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これはペンです   円城 塔

Posted by 彩月氷香 on 06.2012 円城 塔   4 comments   0 trackback
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新潮社
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無機質、理知的。そう表現してしまうのは簡単だし、外れてもいない。温度や香りを感じない作風。「思う」という行為すら無意識には出来ず、頭をフル回転させられる。かといって難解、意味不明というのとは違う。

何かを読んで「新鮮」に感じる時、それは概念そのものが未知のものであるか、知っていることを思いがけない形で目の前に提出されたからか、大まかにいえばそのどちらかだと思うのだが、円城塔さんの作品に感じる新鮮さの源はどちらでもあり、どちらでもない。

険しい坂道を登っているわけでもなく、風に対抗して歩いているわけでもない。視界も晴れている。なのに歩いている自分の足元が不確かで、緊張して歩いている。普段は使わない筋肉を使っているように感じる・・・という類の違和感にも似た、体感的な新しさ。

ここで思いがけず私が普段、読書において抱くことのない問いが芽生える。
「著者は何が言いたいのか?伝えたいのか?」

これは何故か、何を読んでも私が気にすることのない要素。著者がどんなつもりで書いたかという点に無頓着。描かれた世界が「自分にとって」何を意味するかしか、考えない。著者の意図など、掴みたいと思ったことがない。

なのに。ふっと。考えてしまった。著者は書き表したかったものを、これで書き表せたのだろうか?と。

本書に収められた二篇も。先日読んだ芥川賞受賞作とその併録作品も。同じことを言おうとしていると感じた。そのいずれが特に優れているというのでもなく。退屈な繰り返しだというのでもない。そもそも作家は結局のところ100冊の本を書いても、同じことを語っている、と私は感じるのだ。

著者の執筆の意図を斟酌しない、と言ったばかりで矛盾するようだが。積極的に探しはしないけれど、著者の言わんとするところは朧に理解できる・・・と自惚れることができるのが、私のお目出度さ。もっとも、これは常に見出せるものでもなく、見えた気がしたからとて上手く言い表せるものでもなく、もっと言えば言い表さなければならないものでもない。

嘘はやめよう。基本的には言い表したいという思いは強くある。

一方、その作業が煩わしくも感じる。文章力不足や、それ以前に思考が熟していない現実への絶望。書くより読むことが優先で、次のものを早く読みたい気持ち。さらに、書き留めておきたいほどの感興が生まれなかったり、逆に書き表すには大き過ぎる波が心に生まれたり・・・といった場合など。

これに関しても円城氏の本は事情が違っている。読んでいる間、私は焦りにも似た気持ちで書き記しておきたいことが次々生まれてくる感覚を抱いていた。が、読み終えた時にはそれが綺麗さっぱりと消えていたのだ・・・

この逃げ足の速さは何なんだ。今、私は軽く怒りを持って煩悶している。この理由も考えなきゃならないのか?あーぐるぐるしてきた!

気を取り直して。思うにそれは未知のものではないが、意識にのぼりにくいものなのだろう。与えられた視点ゆえに見えただけで、一度目を離すと見失ってしまう。つまり、私がもともと持っている感覚とは大きくズレている。

それは「情」に訴える面がないからだ。人の心を動かすのは平凡過ぎるようでも、結局「情」なのだと思う。円城氏の作品からは心を動かす何かは感じるが、「情」ではない(と私は思う)。仮にそれが極度に薄めた「情」だとしたら、がっかり。それでは単に表情を凍らせることで思わせぶりで謎めいた魅力を演出している美女(美男でも勿論いい)のようなものだ。

確かに付き合い易くはない。読むのには時間がかかる。妙に集中力を要する。だが人当たりは悪くなく、とても礼儀正しい。変人ではないし、意地悪でもないし、偉そうでもない。格好つけてクールを気取っているわけではないのだ。このわかりにくさには、どこか不思議なほど親しみを呼ぶ面がある。

そして。また最初に戻り。だから著者は何が言いたいのだ?
(ついでに私も、何が言いたいのだ?)

不確かなものを不確かなまま提示する・・・などというつまらぬ見解に達しそうになったので、一度席を離れて。私の心に湧いた奇妙な想いを暴露しよう。

いいなぁ。こういう小説を書きたいなぁ。

待て。何が言いたいかわからない、と散々書いてきて、どうしてそうなる?これは説明が意外と簡単。氏の小説は自分の夢に似ているのだ。妙に理路整然と空回りしていて、くっきりとした輪郭があるのに意味不明で入れ子状に果てしなく続く感じが・・・

私の夢に限らず、誰の夢でもそうではないだろうか。そして、夢か現かという領域を描く作家はいつの世も途絶えずに細々と一派をなし、マニアックか世紀の文豪か、という狭い狭間に棲息している。不思議なことに、私はそれらの作家に共感しない。ボルヘスも泉鏡花も宮澤賢治も実は苦手。それはたぶん、あまりにも彼らの作品が「彼らの夢」であるような気がするからだ。

他人の夢のなかを束の間、泳ぐことこそが読書の醍醐味ではないかとも思われるわけだし、普段私はその作法に則ってフィクションを読んでいるはずである。が、ある種の作家の描く世界には入っていけない。その夢には、例えひとときでも同化したくないという意地なのかもしれない。そういうヘンなプライドを呼び覚ます小説、作家というものが存在する。

つまり、夢のようなもの、もしくは夢を描いた小説を好まない私であるから、そういうものを書きたいなどと思うはずもない。夢を思い起こさせる円城氏の小説を読んで「こういうのを書きたい」という感想を持つというのは訳がわからない。

しかし。理屈はそうでも。現にそう思ったのだから仕方ない。

たぶん。答えを見つける必要のないことというのはあるのだ。夢の意味を問うなど無粋なことだと思う。だが、それがわかっていても、やはり人間は答えを求めるのだ。そして物を書く人間というのはおよそ、生涯をかけて「問いつづける」存在なのであって・・・

迷うことの楽しさを教えてくれる本、と強引にまとめてしまおうか。
とりあえず、今のところは。もしくは・・・心に謎の種を撒く本?
時を経ないと何が生えてくるのかが不明の怪しげな種を。

いや。芽など出ないという可能性だって充分ある。

(2012.10.)
「書物」と「言葉」に対しての偏愛が色濃く窺えるのが、
円城氏の作品の特徴、かつ魅力の一つではないか思います。
それは「偏執狂じみている」といってもいい域にあります。

道化師の蝶  円城 塔

Posted by 彩月氷香 on 19.2012 円城 塔   6 comments   0 trackback
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講談社
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難しいんだろうなぁと覚悟を固めて読み始めました。
著者の経歴とか言動を見てると、いかにも理系な感じで。
私、文学的であろうとも迷宮的な書物は苦手だったりしますし。

あら。でも読み始めてみると。ややっこしくはあるけど。
ディティールがとても素敵。アイデアを捉える銀製の捕虫網とか。
友幸友幸というふざけた名前の摩訶不思議な作家とか。

全体に人物の息づかいは感じられないのだけれど。
それが瑕にはならないというか・・・
無機質で硬質な感触が心地よく、その質感に無理がなく、自然。

言ってみれば。私の苦手な素材で出来た建物。
住みたい感じではないけれど、見惚れてしまうような家。

たぶん。どんなに美術好きでも美術館に住みたいとは思わない。
いや。思うかな・・・思うけどね・・・一生ずっとは厭だよね。
ちょくちょく訪れるには、素晴らしく快適な場所だけど。

うん。そんな感じ。美術館のような空間。
日常ではないけれど。定期的に訪れたい場所。

好みだけで言えば、この雰囲気でもっと短い話を書いて欲しい。
物語の構成を飲み込むのに要する労力が、私みたいな凡人には負担。
理解する努力が面倒になる前に、物語が完結してくれた方が、
余韻や行間を楽しむことができそうな気がする。

まぁ。でも。それをやっちゃうと。
著者の持ち味が生きて来ないのかもしれないな・・・

(2012.4.30)
どこがどうと言い難いながら、この人の作風、好きです。
また読んでみたいと思える作家さんでした。


  

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Author:彩月氷香

とにかく本が好き
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  • 円城 塔
2012年05月19日 (土)
道化師の蝶  円城 塔

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