Loading…
 

雪と珊瑚と  梨木香歩

4041101433

角川書店
Amazon

避けることができない。逃げることもできない。

若いシングルマザー
スローフードな総菜屋兼カフェ
パン屋さんのアルバイト
浮世離れしたオールドレディ

本書の内容をキーワード的にピックアップするといかにも現代的で、少女趣味にも見受けられる。主人公が子供をまったく愛せない母親に育てられた過去を持つという要素が加わり、その印象は一層濃くなる。

だが、ふんわりお伽噺めいた空気の中に、ぎらりと光る鋭い人間観察がある。ああ、見たくない!と呻いてしまうような。やめて!と耳を塞ぎたくなるような。

優しく穏やかな海の、ずっとずっと深いところには、目も退化してしまった巨大な深海魚が大きく口を開けて構えている・・・そんな感じのひたひたと重く静かな怖さがある。

いやいや。もっと鋭く刺さる痛みだ。
いやいやいや、ズキズキとした深く長く続く鈍痛だ。

その痛みは表情が一定しない。感じる側の揺らぎに呼応しているのだろう。痛みの元は自らの中にあり、その自らというのは詳しく言うと「認めたくない自分」である。臆病さか、頑さか、偽りか、驕りか・・・いずれにせよ、自分が「持っている」と知りつつも直視せぬように日々心掛けているものたちだ。

理解出来ない、したくない、融和出来ない、関わりたくない、そんな他者をただ単純に憎めたなら。もしくは視界や脳から徹底的に排除できたら、人生はどんなに楽になるだろう。それができないことが人間の苦悩のうちでも最も大きなものなのではないか。

私自身、人生の大半を少数派として生きてきた。その点が主人公の珊瑚と似ている。「理解されないこと」「孤立すること」をほぼ恐れないところも。

しかし、そうであっても。他者への依存はゼロではない。周囲に打ち解ける努力をしない人間だからこその「目立たない甘え」がある。甘える対象が限定されているし、本人に甘えているという意識が薄い面もある。客観的にも気付く人の少ない「甘え」だ。だが、それを察知する人には激しく憎まれる。

だから主人公に強い「嫌悪感」をぶつけてきたアルバイトの同僚の存在は私にとって自らの現実のように生々しかった。理不尽だと感じながらも、その憎しみが「わかる」のだ。

人と人との関係には結局のところ是も非もない。客観的に見て、どちらかが「正しそう」だという判断はできるが、そのことが当事者を救いはしない。

テーマは、おそらく、ここにある。
娘の育児を放棄した母親を「悪人」と呼ぶことは簡単だが、その母は「母」としてだけ生きているわけではない。娘にとっては承服しかねる事実を、でも主人公は受け入れようとしている・・・のだろうか?

疑問形になるのは。まだ彼女が闘い続けているから。でも。そうすること、そうできることが「希望」なのだと暗示されていると感じた。

(2017.1.31)
「痛み」ばかりを取り上げましたが、「ああ近くにこんなカフェがあったらいいな」「こんな老女になれたらいいな」「わぁ美味しそうな料理だな!」という癒し要素もたっぷりあります。惣菜メニューの命名シーンがほのぼのします。

僕は、そして僕たちはどう生きるか  梨木香歩

4652079796

理論社
Amazon

この本の中には。なぜ私が学校というものが大嫌いだったか、その理由が描かれていると感じた。本書に描かれるような事件があったわけではないのだけれど。常に集団の倫理に追いつめられる、或は弾かれる側の生徒だった私は、それでも周囲に合わせることなく、否、合わせる技術を持たず、孤立していた。

不登校にならずに(ほぼ一歩手前だったけれど)済んだのは、運が良かったのと(どんな時も周囲から浮き上がっていたが、積極的に虐められることはなかった)、死ぬほど厭でも学校には行くしかない、そうしないと親が哀しむからという強い意識があったからだ。

私を無視してくれた(或は穏やかな嫌がらせに留めてくれた)周囲の生徒たちはまだ優しかったかもしれない。しかし、偽善の塊のような勘違い熱血教師というものはやはり存在したし、私がやっていない犯罪を私に置い被せた教師もいた。

ああしんどい。読みながら何度も思った。痛い、痛い、痛い。思い出したくないことをたくさん思い出した。主人公と同じく、私も善意を装った遠回りの加害者だったことも当然ある。子供時代は毎日が「なんとか生き延びる」という感覚だった。

こんなに子供が哲学的だろうかと疑問を持つ人もあるかもしれないけれど。子供というものはもしかしたら大人より遥かに真剣に社会の中での自分の立ち位置というものについて考えている。「いかに生きるか」ということを、切実に自分の生死に関わる問題として考えずには越せない日常を生きている。

そういう子供ばかりではないのかもしれないけれど。時々、気が抜けてしまうほど明るい子供時代について見聞きすると、どこかにはそういう子供の楽園があるのだろうなと思ったりもするけれど。そもそも私は、私以外の大半の子供は暢気に生きているんだと思い込んでいた節があるけれど。

群れることが最大の苦痛だったし、そもそも群れに加わることが出来なかったし、群れている姿はおしなべて醜悪だと嫌悪していたし。群れからはみ出しても生きていける自分であることに鍛錬して歩んで来たつもりだし。

そんな私にとって、本書の結びの言葉はすんなりと腑に落ちたとは言い難い。
(以下に引用)

 そう、人が生きるために、群れは必要だ。強制や糾弾のない、許し合える、ゆるやかで温かい絆の群れが。人が一人になることも了解してくれる、離れていくことも認めてくれる、けど、いつでも迎えてくれる、そんな「いい加減」の群れ。

 そういう「群れの体温」みたいなものを必要としている人に、いざ、出会ったら、ときを逸せず、すぐさま迷わず、この言葉を言う力を、自分につけるために、僕は、考え続けて、生きていく。

 やあ。
 よかったら、ここにおいでよ。
 気に入ったら、
 ここが君の席だよ。

でも、そうなのかもしれないな。そうなのだろうな。それがすべてではないけれど、このような群れがあれば救われる人はたくさんいるのだろうな。もしかしたら私自身もそうだったかもしれない。居場所を求めて彷徨う人だらけの中、勝ち取らなければならない固定の席ではなく、束の間腰かけて休憩するようなベンチが提供しあえるような、ゆるやかな群れの一員であれたなら・・・

以下、ひたすら本文からの書き抜き。

・・・・ああ、そうか、僕が「どっきりカメラ」みたいなものにもつ嫌な感じは、それなのかもしれない。実験している感じ。対等な場所からではなく、相手より安全な場所から、その相手を観察している感じ。やっている本人に明確な悪意はないんだろうけれど、その「無邪気さ」を隠れ蓑にして、人を笑いものにする。そう、こいつのことをみんなで笑おうよ、みたいな妙ななれなれしさと媚び。人一人犠牲にして簡単に仲間意識を捏造しようとするお手軽さと無理矢理さ。笑いの質の不健全さ。演出する方にも見せられてつい笑う方にも、後ろめたさみたいなものが必ずあると思う。後味の悪い笑い。

 人は、人を「実験」してはいけないんだ。

 僕は軍隊でも生きていけるだろう。どれは、「鈍い」からでも「健康的」だからでもない。自分の意識すら誤摩化すほど、ずる賢いからだ。

 これが、僕が長い間「カッコに括っていたもの」の正体だったのだろうか。

 一人の個性を無理やり大人数に合わせようとする。数をかさにきて、一人の個性をつぶそうとする。しかも表向き、みんなになじませようとしているんだ、という親切を装って。

 ユージンは、この間ずっとコッコちゃんのことを「ニワトリ」と呼んでいた。もう「コッコちゃん」とは呼べないのだろう。

 僕にはもう自信がなかった。
 自分が、いざとなったら親友さえ裏切って大勢の側につく人間なんだと思うと。

「黙ってた方が、何か、プライドを保てる気がするんだ。こんなことに傷ついていない、なんとも思っていないっていう方が、人間の器が大きいようなきがするんだ。でも、それは違う。大事なことがとりこぼされていく。人間は傷つきやすくて壊れやすいものだってことが。傷ついていないふりをするのはかっこいいことでも強いことでもないよ。あんたが踏んでんのは私の足で、痛いんだ、早く外してくれ、って言わなきゃ」

「言っても外してくれなかったら?」

「怒る。怒るべきときを逸したらだめだ。無視されてもいいから怒ってみせる。じゃないと、相手は同じことをずっと繰り返す」

「怒っても、ずっと同じことを繰り返されたら」

「それ以上は、相手の抱えてる問題だな。こっちに非はない」

「でも、ショウコちゃん、踏まれてても痛いって感じること、少ないんじゃない?」

「そうかもしれない」

「むしろ、ショウコは人の足踏みつけて気づいていない方だな」


(2016.11.16)
よく、こんなしんどい本を書けたなと感心する。吉野源三郎の「君たちはどう生きるか」が根底にあることはタイトルと主人公の渾名(コペルくん)から、すぐにわかるのだけれど。このような形で「生き方」を正面から問うには精神的な体力が相当必要だろう。読むだけでも疲弊するこの物語を梨木さんが書いたことに、私は使命感というよりも「怒り」を感じた。そしてその「怒り」は私の中にもある。著者がその怒りをこうして表明してくれたことに、深く感謝したい。
 

春になったら苺を摘みに  梨木香歩

4101253366
新潮文庫
Amazon

著者の英国に暮らした日々が繊細な筆致で描かれている。

色合いは淡いのに、どこか凄みのある奥行きを感じさせる絵のよう。
イギリスの風景のように重みのある瑞々しさを湛えた空気に包まれて。

上品で優しい老婦人、訳あり過ぎる下宿人たち。
奥ゆかしいというよりも、遠回りな迷い道を思わせる人間模様。

優しさも思いやりも知識も、人の心の居場所を作るには足りない。
落ち着く場所を見つけることの出来ない魂はどこへ行くのだろう?

心に沁み入る淋しさの傍らに、微笑みを浮かべて寄り添うもの。
何を願い何を信じて、人は旅するのだろう。客人を迎えるのだろう。

(2012.4.17)
幾度も、きっと。この先、読み返すだろうと思います。

f植物園の巣穴   梨木香歩

4022505885
朝日新聞出版
Amazon

読み進むほどに「夢」の様相が濃くなって行く。

筋書きは異なるけれど、私もこんな風な夢を見る。
不可解で非科学的でありながら、情景が鮮明で懐かしくて。

ふだん、心の奥底に押し込めているものが、
その存在を暗示するべく、化けて次々と現れる。

右往左往、ひたすらに迷い路を歩き、
疲れ果てて、不吉な出来事にも無感動になりつつ、
じわじわと目覚め始めている過去の幻影に脅かされる。

希望と不安がないまぜになって。
進みたくないけれど、引き返せない・・・・

あなたの心のなかには、隠し扉はありますか?

忘れられるはずもないことを、忘れようとする時に。
記憶を閉じ込めておく秘密の部屋の扉。

鍵をかけて、その鍵も闇に葬って。
その扉も、暗黒の壁のなかに塗りこめて。

けれど。扉への道は、ある日ふたたび、出現する。
消えないもの、消せないものは、必ず持ち主を手招きする。

そして。ずっしりと重く、苦しい筈の再会は。
救いと和解と希望の出会いになる・・・時の癒しの作用で。

迷い疲れた果ての、呆気ないほどの平穏。

長かった道のりを・・・さらに歩んだ道中に犯した罪の数々をも、
慈しむことが出来た時、人は成長し、過去を乗り越えるのかもしれない。 

主人公と同じく。手遅れになる前に、その扉に気づくことができますように。

(2012.1.17)
どこへ連れて行かれるのだろうかと、訝しみながら読みました。
むやみに枝分かれして、無駄に迷わされているように思えた道が、
最後の数頁で、すっと一本に纏まり・・・、思わず息を呑みました。


沼地のある森を抜けて  梨木香歩

4101253390
新潮文庫
Amazon

主人公の久美。なんとも、冷めてます。
いや、情感はある・・・意外と繊細なんだけど。
なんだろ、この、パキポキ感?サバサバよりも骨っぽい。

なんて表現していいか、掴めずにいるのだけど。
ただ、この女性の思考の温度が私に近いなぁ・・・。

これって、女としては欠点だろうな。
なんだか、激しく親近感。同病相哀れむ・・・の域だ。

うめく「ぬか床」。先祖伝来のそれが呼ぶ、怪奇現象。
突飛過ぎるのに、すっと入って行ける世界観はいつも通りながら。

著者が「渾身の思いで描いた」「出しきった」という本作。
実は・・・それゆえに、物語が破綻してしまっていて・・・。
メッセージを込め過ぎて、ストーリーが迷走気味。

壮大なんだけど。それが、正直。キツイ言い方すると。
できそこないSFもどきファンタジー、になっちゃってて。

魅力的なモチーフや登場人物が散らばってるので。
内容を分けて、物語を二つ書いたほうが良かった・・・?

なんだか。油性のドレッシングみたいなの。
ふり混ぜたら、一瞬はひとつになるけど、すぐ二層に分離しちゃう。

あ~。出だしが凄く良かっただけに残念。

(2011.6.10)
謎めいた箱庭をこっそりと、覗き見るような・・・。
そういう物語の方が、著者の良さが発揮される気がします。


  

プロフィール

Author:彩月氷香

とにかく本が好き
読書感想がメインですが
時々、写真や雑記も。

*初めましてのご挨拶
*ブログタイトルの由来

<別館のご案内>
Instagram
99%、花の写真です。

moleskine絵日記
ちいさな絵日記。

カテゴリ

最新コメント

データ取得中...

月別アーカイブ

***