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ほめそやしたりクサしたり  高島俊男

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大和書房
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「記事本末」・・・マネしてみよう!

記事本末って何かって言いますと。

重要な歴史的事件を選んで項目を立て、
それぞれの事件の経緯を時系列に沿って叙述する形式。

とか言われると。個人には関係ないと思うわけですが。
高島氏は自分の日記に応用しているそうです。

たとえば。
「病気」という主題で一年ないし数年の日記から記事を拾う。
どういう症状だったか、どの病院へ行ったか。
医者はどういう人で、何を言い、どんな薬をくれたか。
そして、その後の経過なども引き写しておく。

これは、すごく役に立ちますよね。
他に「電気器具の買い物」「テレビで見た映画」など。
あと「もらった手紙」「投函した手紙」でもいいし。
私だったら「訪れた展覧会」とか。

これも、やり過ぎると墓穴を掘る感じもしますが。
項目に沿って出来事を振り返れるのはすごく、いい。

今私が後悔しているのは。
過去に行ったコンサートの日付けを記録しなかったこと。
日記を探せば書いてあるには違いありませんが。
数十年分を振り返るのは至難の業・・・

あとは。
森鴎外記念館を訪れた際の話なども面白い。
引用についての怒りも非常に共感。

引用と名乗りながら人の文章を勝手に書き直すという大罪。
私も許せません。まさか書物上でも行われているとは!

自分が無類の引用好きであることは自覚していますが。
一字一句、句読点にいたるまで原文どおりに引用しています。
急ぐと「だれか」を「誰か」と書いてしまったりしますから。
うっかり自分の書き癖に変換しないよう気をつけています。

書くこと、読むことが好きな人には楽しい本です。
なるほどなるほどと感心したり、ええっと驚いたり。

(2017.12.9)
今年、著者の本を3冊読みましたが、すべて知人からの頂きもの。
おそらく、勧められなければ読むことはなかったでしょう。
3冊のうち、私はこの本がいちばん好きです。
以前読んだ2冊の方が、著者の頑固さが強く出ていたからかも。
毒舌は好きな私ですが、意固地は苦手なのです。
自分にもそういうところがあるからだと思いますが・・・

漢字と日本人  高島俊男

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文春新書
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漢字という「腐れ縁」

私は、漢字の読み書きだけは苦労したことがありません。
幼い時から本ばかり読んでいたせいでしょう。
学ぶ必要もなく、勝手に漢字は覚えたのです。

「漢字が日本人に与えた害」を語っているとも言える本書。
思い当たったり、なるほどと膝を打つ部分はありつつも、
共感や納得がし辛かったのはそのせいでしょうか。

元々、本書は。
「日本人にとって漢字とは何か」を英米人向けに書いたもの。

言われてみれば思い当たるような、
日本人と文字の関係の複雑さ・・・ではあるのです。

本書の終章の筆者の言葉を引用しますと。

 漢字は、日本語にとってやっかいな重荷である。それも、からだに癒着してしまった重荷である。もともと日本語の体質にあわないのだから、いつまでたってもしっくりしない。
 しかし、この重荷を切除すれば日本語は幼児化する。へたをすれば死ぬ。
 この、からだに癒着した重荷は、日本語に害をなすこと多かったが、しかし日本語は、これなしにはやってゆけないこともたしかである。腐れ縁である。

漢字を撤廃しよう、という運動もあったのですよね。
そりゃ、無茶ってもんでしょう。

冒頭の方に出てくる例ですが。

「かていの問題」という発言を。
「過程の問題」ととるか。
「家庭の問題」ととるか。
エラい違いですよ・・・事件になります。

この場合、耳だけで見分けるのは不可能で。
前後の文脈から、頭は「漢字」に変換します。
思考に「漢字」が入り込んでいるんですね。

漢字って、そもそも私たちにとってナニだろう?
普段、考えてもいなかったな・・・

私自身は、単純に漢字が好きです。
その理由も、ひらがなより上手く書けるという笑えるもの。
丸いものより四角いものが好きなんですよ。
線がいっぱい交差しているというのも好きな要素。

私の眼には、ひらがなよりも漢字が心地よいのです。
じゃあ漢語はどうなの?というと、見るには好きですが読めない。

ひらがなで書けるものは、ひらがなで書くべきと著者は言いますが。
私は漢字で書けるものは、出来る限り漢字で書く傾向にあります。

漢字の方が、書くのは時間はかかりますが。
瞬時に意味がわかるのは漢字の方です。
ひらがなで書かれていたら、頭で漢字に変換するわけで、
そのひと手間が加わることで、読むスピードが落ちます。

え? 早く読みたいから漢字が必要?
う・・・それは否めないかも。

勿論、読めないような漢字がぎっしりならむしろ遅くなる。
あと、視覚が重苦しくなりますよね。
漢字とひらがなのバランスは結局個人の好みの問題と思う。

書き手が好きなように書けばいいんじゃないでしょうか。
読む側が読みにくいと思えば、読まないだけです。

趣味や芸術の場面はそれで済むけれど。
公的な文書や教育となると方針、指針は必要ですよね。
そこのところは、流れにまかせて適当過ぎたのかもしれない。

ただ、言葉も文字も統制するものではないと思うので。
時代の流れで変わっていくに任せてもいい気もするのです。

かく言う私も、言葉の使い方の変化で嫌いなものもあります。
どちらかというと、ひらがなの多用を好みません。

「漢字で書け!そこは漢字だろ!」と突っ込む方が多いです。

カタカナで書けるものをわざわざ漢字で書くのはやり過ぎですが。
漢字好きの私は、それも面白がってしまう傾向があります。

読めない漢字は(ほぼ)無い、と豪語する私ですが。
読めない漢字に出会ったからといって、凹みません。
その漢字を自分の辞書に加え、いそいそと使う機会を待ちます。

結果、気持ち悪いほど文章が漢字だらけに・・・

反省して、今は漢字は減らしていってます。
紙面が重くなり過ぎるのが気になるので。
それでも、高島氏の文章のひらがなの多さは私には脅威的。

「ちがい」とか「たいら」と書かれると。
「違い」「平ら」と変換しながら読まねばなりません。
「となえ」も「唱え」と書いて欲しいと感じます。
「見かた」も「見方」の方がしっくり来ます。

私には、ひらがなの多い文章は読みにくいのです。
もう、これはこの歳になってから変えることは不可能。

ですので。
知らぬことや考えたことのなかったことを知り。
わくわくと啓蒙される内容であった本書ですが。

Q「だから、じゃあ、これから、どうするの?」
A「え、別に今までどおり成り行き任せでしょ」

あ。著者は漢字を不要と唱えてるわけではありません。
彼なりの基準で必要な漢字と不要な漢字を述べています。

教育がこの問題を中途半端に扱ったことへの怒りには私も賛同。
ただ、私は学校以外のところで漢字は学びましたから。
政府の教育通りに漢字を使っているわけではありません。

あ。当用漢字、常用漢字の問題はありますね。
もともとの漢字から遠ざかってしまっている漢字とか。

ここも・・・目くじら立てても仕方ないと思ってしまう。
難しい昔の漢字を書きたければ書けばいいし。
書けない人は書かないでもいいんじゃないかと。

「正しい」「正しくない」ということは気にならないです。
「不自由」ということも別にマイナスと思いません。

日本語の体質に漢字があっていないとしても。
その合わないものを使いこなすことが無駄でもない。
そこで「工夫」を重ねたことが日本語にプラスになったかも。

眼に語りかけてくる「形」を持っている漢字は。
私にとっては心地の良いものなのです。

(2017.5.2)
ずっと漢字で書いていたのをやめた例は私もありまして。
「無い」は「ない」と書くことが増えましたし。
「書く事」「読む事」とは書かなくなりました。
「良い」というのも場合によりますね。
何しろ言葉の問題は、難しい顔をして理屈で悩むより。
面白がって、自分なりに工夫してみる方が良さそうです。
しかし。漢字について無自覚過ぎたとこっそり反省も。
でも結局、著者と違い、私はこの問題に真剣になれない性分みたい。

座右の名文  高島俊男

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文春新書

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「座右の名文」・・・遠い憧れ。

「ぼくの好きな十人の文章家」と副題にあります。

その十人とは。

新井白石
本居宣長
森鴎外
内藤湖南
夏目漱石
幸田露伴
津田左右吉
柳田國男
寺田寅彦
斎藤茂吉

うわぁ。5人しか読んでない!!
(森鴎外・夏目漱石・幸田露伴・柳田國男・寺田寅彦)

しかも好きかっていうと・・・
寺田寅彦と幸田露伴だけかな。
この二人も好きという割にはあまり読んでないし。

ひとことで言うと。
この方々の文章、現代人には読むのがしんどい気がする。

私は読むことに不自由しないと自負していますが。
読書の入り口が翻訳の児童文学だったせいでしょうか。
日本人の書いたものが苦手(おい!)な傾向にあります。

ま、原文で読んでないんで。
翻訳家が日本人ですし、日本人が書いてるとも言える。

ですから・・・日本人的な思考がダメってことか?
それって私の日本人としてのアイデンティティの危機?

などと、ふざけた脱線はこの辺にして。

本書はこの十人を手放しで褒めていないのが面白い。
幸田露伴など「一番駄作の多いのが露伴である」とひどい言われ様。

「文章の性格と著者の好みの相性の問題」とも書いている。

そう。べつに名文家を紹介しているわけではない。
著者にとっての「名文」を書いた人物を紹介しているのだ。

注目すべきはこの十人はみな学者であるということ。
高島氏、いわく。

いつの時代でも、学問の根底ある人の書いたものはおもしろい。よほどの天才は別にして、学問のない者の文章は底が浅くてあきがくる。

この後、なぜ学者の書いたものが面白いかの説明がありますが。
カンタンに要約しますと。

この方面のことなら知悉しているという自信が生む落ち着き、
どの方面を専攻したにせよ、ものごとの考え方を身につけている、
下等なことに興味を持たない・・・などの理由もあるだろうが。
文章を書き始める以前に相当長期の研鑽をつんでいることが大きい。

・・・っていうようなところですね、ハイ。

私も現代の好きな文章はこのパターンに当てはまります。
ええ・・・だから・・・要は、私には上記十人の文章は・・・
端的に言うと、「古い」んですね。

古びない文章ということは言われますけれど。
古典の勉強をしなかった人間には鴎外の文章は理解できません。
(私、古典の授業大嫌いでサボりまくってました)

不思議と、幸田露伴の「五重塔」はわかります。
いや。これはね、もの凄く、面白いし、衝撃を受けるかと。
大昔に読んだ時の私の感想は。
「凄い凄い凄い凄い凄いゾー」ですからね。

(未読の方はぜひ、読んで。後悔しません。たぶん)

ですが。著者は幸田露伴の「句」を中心に紹介。
あと、ものしり博士的な扱いですね。
とにかく、博学な人だったらしい。

読み進んで行くと。タイトルに偽りありというか。
「名文」が紹介されないんですよね・・・
もしくは、私には「名文」に見えて来ない。

著者の好みと私の好みがかけ離れているんですね。
あと、文章に対しての興味の持ち方も違うかな。

高島氏は、書き手の境遇や来歴に大変、関心をお持ちです。
確かに、面白いエピソードはあるのですが。

私は基本的に、著者の人物像に興味を持ちません。
これこれの背景があって、この文章が生まれたってところ。
なぜか、あまり知りたいと思わないんです。

おかげで。
紹介されていた作家を読んでみようとか。
紹介されていた本を読んでみようという気が起きず。

通常、この手の本を読むと。
読みたい本リストに30冊くらい追加されるものなのに・・・

そもそも高島氏が絶賛している柳田國男の「遠野物語」が大の苦手。
そこからも察せられるのですが。
苦手臭のプンプンする本がズラズラ並びます。

私。漱石の良さもイマイチわからない人です。
神格化されるほど凄い才能だと感じないのです。

自分の文学的素養が欠落してるのかと悩んだりもしますが。
ま、結局、単純に好みに合わないんでしょうね。
漱石を読むと、胃が弱い人の書きそうな文章だなと思います。

(あ、私も胃が弱いんだったわ)

「一番ツブがそろっていて、まず駄作というもののない」
・・・と、著者が評する寺田寅彦は例外的に好きです。

そうだな。寺田寅彦を再読しよう。
随筆集を全巻揃えよう(飛び飛びにしてか持ってない)。

あと。読まず嫌いしないという方針を復活させて。
斎藤茂吉(高島氏イチオシ)を読んでみよう。

この本自体は、なんだかんだ面白いんですよね。
個人的には森鴎外を紹介した章が好きです。
なんか、切ないな・・・鴎外の人生。

でも。白状しますと。
いちばん面白かったのは「あとがき」で。
この本がいかにして生まれたかというエピソードに。
とある女性への「お疲れ様」の気持ちが溢れて洪水になりました。

(2017.5.4)
知り合いから頂いた本です。面白かったです。
自分の読書の好みの偏りを炙り出されたのが、特に。
しかし、私の「座右の名文」は何だろう?
このタイトルで書けと言われても、今のとこ書けそうにない。

  

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