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『僕が殺した人と僕を殺した人』東山彰良

4163906436
文藝春秋
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少年と少女の違い。

登場人物たちを。
男の子から女の子に変えたら。
たぶん、間違いなく、この物語は成立しない。

そういう意味では私は、少し羨ましいのかもしれない。
でも。その羨望の対象が「友情」というものだとしたら。
それは結局、幸せを生むものでもないとも言える。

思い出は残る。
それは宝というより傷跡としてだったりするけれど。
消そうとして必死になる汚点の場合もあるけれど。
妙に眩しい牧歌的なワンシーンに集約されもするけれど。

「それ」と。再会するというのは。
実は望まない人も多く、実際に二度と会わない人もいる。
私もどちらかというと、かなり会いたくない。

体験していた当時の自分と。
年月を経て振り返る自分は。
同じ人間ということになっているが・・・

残念ながら、違う。違うけれど別人ではない。
似ている他者でもないし、成長の変化でもない。

人間はそんなに変るものではない。
だったら素直に「同じ」か「相似」で良さそうだが。
変らないながらに、「異なる」のだ。

人は変われる、というのと。
人は何があっても変らない、というのとが。
同時に真実であるということ。
それが時として、とても残酷な物語となる。

以下、作中、過去に親友だった者同士に交わされる会話。

「本質が事実より大切だと思ってるの?」
「事実は変えられませんが、事実の背後に隠されている本質にはさまざまな貌があります。それが被害者遺族の慰めになるかもしれません」

哀しいことに、というよりも当然のこととして。
本質なんて見えはしない。
否、語られている通り「さまざまな貌」であって。

貌がいっぱい見えたなら。余計に辛くないか?
その中から好きなのを選べるというのは救いになるか?

それは結局。「ならない」けれど「なる」。
慰めとなるものを、半ば自力で生み出すしかないから。
ないものでも、あることにする。それが人間だ。

あのかびすしい日々のなかで、ぼくは不幸の予感に怯えていただけなんだと気づいた。だからわかるのだが、不幸の予感は不幸そのものよりもずっと手強い。巨大で邪悪で牙が生えている影の正体が、小さくて可愛らしい生き物だということもある。人はどんなことがあろうと楽しく生きていけるものだし、逆にどんなことがあろうと不幸せに生きていくこともできる。

かなり雑な言い方になるが。
人間は二種類に大別できるという見方もできる。
「不幸に生きるのが得意」な人と。
「楽しく生きるのが得意」な人と。

そして、「得意」なことを変えることも出来なくはない。
「得意」「不得意」は案外「思い込み」で作られているから。
どちらを選ぶかを決める、という姿勢の話になるのだとも思う。

もちろん、不幸である自分しか選べない人もいる。

私自身は。振り返ることは「不幸」の原動力になる。
「不幸に生き続ける」ことは、あまりにも容易い。
だから。思い出すことをなるべくしない。
その思い出が楽しかろうとも。輝いていようとも。

さて。
私は当初から、この作品の設定年代を近く感じた。
著者が私と年齢が近いのかと思ったけれど。少し違った。
誤差と言えなくもないけれど、同じ年代ではない。

それでも。やはり、作中の台詞を頼りに計算すると。
登場人物たちと私は、かなり近い年代を過ごしている。

私は時代の流行をとことん無視する方だったから。
あまり、風俗や文化面で時代を共有する感覚がない。
自分より古い時代の方に馴染みを感じたりする。

しかし。新聞を隅々まで熟読する子供だったために。
小中学校時代の社会情勢は異様なほど強く記憶している。
時代の空気を生身でなく、活字で実感していたのだ。

活字的な「時代感覚」は。
妙な具合な「レーダー」となって働く。

生きた時代と無縁であることは絶対に出来ないのだな。
その時代を自分の時代と思ったことが一度とて無くても。
一切、関わらないと頑なに孤立して過ごしたとしても。
同じ時代を生きた人と共通点などないと言い切ってみても。

当たり前のことだけれど。いささか悔しい。
その場所に「属した」ことはなかったと言い張っても。
ちゃんと、その場(時代)の痕跡が自分にある。

意図的にか、生来的にか定かではないが。
「ノスタルジー」を私は皆無と言えるほど持っていない。
(ノスタルジー=過ぎ去った時代を懐かしむ心)

でも。積極的に「懐かしまない」としても。
懐かしいものが現れた時、ドキッとすることはある。

通常は懐かしいであろうものを懐かしがらない私は。
懐かしむ心そのものを敵視しているのかもしれない。

根拠の薄い私見だが。
男性の方が「懐かしむ心」を強く持っているようだ。
女性の方が、昔を語らない。あるいは温存しない。

「懐かしさ」が「今」と直結しやすいのが女性で。
男性は「懐かしさ」で完結できている気がする。
というよりも、現在に繋げることが男性はできない。

ノスタルジーの「純粋さ」という点で。
女は男に負けるような気がするのだ。

結局、女の方が図太いのだ。そうならざるを得ないのだ。
しかし。自分が女であることの実感の薄い私は。
またそれとも少し違っているようで。

まぁ。思い出に対していかに身を処すかなんて。
その時々によるというか、論じてみても戯言だ。

否が応でも対峙しなければならない状況を描けば。
それは安易なほどに「物語」たり得るということ。
そういう意味ではステレオタイプな小説と言える。

ちょっとした仕掛けが利いていること。
語り口の温度の心地よさと。
否定してもできぬ共通する時代の空気と。

それだけかな?

でも。好きだな。
ノスタルジーをノスタルジーだけで完結することを。
著者は拒否している・・・だからかな。

うん。
思い出を美しく。
もしくはセンセーショナルに描くだけなら退屈だ。
読者を楽しませる工夫に満ち、それに成功していたとしても。

描かれた思い出を疑似代験するだけ。
そして、それに触発されて自分の思い出を重ねるだけ。

すでに起きてしまって訂正できない過去、という、
本来、まったく意味がないはずのものに。
意味をつけなければ前に進めない人間に。
優し過ぎる視線を注いでいるのが本書だと思う。

もっと厳しく描くこともできた。
だから「甘い」と糾弾することもできる。

でも。甘さや優しさに癒されてもいいじゃないか。
その優しさが逆に、「救いのない殺人」を、
飾らずに美化せずに言い訳もせずに描き出せたのだから。

仮定を否定して。その否定を否定して。
あるいは、適当に保留して。

「〜かも」と語尾を濁していれば。
それらしいことを言っているような言ってないような。
曖昧な自分を半ば恥じ、半ば開き直り、ひっそり許しを請う。

誰もが許されることを望んでいる。
請わなくても既に許されていることも多いのに。

「自分で自分が許せるかどうか」
最終的にはただ、それだけのことで。

そうとたとえわかっていても簡単に許せない。
あるいは自分を許すことを頑なに認めない。

自分を許してもいいのだと思えなかった、
もしくは自分を許すという発想すらなかった、
それがこの物語の主人公(の一人)だった。

・・・と。
ちょっと格好つけて断定してみる、とりあえず。

(2018.29)
初めましてな作家さんでした。
新聞の書評で見て。タイトルに惹かれて。
もっと読者を突き放したラストでも良かったんだけどな。
その辺の優しさというか、甘さも嫌いではありません。
オーウェルの「1984年」が度々、引用されて。
なんか多いんだよなぁ、近頃。そういえば。
たぶん現実の「1984年」に少年期を過ごした人が。
ちょうど振り返る時期に差し掛かっているせいでしょうか。
苦手な本だけど、そろそろ読みなおしてみようかな。

『美男へのレッスン』橋本 治

4120023672
中央公論社
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悔しいほど面白く、やがて息切れ。

読み終えた本が。
付箋で膨れ上がっておりました。

端的に言いますと。
内容は「屁理屈が踊る」です。

こういうの大好き〜
マネしてみたいくらいだけど。
私の屁理屈くらいじゃ、こんなに長く踊れないかも。

思うに。ふつうの人も長時間は踊れる。
それは一晩中、盆踊りを踊る感じで。
多少の振り付けやノリや曲の変化はあっても。
基本、ずーっと、同じことをやっている。

ま。盆踊りも達人レベルになると。
延々と踊っても、観客を魅了できるわけですが。
(こういうタイプの踊り手さん(書き手)も多い)

橋本さんは違う。
盆踊りも踊るが、タンゴもサンバもフラダンスも、
社交ダンスも、バレエも、ヒップホップも踊る。

だから、見ていて飽きない。
だけど、衣装と顔は変ってないから、なんかオカシイ。
そして、一貫性はないようでちゃんとある。

しかし、どの踊りもその道のプロからは眉をひそめられそうで。
じゃあ下手かというと、上手い。

という、非常にわかりにく比喩は置いといて。
もう少しひらたく説明いたしますと。

「美男とは何か」を延々と語り続け。
「だから、結局、美男てなんなんだよー!」
……と、読者に絶叫させるであろう「美男論」です。

面白いんです。目から鱗が落ちるというより。
目から飛び出した鱗が乱舞して、眼の前が花吹雪、みたいな。

美の基準は変化する。時代とともに。
それはまぁ、ありきたりな話。
しかし、洞察の鋭さと見抜いたものの表現法は非凡。

説明が難しいな。
ものすごく真面目な文化論として読める部分も多々あり。
「は?は?はぁー?」と意味不明になる部分も少々あり。

ただ、とにかく。頭の中は読んでいて忙しい。
クルクル回る脳内の景色にワクワクする。

随所で。
「そうそうそうそうそうだよ!」と首を縦振りし。

時々。
「んんんんん……?」と首をガクッと傾げ。

度々。
「ちゃうちゃうちゃう!」とブンブン首を横振りし。

ええ。頭の中と同時に首も忙しい読書でした。

どんどん進んでっちゃうんだもんなぁ。
調子はふざけているけれど。
ギクッとするような鋭い指摘があって。

でも。チャラチャラ〜、ラッタッタ〜!と通過して行く。
スキップしてるみたいに。リズムがね。
時々、ワザとコケてイテテとやる過剰なサービスつき。

ご自身の前言を撤回してるのか、展開してるのか。
それとも転回しているのか。放り投げているのか。

続いているようで続いてないような。
いや。途中までは細部には異論もありつつ。
その繋がりの糸が見えていたのだけれど。

最終章あたりから、糸が切れて飛んでった感があり。

あ。見失った。
え。飛んでったと思ったら、ブーメラン式に帰って来た。
あ。足元に落ちて来た。

……みたいな。

(2018.8.23)
いやぁ。楽しかった。読んでいる間のライブ感が。
最後に「知性は、それ自体が美である」って言われると。
ちょっと、つまらなくて。それを見越したように添えられた、
「あるいは、なーんだというような話」で終わっちゃった印象。

「美しさ」をなぜ人は求め、何を「美しい」と感じるか。
「美の基準」はわかるようで、わからない。明確ではない。
その対象を「男」というものに限定したところで正解などない。
「これが美男です」と言って、万人が納得できるわけがない。

美男を語りながら。「自分の顔を持て」と連呼する著者。
きっと。マジメな人なんだろうね。たぶん。
本気でふざけるというのは偉大な才能のひとつで。
それが出来る人は恐ろしく真面目な人なんだ。

……とか、真面目にまとめちゃってゴメン。
(という気分になる本でした)

読みつつ貼った付箋、85枚!

『マチネの終わりに』平野啓一郎

4620108197
毎日新聞出版
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恋愛小説・・・のはずですけれど。

いえ。正真正銘、ベタな恋愛小説でしょう。
著者のイメージには「恋愛」はなく。
かえって面白いかなぁ・・・と読んでみたのです。

実は。デビュー作と、二番目の作品を読み。
駄目だこりゃ、と読まなくなった作家。

美しい日本語って言われてましたが。同意出来ず。
美しげな言葉で書いた内容のない小説と断定。

まぁとにかく。好奇心で読み始めた本作。
心理描写が丁寧。細やか。わかりやすい。心に響く。
加えて、読み心地がいい。

主人公の男と女。
私は女の方に感情移入できませんでした。
女性全般に嫌われそうなタイプですね。

ふたりの恋路に邪魔が入る。
これが・・・「昼ドラですか?」な陳腐な展開。
思わず、本をぶん投げそうになりました。

でも。たぶん。私が歳をとったからなんでしょう。
昔だったら怒り狂ったであろう人や出来事が「許せる」。

言ってしまえば。
こんなもんだよね、と納得出来る。

恋愛って。
好きだから好きだ、好きなんだから仕方ないだろー!
・・・と突っ走るのが、ザ・王道でしょう。

愛しているから「引く」というのもありますけれど。
ていうか。その方が実は多いかもしれませんけど。

引き過ぎているんですね、この小説の二人。
そこに親近感かつ、リアリティを感じます。
突っ走らないのは極めて現代的。

恋愛が全てに優先していない二人でもあって。
自らの「生き方」「使命」「目的」「役割」ということを。
日々、真面目に考えている。だから恋愛に振り切らない。

そこがすごく共感できる。

この人が疑いもなく「運命の相手」だとわかっているのに。
その「運命」は諦めるべきものと思ってしまう。

しかし、別れのきっかけだけは。
なんか他に方法がなかったかな?
昼ドラ展開にしないでも、描けなかったのかな?

主役の男と女は。とにもかくにも「主役級」の人材で。
脇役は「どう転んでも脇役でしかない」人材で。
そのことを傍役自身に自覚させ語らせる残酷さは、上手い。

心模様の織り方が好きですね。
とても、美しい模様です。
恋愛というものがあってもなくても良かったような・・・
特に、恋模様に私は見惚れるということはなく読んでいました。

感想は難しくて。

十分に好きだけれど。
何かが違えば、もっと好きになれたかもしれないと感じさせられる。
だからと言って、それを「惜しい」と言い換えるのも安易なような。

うん。でも。
私がかつて思っていたよりずっと。
平野啓一郎という人は「書ける」という印象とともに。
ちょっと、興味も湧いてきた・・・かな。だな。

同世代観、みたいなのは、意外とある。
すごく、真面目な人なんだな、きっと。
そして、残念ながら。この人の「底」はそれほど深くはない。

(2018.1.30)

『猫には推理がよく似合う』深木章子

4041044537

角川書店
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おや、これは、なかなか新鮮なミステリー。

猫とミステリーの組み合わせは珍しくない。
その猫が真っ白のスコティッシュフォールドで。
しかも、気を許した人間だけに喋るとしても。
ま、さほど驚くことでもない。

猫の名前に関しては笑える。
(これから読む人のために言わずにおきます)
猫の程々に我儘な性格もいかにも猫らしくていい。
猫が実は大のミステリー好きなんていうのも面白い。

のどかなミステリーだと思っていたら。
最後にちょっとした急展開。

私・・・勘だけで犯人、わかっちゃいましたけど。
犯人以外のところでビックリしました。

そ、れ、は! 想像もしていなかった!

このアイデアと作品全体の雰囲気、買えます。
ただ、最後は尻すぼみと言いますか。
衝撃の事実の後始末的な展開のところが弱い。

初めましての作家さんでしたが。
いわゆる当たり外れのあるタイプでしょうか。
創意工夫があり、細やかなんだけど、ちょっと雑。
一生懸命ミステリー書いてる人にありがちな・・・

でも。案外、この感じは好きかもしれない。
そもそも、ミステリーなんて不自然なんですから。
リアリティーを求め過ぎると社会小説になっちゃう。

失礼ながら、外れる覚悟を持って読めば楽しめそうです。

(2017.6.3)
ミステリの「当たり外れ」って。
まぁ個人の好みが相当、影響するんですよね。
レビューを読むと、絶賛の声と酷評が同数ってのいうもザラ。
相対的に評価が高くて、安定感がある人は大抵、超人気作家。
でも、人気作家の作品って新鮮ではないんです。
ちょっと下手、なのが愛嬌になる気がします、ミステリって。
基本的には私の好みは、「ザ・王道・本格・傑作」ですけれど。

『昭和の犬』姫野カオルコ

434402446X

幻冬舎
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白い色がすごく目立ったんだと思うの。なにか一つだけ目立つ要素があると、人ってそのほかの要素を見なくなってしまうというか、見えなくなってしまうんだよ、きっと

主人公がテレビの主役だった犬について言及する場面。
人間の思い込みの激しさ、先入観の強さを示すいい例です。

実は私も著者に対して同じような思い込みを持っておりまして。
「姫野カオルコ」という名前だけでアレルギーを起こし。
いまだかつて一度も手にとったことがない作家さんでした。

名前の印象はというと。
キラキラしてて「強い」女子。
とにかく、私が敬遠するタイプです。

この名前を「強そう」と感じる私の感性がおかしいような・・・
ともかく。強そうな女性が凄く苦手なのです。

それが、直木賞受賞の様子がテレビで写り。
あれ、面白いおばちゃん!と著者の印象が変わりました。
それで読んでみようと言う気持ちになったいう次第。

で。面白かったです。
ワンちゃん(色々出て来ます)と共に主人公の人生が語られる。
独特なユーモアのセンスに時々、置いてきぼりをくらいますが。

作風から言うと。好きということはないです。
文章が上手いのか下手なのかよくわからないというか。
読みやすそうなのに、意外と読みにくいというか。

ただ。この作品がちょっと特殊なのかな?

(2014.8.7)
今後、その方針が守られるかどうかわかりませんが。
基本的には一冊読んだだけで作家を判断しない主義です。
よほど「だーめだ、こりゃ」な場合は別として。
同じ作家の本を二冊は読んでみることにしています。
でもね。近頃、人生の短さと読みたい本の多さに。
この方針は放棄しようかと考え始めています。

  

プロフィール

Author:彩月氷香

とにかく本が好き
読書感想がメインですが
時々、写真や雑記も。

*初めましてのご挨拶
*ブログタイトルの由来

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