猫にかまけて 町田 康
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猫派か、犬派か?と問われると即答しかねる。
犬のような気もするし、猫のような気もするし、
どちらでもないというのが正解な気もする。
猫を書いた本と犬を書いた本、どちらが好きか?
こう尋ねられたら、一気に話は簡単になる。
断然、猫について書いた文章が好き。猫が出てくる小説が好き。
勝手な印象だけれど、猫好きは屈折したナルシストが多い。
愛する対象に「自分にはないもの」を求める場合もあるけれど。
猫好きは大抵、自身が「猫的要素」を持っている。
町田康の文体の、ウザさ一歩手前の回りくどさがいい。
おちゃらけと自虐の中間を綱渡りしながら、
するするとリズム良く、何かをはぐらかしつつ、
陽気な足取りで、ふらふらと進んでいく。
自虐と韜晦でズルズル、ヨタヨタ、ぐるぐるしつつ、
どこか哀しい可笑しさを漂わせている・・・というのが。
私は、とっても好きなのだ。自分もそうありたいくらいに。
(その代表としては、中島らもさんでしょう)
強烈な自虐は間違いなく、救い難く重度のナルシシズムの裏面。
自己愛の強さを隠しきれないというのは、私には愛らしく思える。
ただし、それをユーモアに転化できる客観性を備えていてこそだが。
いや、そうやって誤摩化す小賢しさに共感するのかもしれない。
(だけど、シッポが見えちゃってますよ~)
ああ。やっぱり、私も猫派でしょうか・・・。
猫好きも、そうでない人も、笑って涙する、たぶん。
猫の運命も人間の運命も、さして変わりはないのかもしれない。
見守られる側と見守る側とに分けることはナンセンスで。
どちらも、自分勝手に生きていて。でも一方通行ではない。
その触れ合いに。ぎゅっと心を掴まれる。
内田百、大佛次郎に続く、猫エッセイの名作だと思います。
(2012.3.29)
ココア、ゲンゾー、ヘッケ、ナナ。4頭の猫が登場。
匹でなく、頭と数えたのは、町田さん方式です。
(理由は、本書を読んで頂ければわかります)
この子たちの愛らしい写真も、たっぷり。