえか、何か私にとって馴染みやすさがあります。

ですが。それでも。本書を読み始めて感じたのは。
「やっぱり、私、歴史小説は苦手!」

何でなんだろうなぁ・・・とずっと考えていて。
理由の大半は「不慣れ」だということだという気がしてきました。

私の読書歴は。祖母の買い与えてくれた英米児童文学からスタートし。
その後も、長らく翻訳文学一辺倒だったのです。

ふとしたきっかけで、中学生の時にアガサ・クリスティに嵌り。
そこからミステリもかなり読みましたが。やはり翻訳物中心。

日本文学・・・どころか。そのまま行けば。
日本人の書いた小説を読まない大人になるところでした。

高校時代、学校の方針で日本文学を強制的に読まされ。
川端康成、太宰治、谷崎潤一郎、夏目漱石、三島由紀夫、
幸田露伴、志賀直哉、二葉亭四迷、島崎藤村、
・・・・キリが無いのでこの辺にしますが。

好みに合わないので、顔を歪めて読んでいるうちに。
ある日、「読み方」がわかったのですね。
具体的に、ナニがどうとは言えませんが。
翻訳文学と日本文学は「読み方」が違うんです。

それに気付いて以来、どんな本も読めるようになりました。
読み辛くても、しばらく我慢して読めば「入り口」が見つかる。
同系統のものをまとめて読めば、勘所がわかってくる。

・・・というのが、私の持論です。
読めないとか苦手というのは、大抵は慣れてないだけ。

なにせ、私。翻訳文学調の文体に慣れ過ぎていた為に。
ラノベを初めて読んだ時、クラクラしました。
確か、コバルト文庫で氷室冴子の本だったのですが。

「なんじゃこりゃ〜!」とカルチャーショックでした。
私にとっては見た事もないような日本語がそこにありました。
ま、それもそのうち慣れて来て。面白さがわかるようになりましたが。

ただ・・・若いうちでないと。未知の物に慣れるのは難しいかも。
私が日本文学に馴染むことが出来たのはギリギリだった気がします。

ラノベも友達に無理矢理に読まされなければ。一生読まなかったと思う。
今は全く読まないのですが。優先順位の問題で、偏見はありません。
(読んで良かったと思うラノベも沢山あるので、友人に感謝せねば)

あと。SFは。自ら好んで読んでましたね。
イギリスの児童文学ってファンタジーが多いでしょう?
ファンタジーからSFという流れは無理がないんです。

で。じゃあ。歴史小説は?
それは後日語ります・・・ちょっと長くなりましたので。

(2012.4.14)
本の感想に全くなってません・・・
これ、上・中・下の三巻ですので。(下)辺りで感想も書きます。
(中)では何故、歴史小説が苦手なのかを語ります。
っていうか、誰も興味ないかもですが。すみません。
本の感想が書けなくて、苦し紛れにこんな具合になってます。
付け足しみたいですが、本書は上質な歴史小説です。


王家の風日  宮城谷 昌光

4167259044
文春文庫
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「商」と聞いても、紀元前の中国に600年も栄えた王朝だとはピンと来ない。
「商周革命」? 「受王」?・・・何ですか、それ?
受王の妃は「妲己」と耳にして、かの悪名高き美女、とやっと得心が行く。
・・・と、かくもお恥ずかしい限りしか、古代中国の知識を持たぬ私。

「商」「周」。前者は滅ぼされた国。後者はそれを滅ぼした国。
著者は善悪を超えた視点で、人知でつかみ得ぬ運命の深淵を描きつつ、
その中を生きる個人を慈しみ、精緻かつ丹念に、その人物像を構築する。

歴史を自らの筆で「物語」として紡ぐことに一抹のためらいがあるのか、
どこか控えめで押さえた筆致であるが、その誠実な姿勢にむしろ、
背景の歴史の雄大さが泰然と宿るようにも感じられる。

この古く、遠い遠い時代に生まれた漢字を今も私達は使っている。
史実を語る言葉の中に、今なお生きている語の語源が紐解かれ、
そこに著者の漢字への愛情が垣間見え、静かに深い共感に誘われる。
時を超えて息づくものが身近に存在することの感動も湧いてくる。

端正な筆致で、淡々と物語は進行していくが、
その中では、あまたの人々の生死があり、国々の興亡があり、
文化や民族の背景にある思想、宗教の変遷があり・・・・
遥か気が遠くなるような広大な世界がひらけている。

それは、もっと興味も知識も持って然るべき歴史ではないだろうか。

国を動かす者、その者を支える者、そしてその足元に犠牲者となる民。
しかし、国なくしては、人は生きられぬ。
為政者が「国」のために尽くして生きることに決して偽りはなく。
だが、そもそも、その「国」の実体とは何なのだろう?

国のための戦いは、いつの世も消滅することはなく、
内からも、外からも、国はいつでも崩壊の危機にある。
存続すること自体が悪であると判断せざるを得ない国も、
初めから、その道を歩んだわけではあるまい。

国を動かす立場にある者にしか、見えぬ景色もあるだろう。
現代以上に、平民が生きることは過酷であったけれど、
その上に立つ者の意識も、良くも悪くも壮大だった・・・

「気宇」と「滋」という語が、なぜか同時に思い浮かんでくる。
一縷の希望を潜めた深い哀しみと共に。

(2011.3.5)
本書を推薦してくださった一鑑様、ありがとうございます。

物語としては「太公望」を逆の視点から描いたものとなります。
ストーリー性は「太公望」の方が強く、生き生きしていますが、
本書のどこか歴史書めいた硬質な佇まいに、私は魅力を感じました。
双方を合わせ読むと、この時代が立体的に浮かび上がってきます。

しかし、何より感動したのは著者のあとがきかもしれません。
漢字の美しさを愛で、偏愛するがゆえに、漢字の必然を見失い、
怖くて漢字が使えぬ日々を送った著者の闘いの日々。

ミシェル・フーコーやアラン・ロブ=グリエ、ラシーヌ、
ロラン・バルト・・・などを愛読していたという著者が、
自分のことば探しの果てに、中国古代の歴史に辿りつき、
小説を書かずにはいられないほどに、のめりこんだという・・・。

英仏の書物は、気がつくと書棚から消え、甲骨文をも
必死で学びながら読んだと言うのだから・・・。

私の漢字への愛なんて児戯に等しいなぁ・・・。良い本を読みました。


太公望 (下)  宮城谷 昌光 

4167259125
文春文庫
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英雄、英傑が数々登場しますが、その描き方がいい。
まんべんなく、心をこめて書いている印象・・・
その分、やや焦点がぼけている感は少し、あります。

それでも、幾たびも人物描写の巧みさにハッとしました。
小さなエピソードや言動に、その人物の人格の真髄を、
くっきりと、宿らせる・・・

ひとつの事象が、見る目によって異なる像を生むことを、
折々に示しながら、世界を広げていく・・・

英雄たちばかりでなく、宮城谷氏の描く女性が、好き。
頭がというよりも心が賢い、そんな女性たち。

幾つか例をあげてみましょう。

まばたきひとつでも妲己は美しさを創ってゆく。残念ながら絵は自分の美貌の上で停滞している。

世紀の美女かつ悪女と謳われる妲己の美しさをこのように表現する。
(絵というのは妲己の侍女で、本書では美貌では妲己に勝る、とされている)
真の美しさの本質がこの短い言葉で言い尽くされていると思う。

三人姉妹のなかで縞の気性がもっとも烈しい。しかしながらこの娘は理知を豢養(かんよう)する器をそなえており、感情を暴走させず、機知を明るさのなかで展開するという賢さをもっている。

望の妻になる女性なのに、この稿という人の描写は少なく、あっさりしている。
でもそれが不思議と余韻を残す。ここのところ、素直にいいなぁ、と感じます。

人は己の道を探し、その道をそれぞれ歩むのだ、と。
今更ながらにそのことが、しみじみと胸に沁みてくる・・・味わい深い小説。

(2011.2.3)
ちょっと読むの大変だったけれど・・・読んで良かった。
宮城谷昌光氏、とても気に入りましたので、
次は「王家の風日」を読もうと思います。もう借りてきました(笑)
これは「太公望」の反対側から描いた歴史なのだそうで、面白そう。

  

プロフィール

Author:彩月氷香

とにかく本が好き
読書感想がメインですが
時々、写真や雑記も。

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