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つぶやき集 2017年2月 〜水仙盆と水の都の古本展

中之島の東洋陶磁美術館の「台北 國立故宮博物院―北宋汝窯青磁水仙盆」展では、「天青色」を堪能した後、中央公会堂で今日から開催の「水の都の古本展」へ。部屋に足を踏み入れた瞬間「狭い」と思った。

でもそれは天井の高さが生んだ錯覚だったのか、もしくは中身の充実度が高過ぎたのか。何周も何周も部屋のなかをぐるぐる巡っていると、次々に欲しい本が登場するのには、ほとほと参った。かつてこんなに私の欲しい本が集まっていた古本市があっただろうか。

結局、10冊で我慢したのだけれど。たぶん、この3倍くらいは欲しい本があった。キリがないので、新刊でも買える(高いけど…いつかお金持ちになったら)であろう本と、小口にしみが目立つのはやめにした。バベルの図書館シリーズも本当は欲しかったし。百年文庫はあと10冊は買いたかった。

出店されている古書店の中で。明らかに私の好みに珍しいくらいにぴったり来る書店があって。そう。こんなに翻訳文学の程良いもの(マニアック過ぎないけれどポピュラーに寄ってもいない)が揃っているって素晴らしい。本のコンディションも良かった。ちなみに寸心書店さん。

モズブックスさんも、芸術関係の面白いものがあった。悩んで買わなかった本が何冊もあるけど!お財布と重量に耐えられるなら買いたかったなぁ。どちらも実店舗がないみたいで残念。ああ。やっぱり、もっと本が買える生活をしたい。お金よりも置き場所が問題だ。


「つぶやき集」は。
私がツイッターのヘビーユーザーだった頃に。
つぶやいた言葉を月ごとに「まとめ」ていたもの。

日記的な。わざわざ人目に晒すものでもないような。
あまり明るくはない心象風景と、読書感想、映画感想。
仕事の愚痴、夕ご飯のメニュー・・・そんな内容でした。

ツイッターは2016年に辞めました・・・公式には。
実はアカウントは「検索用」に作り直しています。

気がついたら、時々つぶやいていました。
とはいえ、2017年のツイートはたった14件。
内容も、本と映画と展覧会のことだけ。

ですので。こうして収録(?)することにしました。
今後も、本と展覧会と映画と音楽に関してのみ、転記します。
というよりも。それしか呟かないかな、たぶん。

月ごとにまとめて副題をつけますね。内容がわかるように。
そもそも、毎月呟くかどうかもわからないのですけれど。

つぶやき集 番外編 29

ふう。ごっそりと売り場の商品が盗まれた。まぁ。やろうと思えばやれる売り場であることは間違いない。盗られてもわからないような杜撰な売り場状況であることも否定出来ない。一万円のとある商品が盗られたのだが、それが5枚か6枚なのかが確信が持てない。

そして、帰宅してみると、注文していないはずの商品が届いているという始末。スマホの機種変で、携帯会社と揉めていらい、何やら、あっちでもこっちでも、トラブル続きだ。

カバーもフィルムもつけずに、iPhone7Plusを使っている(マットな方の黒)。周囲が怖がってるが、使用してる本人は平気。何しろiPhone5も同様に裸で三年無事故で使った実績があるのだ。最も三年半の時点で落して縁がギザギザになったけど。それでやむなくケース付けたけど。

やっぱり、ケースはなしがいい。気分がいい。すっきりしてる。清々しい。

カレンダーは贅沢する価値のあるものだと思っている。去年はマイセン、今年はマイケル・ケンナ。どちらも美しかったけれど。来年はどうしよう。これぞ、というカレンダー、他にないかしら。

私。二ヶ月で一枚のカレンダーは買わない主義。月ごとに絵が変わることを第一の条件としている。でも。この主義を曲げて。今年は「みちのく応援団」さんのカレンダーを選んだ。写真にも主旨にも惹かれたし、何かご縁を感じたので。届くのが楽しみ。

つぶやき集 番外編 28 

「香り」と打とうとしたら「過労」と売っていた。相当、疲れているらしい。

どっと疲れるというか、がっかりというか、ガックリというか、情けなくて哀しいような出来事が続出の一日だったのだけれど。せめて自分の「受け取り方」で、それらの不幸な事件を少しでも良い方に捉えてみようと努めた。意外と悪いことの中に潜む明るい要素を見つけることが出来た。良かった。

ずーっと。思っていたことで。しかも過去にも何度も宣言しているけれど。今度こそ、本気で。「自己啓発本を卒業する」えーっと。年内は無理でも来年前半中に。若い頃に読み零した古典や哲学の本をじっくり読みたい。自己啓発本は気軽に読めるけれど、大抵はもっと簡単に言えることを長く述べている本。

それでも読んで無駄な本ばかりだったとは思っていないけれど。主に簡便な気晴らしとしての読書に終わった。まぁそのつもりで読んでたから良いのだけど(著者には申し訳ないが)。わかりやすさに走らず、わからないものと格闘しながらの歯ごたえの読書がそろそろしたくなってきた。良い傾向だと思う。

「私の言葉を取り戻すために」・・・これから私が自分の生活を見直し、紡ぎ直していくなかで、忘れずにいようと決めたテーマ。捨てられるもの、諦められるもの、削ぎ落せるものはたくさんある。惰性から抜け出す、小さな勇気が必要なだけだ。

つぶやき集 番外編 27

単純なので。「今の自分は好き」という時はある。一日の中で、「私」はその時々、入れ替わっている。もちろん底辺に持続している「私」はあるのだけれど。表層・・・否、中層くらいまでの私は、環境や気分で大きく変動している。

違うか。表側がそんなに変化してたら多重人格になってしまう。たぶん、表はそこそこは同じ「私」を保っているのだ。となると、その表を保つためにジタバタと足掻いている「私」の姿が私自身には耐え難いということだ。自分の心の動きが醜くて正視し難いと感じているということだ。

私は日頃、腹が立って仕方がない様々なことを。本当に馬鹿らしい、相手にもしたくないような低次元のことだと思っている。なのに、それらに気持ちを振り回されていることが悔しくて仕方ないのだ。そんなこと、そよ風ほども何も感じずに微笑んで通り過ぎてしまえる自分だありたいと切に願っている。

でも。そうできないながらも、そういう顔をしていれば。それはそれで恨みを買うのだ。そうして、何かちっとも生産的でもなければ創造的でもないことに、神経を磨り減らしている自分自身にうんざりしてしまう。誰にどう思われようといっこうに構わないという気持ちはあるのだけれど・・・

「自分を嫌いになる」時間が長引いていることが苦しいのだと思う。

つぶやき集 番外編 26

誰にでも「演技性」はあると思う。私は無意識の相手のモードに合わせてしまう癖が昔からある。話し方とか雰囲気が、目の前の人に似てくる。なのに環境が作り出す雰囲気には溶け込めない。そして嫌いな人のトーンに近づいてしまっている時の自分が嫌いだ。

もちろん、合わせられないトーンというのはあるのであって。けれども呑まれているというか引き摺られるというか、それで反発するというか。言葉や態度が攻撃的な人が何より苦手なのは、その人たちに攻撃されるからというより、攻撃されることで発動する自分の中の攻撃性が苦しいからだ。

普通に生活していれば寝たままの自分の攻撃性を起こすものは、何であれ、嫌い。そして同じ目にあっても、穏やかに流せる人もいるだろうにと哀しくなる。それにしても。攻撃的な人物が今、周囲に多過ぎる。

威張る人間とそれにへつらう人間が嫌い。でも、そのどちらかに大半が属している。どちらにも入らないで立っていることが困難な職場だ。もちろん、威張らず、へつらわずに人もいないわけはない。そういう人はひっそりと私にエールは送ってくれている。彼らは一人で立てる強さがあるのだ。

私も一人は平気なのだけれど。それでは仕事が出来ないので。うん。仕事がもうちょっと出来たら、威張られることもなくなる・・・というか減るだろう。最初よりは減っているものね。問題は仕事に関して教えを乞わざるを得ない人物が悉く威張り屋だということだ。

でも。結局。仕事のことで愚痴るのは。全ては言い訳になってしまう。腹立ち、怒りの後に行き着くところがいつも反省で。そのことにもいっそう疲れるのだろう。反省しつつも、そこに悔しさや憎しみが混じっているので。そういう感情に捕らわれている自分自身が厭で仕方ないのだ。

わたしは結局。「自分を嫌う」ことが一番、耐えられない。
  

プロフィール

Author:彩月氷香

とにかく本が好き
読書感想がメインですが
時々、写真や雑記も。

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