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そして、ひと月が過ぎ。

父が突然この世を去ってから。

長くて。長くて。
なのに振り返ると短い。
妙に淡々と静かな日々を送っていました。

何日も何日も眠れず。
今も通常通りの睡眠は取れません。

それでも。
普通に仕事に行き。
普通に食べ、お風呂に入り、買い物へ行き。

というよりも。
そういう日常の最低限以外、何もしていないのか。

常に。精一杯な感じがする。
ある意味、切実に生きている感じがする。

テレビも二週間は見る気が起きなかったけれど。
今は、お気に入りの番組だけは観ます。

別に泣き暮らしているわけでもない。
物も喉を通らないとまではいかない。

まぁ、食欲はないのだけれど。
食べなきゃと頑張って、一応食べてはいる。

掃除も洗濯も買い物も怠らず。
それどころか、毎日毎日片付けをして。

そうだ。
時間がありさえすれば。片づけていたのだ。

ゴミ捨てが重要行事となるほどに。
どんどんとゴミが出て。
なのにまだ。毎日処分できるものを探している。

父の不在にいつまでも慣れない。
いいえ。少しは慣れてきて。
でもそれは。いつか帰ってくるような気がしているからで。

時々。突発的に。
もう父は二度と帰って来ないのだ、と。
今さらにも今さらな事実に打たれて衝撃を受け。

しつこくしつこく。その事実を反芻し。
なのに。噛んでも噛んでも消化しない。

自分に言い聞かせるように。
もうお父さんは帰って来ないんだよ。
絶対に帰って来ないんだよ、と。

繰り返し繰り返し。
言葉というよりは強い強い念を体内に響かせるがごとく。
気がつくと、いつまでもいつまでも唱え続けている。

本は一冊だけ読みました。貧乏性なもので。
図書館の返却期限までになんとか読んでしまおうと。
返す数日前になって、宿題のように読み始めた本。

深緑野分『ベルリンは晴れているか』

辛い読書だった。
今、読むべき本ではなかった。

あ。感想は。また。いつか。
ひとことで言うなら。
大切な人がどんどん死んでいく話。
生き残った自分の生の正当性を疑いつつ生きていく話。

あ。違うかな。そう読めてしまうんだね、今は。

戦争を生き残ることが過酷だった、というところが。
すごくすごくよく描けていると思ったの。
そして。私たちはその戦争を生き残った人々の子孫なんだ、って。

生きのこらなかった人の子孫もいるのだけれど。
ていうか、それは私もちょっと該当するのだけれど。
その話は、また、本の感想が書けるようになった時に。

さて。
眠れなさに拍車がかかるくらい悩んで。
大きな大きな決断(私にとっては)を下したのだけれど。
その実現への道のりを思うと、時が止まる。

父が帰らないことを思うときも、時は止まる。
何か懐かしすぎることを思い出しても、時は止まる。

いま私の時間は、頻繁に停止する。

ブログを再開することは。時を動かすだろうか。
でも。やっぱり。キーボードに向かうと時が止まる。

動作や思考が固まるというのとは。似ているようで違うのだ。
虚しさ、というのともまたちょっと違う。
うまく言えない。

時が停止すると。
自分の人生が少し縮んだように感じる。
正確に言うと。停止した時間から戻ってきた時、それを感知する。

崩れてはいかないのだ。
縮むというより、齧られたという風な。
違う、一部、塗り固めたような。
違う違う。

自分の中に。
通行止の道が一つ、増えたような。
死んだのではなくて。消えたのでもなくて。
そこへは辿り着けない、そんな場所が生まれたような。

私自身のなかに。
もう二度と訪れることのできない部屋があるような。

けれど。閉ざされた道が増えるほどにむしろ。
可能性は広がるのかもしれない。

だから。敢えて。加速させるように。
自ら、扉のあるところは二度と開かぬように閉じながら。
歩き回っているような、そんな気もする。

今日が父の月命日でした。

明日から。ブログ再開いたします。
溜め込んだ記事を吐き出すというのが正しいかも。
書いてから随分と日が過ぎているものばかり。

通常はそれでも手直ししながら公開するのですが。
その手間は省略することになりそうです。

週に一度くらい休みつつ、ほぼ毎日アップする予定。
となると5月で記事は在庫切れとなります。

今のところはいちおう。たぶんですが。
まだ書けていない2018年に読んだ本の感想は書くつもりでいます。

それでまた、二ヶ月ほど延命することになりますが。
それから先のことはわかりません。

ひとつ確かなことがあります。
今までのように、もう本は読まないでしょう。
いいえ。読めないでしょう。

だから。ブログを続けていくにしても。
今までのようにはいかないということだけは間違いありません。

どこかに「きちんと締めくくりたい」という気持ちが生まれかけ。
それに被さるように「でも続けよう」という反論の声があります。

現実上のある問題が決着するまでは。
答えは出ないのだろうと思っています。

長くなりましたが。
常連の訪問者さまへの感謝と、再開のご挨拶とさせて頂きます。

お礼とお詫びと思い出と未来。

先日の。父の訃報記事に。
お悔やみの言葉、ありがとうございます。

ほんとうは個別にお返事すべきなのですが。
ここで、お声かけてくださった皆様にお礼申し上げます。

経験した人ならば、ご存知かと思いますが。
世帯主を予測もなく突然に失った家庭は。
兎にも角にも、手続きが山のようにあります。

私の忌引きは5日しかなくて。
(それでもあるだけで有難い世の中とも思いますが)
その間に、通夜とお葬式と最低限の事務手続きをして。

仕事に復帰してからも。
暇さえあれば、電話、電話、電話。
夜も朝も、書類、書類、書類。

休日は市役所。
これがうまく一度で済まず、もう5回は行きました。

あとは。
父がしてくれていた家事と買い物。
母ができないわけではないのですが。
そして、もちろん、人並み以上にしてくれているのですが。

母は足が悪いので。
無理をさせてはいけないのです。
だから父がいつも車の運転をして母と買い物へ行っていました。

私。ペーパードライバーではないのですが。
車の運転はどちらかというと苦手。
そんなこと言ってられなくて。
ここ半月、今までになく車のハンドルを握りました。

まぁ。この歳でも。乗れば慣れるものですね。
狭過ぎてイヤと敬遠していた道や駐車場も平気になりました。

つくづくと。
父に。ずっと甘えていたんだな、私。

ホントは私が運転して、父を乗せてあげなきゃいけなかったのに。
母だけでなく、私もよく送ってくれたり向かえに来てくれて。

ゴミ捨てと、掃除機かけと、新聞を取りに行くのと。
あと、お風呂洗いもよく、やってくれていた。
書類が必要な手続きは皆、コツコツとしてくれていた。

洗濯物を干したり、取り込んだりも。
とにかく、家族のために何かすることを優先していた。
嫌な顔をしたことが一度もない。

母が今日は自分で歩いて買い物へ行く、と言うと。
じゃあ、迎えに行く、と。
時間をおいて、自転車か車で迎えに行っていた。

毎朝、必ず、コーヒーを私の分も淹れてくれた。
私が予定より早く出掛けるような日は。
「コーヒー今から淹れるけれど、飲む時間ある?」と確認してくれた。
私の外出に合わせて、早めにコーヒーを淹れてくれたりした。

私と母が出かけて父だけ留守番の日も時々あったけれど。
そんな時は、いつもレンジでチンするチャーハンを食べていた。
それが不満というのでもなくて。ニコニコと笑顔で。
「じゃあ、おとうさん、あれ食べとく」といつも言っていた。

一人で家でのんびりしてるのも好きだったと思う。
何かをしなきゃとか、何かをしたいとか、何かが欲しいとか。
自分を縛る義務や欲が、驚くほど無い人だった。

そこが、物足りないなぁって私は感じていた。
不思議だなぁ、理解できないなぁとも思っていた。

ただ。訃報を知らせた父の友人が言ってくださったように。
「いつも幸せそう」だった、のが父という人で。
何も特別なことがなくても、普通の毎日を幸せに過ごせる人だった。

競馬と数独が好きだった。テレビでのスポーツ観戦も。
煙草も好きで、少しずつ減らしてはいたけれど。
禁煙なんて、ただの一度もしたことがなかった。
コーヒーは毎日、必ず朝、自分で淹れて飲んだ。
その時、絶対、柿ピーを小皿に出して添えてつまんでいた。

新しいことは特に好きではなくて。
いつもと同じ、がいいという人だった。
決まったペース、決まった銘柄。
それも、とてもとても平凡なものが好きで。

焼酎は、いいちこ。
ビールは、キリンビール(のちにアサヒに変わる)。
煙草はマイルドセブン。
コーヒーも普通のブレンド。
柿ピーは、亀田のノーマルなやつ。

ささやかな人生を、ささやかに、楽しんで生きていた。
誰にでも好かれる・・・というよりも。
なぜか、オバちゃんに異様に親しまれる人だった。

とにかく、優しい人だった。

でも。短気だったんだ。
皆が「穏やかで優しい」と言い、それはまちがいないのだけれど。
すごくすごく、短気な人だったんだ。

私はそれを知っている。自分もそうだったから。
家族も、もちろん気づいてる。
よその人は想像したこともないと思うけれど。

なんだっけ。私、何を言いたかったんだっけ。
父の自慢? 父の思い出? 父を喪った悲しみ?

父がいなくなって生じる「忙しさ」を言おうとしていたんだ。
そして。それは。その忙しさの意味するものは。

父が今まで私に与えてくれていた時間を表すものなんだ、って。
父が。なんでもしていてくれたから。
私には、自由な時間があったんだ、たっぷり。

なのに。時間がない、時間が足りないって。
そんな、愚かな言葉を平気で発していた。

悔やんでも。悔やんでも。泣いても泣いても。
私が、父から贈られた時間のお礼をすることはできない。

お父さん、ありがとう。お父さん、ごめんなさい。

こんな長い記事を書いておいて。信憑性は薄いかもしれませんが。
まだまだ、私はブログを再開できる状態ではありません。
気持ちの面でも。時間の面でも。体力的にも。

というよりも。
ブログを辞めることも。また考え始めています。
今までも。何度も何度も。辞めかけては続けてきましたが。
今度が多分、一番本気で辞める気持ちに傾いています。

それでも。
書き溜めた感想がそこそこな分量あるので。
それは順次、投稿していこうと考えています。

それに。
今年はどのみち、そう多く本を読むことはなさそうですから。
もしかしたら、ポツリポツリと感想を書き始めるかもしれません。

辞めるとしても。
緩やかに。終わりに向かって歩いていく感じになるのでしょう。

私の性格上。結局は辞めない可能性はかなり高い気もします。
今は。どちらとも答えは出せません。出しません。

もっともっと大きな問題が控えているから。
それが。どう決着するかによるのだと思います。

では。またしばらく留守にします。
様子を見に来てくださっている方(いらっしゃるのかな?)、
ごめんなさい。そして、ありがとうございます。

父がいない生活を。生活として成り立たせるために。
私は今、精一杯、頑張っています。
頑張らなくていい、頑張りすぎ、と心配してくれる人もいるけれど。
やっぱり、私は頑張りたいのです。

母も頑張っている。頑張っていないと言いながら頑張っている。
力を抜かなきゃいけないけれど。
力を抜くことにも頑張ってしまっている。

それも。まだ仕方ない。
時間はかかります。当たり前だ。
だって。お父さんがいなくなっちゃったんだもの。
ずっとずっと、私たちを支え続けてくれた人が消えたんだもの。
父の不在を埋めることなんて絶対にできっこないんだもの。

そのことを自覚した上で、頑張るけど無理はせずに。
私がいちばん私らしく生きていける暮らしを。
これから造っていきたいと思っています。

父の死

病気一つしたことのない父が。
昨日、あっという間にこの世を去ってしまいました。

私が出勤して。
その後、母が買い物へ出かけて。
母は買い物から40分後に帰宅して。

その時にはトイレで倒れていました。
すでに心肺停止でした。

朝。いつも通りに朝食を一緒にとり。
自分の仕事と父が決めている掃除もして。
私の分もコーヒーを淹れてくれ。

何もかも。
いつもと同じ朝だったのに。

父がいない暮らしが想像できません。
母と二人きり。
どちらも弱い人間なのに。
そんな二人を支え続けてくれた父が消えてしまった。

どれほど。我慢づよく。
どれほど。優しく。
どれほど。愛情深い人だったろう。

何もしてあげられなかった。

75歳は、若すぎるとは言わないかもしれないけれど。
でも。やっぱり早すぎる。

いつかは、ということは全く考えないわけではなかった。
でも。まだ、先のことだと思っていた。

親をなくすことは。
誰にでもあることと覚悟はしていた。
でも。今ではなかった。

トイレで倒れたと言っても。
服もきちんと着て、床一つ汚すこともなく、
きれいにパタリと倒れていたという。

とにかく、病気と縁がなく。
どこかが痛いとかしんどいとか口にしたこともない人で。
誰よりも健康に見えていた人だったから。

皆がただただ、びっくりして。信じられなくて。

そんな中、親族の一人が思わずつぶやいた。
「あまりにも爽やかに逝ってしまった」と。

仕事中の私は、メールも電話もロッカーの中。
後になって開いた母からのショートメールには。

「お父さんが亡くなってしまいました」
「お父さんが亡くなってしまいました」

と。二回、短かい言葉が繰り返されていました。

長かった父の逝った一日、それよりも長かった翌日、
そして、父を送る明日。

私の心は半分くらいは平静で、
けれど一睡も出来ないほどには動転から冷めず、
気がつくと、こうつぶやき続けている。

「お父さんがいない、お父さんがいない、お父さんがいない」

もう会えないなんて。
そんなおかしなことってあるだろうか。

ごめんなさい。
ブログ、当分、お休みします。

落ち着いたら帰って参りますね。

良き年にしたいとの思いを強くして。

nengazyou2019.jpg

2019年、元旦。
あけましておめでとうございます。

自分の力でどうにかなるものでもないでしょうが。
それでも、他人任せではなく。
日々をより良くできるように過ごしていきたいです。

去年の前半(というよりもほぼ八割方)が悲惨だったので。
その反動で、些細なことがとても幸せに感じられます。
うん。これはチャンスですよね。

小さなことばかりだけれど。
それでも、自分にもできることはある、と。
不思議と希望を持てているという珍しい現状ですから。

その貴重なる前向きさを活かして。
自分の機嫌を上手に取りながら日々を送りたいです。

今年も、昨年と同じく。
「美術海」から背景画像を拝借し。
筆ペンにて、ざっと文字を書いて終わりの簡単年賀状です。

いつも何パターンか作りますが。
今年はさっぱりと一種類にしました。
来年からも、そうしようと思います。

力を抜けるところは抜かなきゃだめだと思うようになりました。

さて。さて。新年の一冊目、何を読みましょうか。
思えば。そんなこと、意識したことがありませんでした。
詩集とか、俳句集なんかが似合いそうな気もします。

今年は去年よりたくさん本が読める予感。
根拠はありませんけれど。うん。20冊くらいは多く読めそう。

あ。去年読んだ本の冊数ですか?
220冊です。まぁまぁですよね。
(とは言え、料理本も手芸本も雑誌も含まれてますが)

冊数の問題ではないと繰り返し繰り返し書きながら。
年に300冊以上読んだ過去の栄光が忘れ難い私。
しかも、当時は雑誌や手芸本や料理本はカウントしてませんからね。

ただ。よくよく考えてみれば。
その頃はすべての本の感想なんて書いてはいなかったわけで。
そう思えば。現在の読書の方が「頑張っている」のかも。

そもそも。読書は趣味であって、努力の対象ではないのですけれども。
去年の私に勝ったぞ!ってちょっと、テンションがあがりますものね。

量より質、といくら言ってみても。
まぁ「質」って目に見えにくいから。
ついつい「量」で評価してしまう。
評価はしなくても。目安になるものね。

読み応えのあるものをたくさん読みたいです。
そういう本を読める、時間と精神と体力と知力の余裕が欲しいです。

いや。それは。願い求めるものではなく。
自分で創るものなんだな。

「読む」ことだって、
「観る」ことだって、
「聴く」ことだって、
立派に「創造」なんだと思っています。

その気持ちを堂々と宣言できるような、
豊かな読書の年にしたいというのが今年の抱負(の一つ)。

映画もたくさん、観れるといいなー。

新年の初めくらい。
何でも好きなことが好きなだけ出来ちゃう予感に身を任せ、
ほわーっと幸せな気持ちでいよう、そうしよう。

そのお気楽さが気がつくと年末まで続いていた、なんていう。
そういう奇跡を夢見つつ・・・



そして、今年も風邪をひく

年末年始。
私は仕事が休みではありません。
ここ3年は大晦日も元旦も働いておりました。
あ。去年は元旦だけ休みだったっけ。

要するに。忙しい時期なのです。
なのに、か。だから、か。
普段はひかない風邪をひきます。

今年こそは、絶対ひかない!と気合をいれていたのに。
今年もしっかり、ひいてしまいました。

38℃以上の熱が出たため。
もしやインフルエンザではとおびえましたが。
幸い、普通の風邪だったようです。

あー。良かった。

あとは。毎年恒例のように感染していた、ノロウイルス。
あれはインフルエンザ以上の地獄を見ますから。
今年こそは、絶対にかからないぞー!
あ。今年は今日までだった。来年こそは、か。

インフルエンザやノロウイルスにしょっちゅうなるなんて。
体調管理がなってないと言われそうですが。
あれやこれやと人一倍、気を遣っているはずなので。
職場の環境が苛酷過ぎるのと。
そもそもの基礎体力の無さ過ぎが原因と思われます。

一番いいのは、転職することです。
まだ諦めてはいないのですが・・・転職活動は小休止中。

ここでは語りませんが。
今年は色々ございまして、長く感じた一年でした。
それでも、ブログを辞めずに続けられたのは幸い。

いちばん苦しかった時期に不思議と辞めようと思わなかった。
その代わり、頑張ろうという気持ちもありませんでした。
かと言って好きだからやっている、というのとも少し違って。

読んだ本の記録を残したいという単純な理由かな、今は。
それなら、本の題名と著者名だけでも良さそうなんですけれど。
やはり感想を書き残しておくと、後々読み返して楽しいんです。

本を紹介しようという気持ちは・・・弱まっています。ごめんなさい。
読んで感じたことをなるべく正直に書く、それだけです。

紹介というつもりであれば、良いと思った本だけにするでしょう。
自分が読んだ本すべての感想を書くという方針を捨てないのは、
たとえ、読んで損したと感じるような本であったとしても、
それを読んだという事実と、その本に対して感じた想いを大切にしよう、
それらを役立てようとまでは欲張らないけれど、
読むことに費やした時間と労力を少しでも生かしたい、
そういう、まぁ貧乏性的な考えからかもしれません。

それに。
面白くなかったり腹がたったりした本の感想って。
意外と面白かったりもしますしね(自分自身にとっても)。

本って読む側のコンディションでも感想は異なるし。
自分がどう感じたかっていうことがそんなに大事だろうか。
うん。大事なんですね。「自分」は「こう思った」ってところが。

だって。それがなかったら、本を読む意味がないですもの。
単に面白いものを読みたいっていう面もありますけれど。
どういうものが、どうして面白いと思ったかは明らかにしたい。

まぁねぇ。
そこのところを表現できるほど冴えた感想はなかなか書けませんが。
それでも、何も書かないよりはいい、そう思っています。

毎年毎年、来年は今年よりも良き読書生活をしたいと言いつつ。
さして代わり映えのしない、お気楽濫読で終えている気がします。
えー。それでも懲りずに決意しましょう。

今年よりは豊かな読書生活をするぞ!
(別に今年が貧しかったとか言うわけでもないですが)

で。毎年宣言しつつ、実現しない「自己啓発本の卒業」も。
いや。もう本当に。来年こそは!ですよ。

これは。買った本だけ読めば実現可能なわけで。
というのも、この類いの本を買うことはなく。
つまり、全て借りて読んでいるということで。
裏返せば。買ってまで読みたいものではないわけです。

身銭を切ってでも読みたい本だけ読めば。
読書の質は向上するかもしませんね。
何でも気軽に借りれちゃうというのも弊害があるのです。

そうですね。
スパッと。やめてみましょう。今度こそ。

図書館の予約本の中に、一冊だけ自己啓発本があったので。
それだけは読むことになるでしょうけれど。
それで終わりにします。

気分転換に軽く読めるという利点がありますが。
結局、心には響かない。
アイデアや考え方として参考になる部分もありますが。
つまみ食い的にしかなり得ない。

何より。
自己啓発本の著者って軒並み文章が下手!
もちろん、例外はありますが、ごくごく稀。

来年は、文章を味わって読む読書をしたいと思います。
ええと・・・半分くらいは。
読書の楽しみを「文章」に限定してしまうのは勿体ないしね。

では。来年、大好きな本にたくさん出会えることを祈りつつ。
いつも訪問下さっている方々に心より感謝しつつ。
今年より多くの本を読めることを願いつつ。

読書の感想を溜めずに。
読んだらすぐ書く習慣が身に付くことを切望しつつ。

もっと楽に。もっと楽しく。もっとのんびり。
力を抜きつつ、充実した日々を送れるような。
そんな一年にしたいという野望を抱きつつ。

来年に向けての準備に、今日一日励もうと思います。
では。来年(明日)またお会い致しましょう。
  

プロフィール

Author:彩月氷香

とにかく本が好き
読書感想がメインですが
時々、写真や雑記も。

*初めましてのご挨拶
*ブログタイトルの由来

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