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海を呼びもどす  片岡義男

4334716407
光文社
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スタイリッシュな卑怯者。

主人公がモテモテで。
えらい彼に都合のいい話だなぁと思って・・・
ふと浮かんだのが、冒頭の言葉。

そして。なぜか思い出したのが。
若い頃、大好きだった村上春樹の「ノルウェイの森」。
それから、「ノルウェイの森」を愛読していた青年。

彼が自分のことを「卑怯者」と言い切った瞬間のことも、
ほんとうにほんとうに、久しぶりに記憶に甦りました。

ちなみに。私は「卑怯者」が嫌いではありません。
私が嫌っているのは「偽善者」です。

偽善者は自分に酔いしれていますから。
自分の真の姿を直視できませんから。

卑怯者は、自分自身をわかっている人です。
自分が卑怯だと知らない卑怯者はいないと思います。
だから私は偽善者は絶対に愛せないけれど。
卑怯者を愛することはできます。

実際、ね。
卑怯者は愛されているでしょう。多くの場合。

あれ。この文脈からすると。
本書の主人公が卑怯者で。著者も卑怯者で。
とばっちりのように村上春樹も卑怯者だと・・・

えええーっと。そう言ってるように聞えますか?

うん。まぁ。そうだと言いたいわけではないのですが。
そう取られてもやむなしというか。

で。そもそも。「卑怯」ってどういう意味なのよ?

勇気がなく、物事に正面から取り組もうとしないこと。
正々堂々としていないこと。また、そのさま。

あれれ。そういう意味でしたか・・・
なんか違うな、私が思ってるのと。

「卑怯者」はどうだろう?

勇気のない者。心の卑しい卑劣な者。

そうか。勇気がないってところは外せないのね。
正面から立ち向かわないというのは、そうかな。

あ。ちょっと待って。
私のイメージしている「卑怯者」は。
ハイレベルな「卑怯者」なんだわ。

そう、だから「スタイリッシュな」もしくは「小洒落た」
もしくは「堂々とした」が形容詞としてつくわけです。

うーん。でも「偽善者は卑怯だ」とも言いますしね。
だんだん、言葉遊びに過ぎないような気がしてきました。

そして自分が「卑怯」と自覚していない「卑怯者」も。
やっぱり、それは・・・存在するんでしょうねぇ。

私は卑怯であることを自覚していなければ「偽善」になる、と。
そういう風に捉えているのかもしrません。

卑怯な人間も。偽善者も。うわべは優しいですからね。

なぜか私は偽善者の優しさは許せないし、優しさとは思わず、
卑怯者の優しさは、優しさと認めることが出来ます。

でも。どうだろう。
卑怯と卑劣との境界もあっさり引けないものですが。
私は卑劣な人間は激しく憎んでいる・・・

もっと言うと。
「卑怯」も「偽善」も。
自分自身が持っている要素だと自覚しています。

そして。卑怯者であるのは仕方なくても。
偽善者にはなるまいと思っています。

あ。わかった。

卑怯者というのは「正面から立ち向かっていない」人のこと。
偽善者はそんな自分を美しくラッピングすること。

なので、私の言う「スタイリッシュな卑怯者」は「偽善」に近づく。
卑怯なのに「おしゃれ」なわけですから。

でもね。スタイリッシュな卑怯者は「おめかししている」意識がある。
偽善者は「装っている」という意識はない。

そう。ここ。ここの違い。

偽善者が薄々自分の「偽善」に気がついているということもあり得るし。
そうなるとまた、この線引きの意味が薄れてくるのですけれども・・・

あ。よし、わかった。

偽善は美しくはあり得ない。
そして卑怯ももちろん、美しくはない。

ただ、偽善に洒落た服は着せられないけれど。
卑怯に格好いい服は着せることができる。

本質から偽っているのが「偽善」
そもそも、「偽」ですからね。
中身が美しいという、盛大な大嘘。
装う必要なんてありませんよ、と見栄を切っている。

卑怯は本質は「醜」のままですから。
それが美しく見えるとしたら衣が美しいのだ。

偽善も「衣」だけの美しさなのかもしれませんが。

私は「偽善」にだけは騙されない自信があるのです。
だけど「卑怯」になら騙されてやってもいいかと思う。

ははは。何がいいたいんでしょうねぇ。
こんな文章からでも、本書のイメージは伝わるでしょうか。

たまには、こんな訳のわからない感想もいいかな。
・・・と。開き直るのは「卑怯」でしょうか(笑)

(2016.12.22)
片岡義男の小説は若い頃すこし読みました。
とても空疎な印象で、ただ独特の空気感が嫌いではなかった。
エッセイの方が好きだったかな。
懐かしくて検索してみたら、こんな記事を見つけました。
片岡義男さんインタビュー
この中で思わず膝を打ってしまった一節を引用します。
 女性は素敵でないといけない。男性は格好良くないといけない。そしたらもう、話はできたも同然だから。惨めな女や、箸にも棒にもかからない男も書いてみたいと思うんだけど、なかなかできない。そうはならないんです。
ああ。潔いですね! 全然卑怯じゃない!(笑)
ちなみに「卑怯」という言葉は失礼かと思いますが。
私は決して貶すつもりではありません。

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おさがしの本は   門井慶喜

4334763227
光文社文庫
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図書館に勤務していて、
リファレンスカウンター担当の男性が主人公。

本好きさんには、なかなか楽しい本です。
ほほーぅ。そういう風に調べるんだなぁ、と。

(2015.8.30)

へたも絵のうち   熊谷守一

4582763251

平凡社
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青木繁と美術学校で同じだったそうですが。
ほんと、びっくりするくらいのそうとう変人!
もちろん熊谷守一だって負けていません。

読んでいて。実に自然でいい文章だなと思いましたら。
書いた物ではなく、聞き書きでした。

その点に関しては、
解説の赤瀬川原平がいいことを書いています。

 まず観察の興味があって、それが結局は一生つづいている。あとはみんなそれに付随することなのだ。観察というとふつうはその結果として正解を得るための観察となるわけだけど、この人の場合にはそれもない。あるけど、さらにその先、ひたすら見ていることが気持ちいい。自分がいて何かを見ているという、その距離感を楽しんでいる。

実際にペンを手にして書くというときには、どうしても自意識が作用する。だから文章を書くときには出すぎる力の制御が難しい。良かれ悪しかれ、自意識の後押しによって文章は書かれるものだけど、話の場合はそういう後押しもなく前に人がいるからというだけのことで自然に言葉が引き出されてくる。そのさり気なさが全篇にあふれていて、それがむしろこの人らしい自然な話になっている。


以下、本文から書き抜いた文章の断片。


え、なんでまた?  宮藤官九郎

4163762302
文藝春秋
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付箋だらけになっちゃった・・・
なんか、あれもこれもと紹介したいエピソードだらけ。
宮藤官九郎氏の日常、楽しいです。

正直、私。ドラマを見ないし、邦画も殆ど見ないし。
クドカン作品といえば、「あまちゃん」しか見てないかも・・・

そもそも。「あまちゃん」にハマった母が、
宮藤官九郎の本を読んでみようと思い立ったのが発端で。
図書館で彼女が借りた本を私が又借りして読んだワケなんです。

そうそう。あまちゃんを毎日楽しみにしてる人も多いかな?
私も毎日欠かさずに見てます。アキちゃんのファンです。
あと、夏ばっばとミズタクとあんべちゃんが好き。

あ、こちらに宮藤さんの日記がありますよ。
→http://otonakeikaku.jp/special/special_kudo.html

さかのぼって、3/11の日記をぜひ読んでもらいたいな。
東北を舞台に朝ドラを書いた彼の気持ちが綴られています。
私、ここを読んで一気に彼のファンになっちゃいました。

で。本作に話を戻しまして。
とにかく、面白い!痛快というのと違うんだけど。
よくぞ言ってくれました・・・的な部分も多々ありつつ。

それを心細げに、ひっそりと、でも堂々とおっしゃるんですね。
なかなか言えないこと、言い方を間違って周囲を怒らせること、
こうしてみると、ホントにたくさんあるなぁと思います。

官九郎さんの語り方、イイです。
この温度が好きです。ぬるく見えるけど熱い。
失礼を承知で言うと・・・すごく可愛い人ですね。

週刊文春に連載したものを加筆修正したものだそうで。
前作もあるようなので、近々読みたいと思っています。

私は映画は映画館で・・・とかねがね思っているのですが。
撮る側からの気持ちを聞いて、その意を強くしました。
「作り手の驕りと聞き流して欲しい」と断って宮藤氏が言うのは。

「映画館で観た」が10だとすると「DVDで観た」は5ですね。スマホは1です。「脚本だけ読んだ」が3くらいかな。はい。小っちゃい画面で観るならいっそ頭で想像して。そっちの方が面白いから。

これだけ読むと、冷たく聞こえるかもですが。
なぜ、映画は映画館か、を語った部分(長くて引用不可)が、
大変わかりやすくストレートに、腑に落ちます。

そして。私の個人的な考え方としては。
5よりは0の方がいいや・・・なのです。
映画館で観れないなら、縁がなかったと諦める。
いつか運良く、映画館で観れる可能性もあるし。

その考えを読書にも応用出来たら、読む本も絞れるんですが。
つまり、しっかり読み込める時間と気力がないなら読まない。
それが本当は正解だと思っています。

本気で読んでもないのに、偉そうに感想や意見を言いたくない。
あ、でも・・・やっちゃってるのかなぁ。やってるよなぁ。

観ないよりいい、やらないよりいい、読まないよりいい・・・式の、
とりあえず観た、とりあえずやった、とりあえず読んだ・・・が。
私はいつまで経っても自分の中で許せない行動なのだと思います。

もちろん、必要に駆られて「とりあえず」な場面は多々あります。
否、ほとんど私の人生なんて「とりあえず」の連続です。

だけど、イヤなものはイヤなのであって。
その気持ちは敢えてずっと忘れずにいたいような気がします。

なんだか、不思議と元気が出て来る本でした。
うーん。それは言い過ぎかな。気持ちがほぐれる・・・かな。
笑って、ちょっと考えて、そして心が晴れました。

(2013.7.21)
「とりあえず」から生まれるものもあるので。
っていうか、やはりやらないよりはマシ、な場面もあって。
だから、「とりあえず」を否定してるんではありません。
「とりあえず」をとっぱらった潔い生き方への、
永遠に叶いそうもない個人的な憧れだと理解してください。

本が崩れる  草森紳一

4166604724
文春新書
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ドアすら開かないほど、カニ歩きをしなければならないほど、
誰一人部屋にはあげられないほど、本が積み上げられた住まい。

その主、草森紳一氏は自らを大クズだと胸を張って言い切る。
うずたかく林立した書物はもはや「塊」と化し、
その字に「鬼」が含まれるとおり、息する物怪と化している。

タイトルの通り、そして本はしばしば「崩れる」。

こんな風に暮らすということはアリなのか?
これは人間の生活として成立しているのか?

冒頭から驚きのあまりに口をあんぐりと開け、
とうとう閉じる暇もないままに読み終えてしまった。

ある意味、これは究極の暮らしだと思う。
自慢になるかどうかわからぬが、その気になれば私もできる。
その根拠のない確信に、妙に力強く勇気づけられた。

これほどまでに非現代的に生きることも可能なのだ。
文字通り本に殺されそうになって暮らすことも。
携帯はおろか、腕時計すら持たずに生活することも。

羨ましいなどとは迂闊に言えない生活だけれど。
こういう人がいたということを、知れただけでもいい。

共感するところが多く、せっせと書き写してみたものの、
とうてい埒があかぬと気付き、本書は買うことにしました。

矛盾そのものは、人間の力である、と考えている。しかし矛盾などなきが如く振舞う言動は虫ズが走るほど気にいらぬのである。

例えば、彼のこんな述懐・・・深々と同意。

(2012.11.6)
鴻巣友季子さんの愛読書だそうです。
彼女のエッセイのおかげで凄い本に出会えました。
草森紳一氏の著作にもこれから手を伸ばそうと思います。

  

プロフィール

Author:彩月氷香

とにかく本が好き
読書感想がメインですが
時々、写真や雑記も。

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*ブログタイトルの由来

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