『渚にて』ネヴィル・シュート
![]() | 創元SF文庫 Amazon |
人間性への、美しくも強い信頼。
人類がもしも滅ぶなら。それはきっと今までも書き尽くされ、数多の映像でも描かれたように、自らの愚により迎える終焉なのだろう。本書でも、その点は変わらない。核戦争の放射能で全人類が死滅するというお定まりの展開。
しかし、このように静かに終わりを受け入れる姿は想像したこともなかった。滅亡間近の人々の暮らしぶりは恐怖と哀しみを背景に持ちつつも、牧歌的とさえ言える穏やかさで。私は知らず知らず、どうかこの人たちを救って下さいと祈る気持ちで読み続けていた。
実際には、あと数ヶ月後に全てが終わりますと宣告されたならヒトは狂乱状態になるだろう。吐き気を催すほどの人間性の醜悪さが続々と露呈するのだろう。
だから、この作品の登場人物たちの姿に驚き、驚きつつもそれがあり得るかもしれないと感じたことで、不思議なほど心が癒された。それぞれの流儀で大切なものを守り、最期を迎えようとする人々の行動の尊さに涙が止まらなかった。
「どうせ終わりなのだから」と思ってしまえば、どこまでも落ちて行くしかない。終わることを頑なに信じないのは逃避でしかない。終わるとわかっていても、現在も過去も未来も捨てずにいることが人間の尊厳を守り、精神の平衡を保つ唯一の道なのだ。
たとえ先が短くても今を楽しみ、失われたものと知っていても過去を慈しみ、実現できないとわかっている未来の夢も封じずにいる・・・そんな奇跡のようなことを人間の精神は成すことができる。少なくとも、この作品はそう語っている。
著者のネビル・シュートは信じていたのだろうか。それとも信じたかったのだろうか。人類が滅びの時も気高く美しく純粋な心を持ち続けていられるということを。
私は信じることはできない。けれど、もしもの時の自分を支えるために、この本の中で出会った人々の姿を忘れずにいたい。そして作者が人類に注いだ信頼と愛を贈り物として胸に大切にしまっておこう・・・ずっと。
(2016.8.12)
「パイド・パイパー」を読んだ時も感じましたが。ネビル・シュートという人の作風は、静謐で透明感があります。テーマは重いけれども、声高に語りません。その筆致と世界感が私はとても好きです。ただ、静けさゆえになおさら恐怖や哀しみの浸透度が深く、ほんとうに一つの世界が滅びてしまったような衝撃が長く尾を引きました。
「★★★★★」 また読みたい本