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黒の過程  マルグリット・ユルスナール

Posted by 彩月氷香 on 05.2017 マルグリット・ユルスナール   0 comments   0 trackback
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ツイッターをやめて以来、とりあえずの感想を書き留める場所がなくなり。開くことがなくなって久しい日記帳を手にした。以前は毎日なにかしら思うことを書いていたモレスキンのラージサイズ。今は月に数回、断片的な心象風景をほんの数行綴るくらいで、場合によると数ヶ月まったく書き込みがなかったりする。

この本を読み終えた時、感じたことを消えないうちに記さねばと思った。読み終えた端から忘れて行く想いというものは「感動」というより、自分の中に眠っていたものの再発見に近く、その懐かしさを留めておきたいという願いの要素が色濃い。私が惹かれるものは大抵、久しぶりに対面する自分自身の内面のうちの「とある面」である。そしてそれは恐ろしい。見つめることを拒否したくなる。

ただ。たまたまなのかもしれないけれど。日本人の作家の作品の場合、見たくないものを見るように強要されるかのように感じ、海外の作家の作品の場合は見ることを愉しむ余裕が持てるような気がする。文化的、郷土的に近すぎないのが良いのだろうか。明確に分けられるものでもないけれど、翻訳文学の方が胸に迫ってくるものの質感が快い傾向にある。

わからない部分があることが救いになるのだろう。そして、わからないことを当然だと思えることが心の余裕になるのだろう。わかると思えるところだけを部分的にわかるというのは都合の良い読み方かもしれないが、憧れと不可解を含んだ親しみというのは、精神を研ぎ澄ませつつも安らがせてくれ、さらに余白を味わう時間も与えてくれる。

さて。日記に書かれていた感想を読み返してみると、呆気ない程あっさりしていた。自分が書いたのに数ヶ月後の今になると意味がよくわからない部分がある。

ユルスナール「黒の過程」読了。
懐かしさのようなものが読む時間を満たしていた。主人公のゼノンを私が理解したとは云えない。血塗られた歴史の中に浮かびあがる宗教、否キリスト教の偽善、傲慢。しかし、強い存在感。“孤”という言葉が相応しく、全体を覆う静けさがまるで青い炎のようだった。目には熱くない。触れ得ぬ高温。訳者あとがきすらも、一篇の美しい物語となっている。

「目に熱くない」というのが不明瞭な例えだ。私は作品の温度を測りかねつつ読んでいた。ユルスナールの視線は人間を突き放していて、けれど距離は遠くはなく、密接した客観性が怖いような迫力を持っている。そのことを「青い炎」と捉えたのだろう。

冷たさと熱さを同時に内包している、と表現してしまうとそれも実感とは異なる。冷たくはない。熱くもない。温度を感じない作風というものもあるがそれとも違う。熱を感知しないのに、「炎」が見える・・・というのがまだ近い。

キリスト教が勢力を持っている社会を体感できなければ、わからないはずの苦悩にも思えるけれど。たぶん。結局のところは宗教や時代が違っても、自分を見つめ続けて生きずにはいられない者には「わかる」痛みなのだ。一方で極めつけの「俗物」として描かれている脇役たちにも、自分の分身をみつけることは可能だ。

私はあまり「抑えた」「冷静な」「理知的な」文章を好まないという自覚がある。「理」よりも遥かに「情」が勝っている性質の人間だからだと思う。そんな私になぜかユルスナールの文章はこの上なく好ましい。抑制は利いているが、華やかさがある。繊細だが脆くはなく、骨が固い。知力の高さがひしひしと伝わってくるのに、頭の出来が甘い私も拒絶されない。

(2017.1.25)
須賀敦子がユルスナールについて書いた文章の中に「文章の品位と思考の強靭さ」とあった。品位という言葉は思い浮かんだけれど「思考の強靭さ」という表現はさすが。私はユルスナールから受ける印象の「強さ」をどう言い表せば良いかわからなかったのに・・・

ハドリアヌス帝の回想  マルグリット・ユルスナール

Posted by 彩月氷香 on 03.2013 マルグリット・ユルスナール   2 comments   0 trackback
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読み終えてから、日が経ち過ぎました。
読了後にツイッターにあげた感想にてご容赦ください。

マルグリット・ユルスナール『ハドリアヌス帝の回想』をゆるゆると読んでいる。歴史に弱い私は幾度か挫折しかけた。何があっても50頁までは読む主義で、そこを超えれば大抵どんな苦手な作品も読み通す足がかりが得られるのだけれど。この本は150頁を過ぎて、漸く物語の中に入ることが出来た。

マルグリット・ユルスナール『ハドリアヌス帝の回想』読了。読み終えて深々と溜息をつく。自分の吐く息からも黄金の砂や白く香る花びらが舞うようにも思えるほど。それにしてもマルグリットという明らかにフランスの女性名なのに。ユルスナールを男性と思い込んでいたのは何故だろう。

ユルスナールの作品には色濃く同性愛もしくはバイセクシャルの気配がある。題材をさておいても中性的な印象。ただそれを男性的な要素のある女性というよりは、女性的な要素のある男性という風に私は受け取ったらしい。享楽的で繊細でシニカルな青年のイメージ。もしくは壊れた玩具を大切している少年。

書き手が男性だと思っていたのに女性だったり。女性だと思っていたのに男性だったり。こういうことは時々あるのだけれど。それは逆でもおかしくないというか、むしろその方が自然な場合も多い。勝手に「こういう男性がいたらいいな」「こんな女性素敵だな」という想いを抱いていただけなのだ。

要するに男性らしい女性、女性らしい男性というより。女性らしさのある男性に見えるような女性、男性と間違えそうな女性に見えるような男性(このニュアンスが伝わるだろうか)が好きなのだ。これは性別不詳というのとも違う。この不思議な気配を持つ人の秘密は何だろう。自らの性別に執着がないこと?

何が言いたいかよくわからなくなってきたけれど。要するにユルスナールが女性だったのが(勝手に)残念だった。そしてふと思ったのは。著者の性別を予め知っているかいないかで、作品の印象は異なるのだろうかということ。違うはずだ。だから男性とも女性ともとれるペンネームを使う人がいるのだろう。


(2013.6.29)
本の内容がこれではわからないかと思いますが。
ローマの五賢帝の一人に数えられるハドリアヌス帝の独白、
という形で紡がれた極めて美しく豪奢な物語です。訳文が見事。

  

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