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『用心棒日月抄』藤沢周平

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新潮社
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強烈な既視感……あ。ドラマ!

読みながら。
似たような話が多いなぁ、時代劇って。
これとそっくりな話を知ってると内心ぼやき。

それでも。
面白くないわけではなかったのだけれど。

どう考えても。
ぜったいに似過ぎている。何かに。

その何かが何か、を思い出した。
NHKのドラマだ。金曜時代劇だ。
「腕におぼえあり」だ。

そうか、あのドラマの原作だったんだ!

私、めっちゃ見てたやん。
村上弘明と渡辺徹のコンビ、良かった。
シリーズ全部観たし。

タイトルが違い過ぎて、わからんかった。

この本は。ドラマを観たことあって面白かった。
それでも。がっつりと映像のイメージがあるから。
続きを読もうという気持ちにはならないかも。

どっちも良ければそれが一番で。
原作も映像化もそれぞれに楽しんだらいいのですが。

私、どうも、そこのところは不器用だという自覚があります。

(2018.7.12)
バランスのとれた、良い作品だと思います。
時代劇アレルギーな私でも無理無く読めます。

『私の猫たち許してほしい』佐野洋子

4480024557
ちくま文庫
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感性の鋭さ、その肉厚さ。

感性の鈍い人が。
そもそも文章なんて書くわけない。
いや違う、書いても読むに足るものになるわけない。

だから。エッセイを読むということは。
書き手の感性の鋭さを鑑賞する会を開くようなもの。
ま、参加者は読者ひとりですけれども。

エッセイの面白さは。
羨望と悔しさと驚きと呆れと笑いと怖さから出来ている。

他人の鋭敏過ぎる感性というものは。
面白がる前に、どこか恐ろしい。

同じものを見て。
何も感じてなかった自分に気付かされたりして。
我が感性の鈍さに茫然としたりする。

鋭過ぎる感性の不幸に他人事ながらゾッとしたりもする。

で。内心小さくつぶやく。
「信じないぞ!」と。

そうよ。多少の演技力ってものが。
文章には必要だったりして。
なんでも素直に受け止めちゃ、いけない。

作為を全否定はしないけれど。
上滑ってるのは、ふん、と笑ってやるのだ。

感傷的過ぎるのと。滑稽味が過ぎるのと。
この二つの「演技過剰」はとても鼻につく。

エッセイの名手と言われる書き手は。
按配が上手いのだ。やり過ぎない。
演出も優れていて、演技も自然。

まぁ。舞台のお芝居のことを思ってみれば。
大げさだから「ウソだ!」ってものでもない。
お約束事に則って、型にはまりつつ自由な文章もある。

佐野洋子は究極の怖さだ。
規格外。
正直、ちょっと判断がつきかねる。

素直に思うままを書いているように見える。
たぶん。ウソじゃない、演技じゃない。
でも、黒いぞ。読後に残るどす黒い印象が強いぞ。

自己欺瞞を激しく憎む私ではあるけれど。
だからって自分にそれがないというつもりはない。

佐野洋子のエッセイを読んでいると。
なぜだか。自分自身の「感性」と捉えているものが。
きれいに洗濯済み、みたいな気がしてくる。

ええ。絶対に偽ってはないのですけれどもね。
他人様(そこに未来の自分自身も含まれる)の目に触れるなら。
ま、手入れはしなきゃねぇ……って感じ?

うん。漂白はしていない。磨いてもいない。
でもねでもねでもね。
ざっと軽く汚れは落としてあるのよ。

いやいやいや。だってね。それってマナーでしょ。
泥だらけ、傷だらけ、血を流してるままって怖いでしょ。
誰もそんなもの、みたくないでしょ。ホラーでしょ。

佐野洋子は。洗ってない感じだ。
たぶん。絶対、そうではないのだ。
洗ってないように見せる「技」なのだ。

洗うと消えてしまうものが。
ちゃんと。彼女の文章からは見えてくる。
でも当然、掘り出したまま出されているわけじゃない。

ふつう、再現できないものを。
彼女は再生できてしまうのだと思う。

感性の鋭さの種類が「肉厚」だ。
「感性」=「鋭い」とすぐ言葉が浮かんでくるように。
感性って、あまり厚みを感じる存在ではないのだけれど。

佐野洋子の場合は、どうも違う。

佐野洋子的な「感覚」は。
凡人は「持っていない」と言うだろう。
もしくは「持っているけど」直視していない。

自分の中にあると認めたくないもの。
言葉にすると単純化し過ぎになるけれど。
敢えてそれでも言うとするならば。
「腹黒さ」「我儘」と言い表せてしまうであろうもの。

「正直」になれば、書き表せるものかと言えば。
まぁ絶対にそんなにシンプルなものではない。

私も、「私」が強い人(良くも悪くも)と自覚があるが。
佐野洋子さんの「私」ぶりと比べると、巨人と蟻の違いだと思う。

私は環境に「染まれる」人間だと考えている(他人は否定するかも)。
佐野洋子はどこまでもしっかりと「自分」を保ち続ける。
何もそこまで、というくらいの「自分」の強さだ。

そうだなぁ……。
これは羨ましいのか。可哀想なのか。いやどちらと言っても失礼か。

「誰が何と言おうと私は」……この感覚が生来強い、ということは。
まぁ、あまり。幸せに生きるのにプラスにはならない。

私の場合は、なので。表立って主張はしない。
でも、心の中ではしつこく持ち続けている。
心にあるものって、隠せはしないのですよね・・・

なので。私が周囲の人からどう見えるかと言うと。
良くて「浮いている」、平均的には「頑固」、悪くて「反抗的」。

そして、それら全ての印象がソンであると学んだ以後は。
「あまり打ち解けない」くらいに留まる外面をまとっている。

共感は実はしていないけれど。
共感力に近いものを自動的に発動させて。
「人当たりがいい」「優しい」と評されているくらいだ。

佐野洋子さんだって。お会いしたら。もしかしたら。
優しい、感じのいい人なのかもしれない(存じ上げません)。

あ。で。何が言いたいんだっけか。
やっぱり。このように書けるって凄いと読みながら感心する。
面白いけれど、お腹の底から涌き上がってくる恐怖もある。

悔しさはないわけがないのだけれど。
「負けました」という前に、この人に勝ちたくない。
(あ、そもそも勝てないというところは考えないでおこう)

だって。しんどいもの。しんどすぎるもの。
もっと楽をして生きたいよ。

違うかもしれないけれど。
佐野洋子自身が書いている「最後まで、自分を言いつのる性質」は。
人間社会においては、本人にも周囲にもかなりな負担になるもので。
たいていの人は、持っていても押し殺してしまうのだと思う。

だけど。真のモノ作りをする人は、
絶対に絶対に絶対に失ってはいけないものなのだ。

いや、失いたくても失えなかった人が。
自分を言いつのるために何かを作り始めるのだろう。

うん。失った方が幸せだと思うよ。
そんなにナニを言いたいの?って思うよ。

でも。言いたいものをもっている人が作った作品は。
必ず、輝いている。それに触れる人の心に強く響く。

言いたいものがあることを。
忘れてしまった、忘れたくないけれど忘れたことにした。
忘れないと生きるのに支障があって無理矢理忘れた。

そういう人が、たぶん、それを見て涙する。
(泣かずに笑う場合も怒る場合もある)

風刺とか、ユーモアですませられなくて。
佐野洋子さんの言葉は私には「怖い」。

自分の中の何かが騒ぐような。
何かが脅かされるような。
寝た子を起こされるような。

やだやだ。静かにしてったら!

(2018.5.5)

『罪の声』塩田武士

4062199831
講談社
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いまなお、忘れえぬ……

グリコ森永事件。よく覚えている。
たぶん。この作品の評価は。
あの事件をリアルタイムで知っているかいないかで。
ずいぶんと違うのではなかろうか。

一連の事件の起きた場所は自分の生活圏内だった。
徒歩で行けるとか、すぐ近くではないけれど。
あ。あそこだ。とわかる、知っている場所ばかり。

記憶が物語の印象を強くしたかもしれない。
思い出と結びつくことで臨場感が濃くなった。

まぁ……だから。
公平な評価はできないのかもしれない。
私は好きでした。面白かった。

以下、読後のつぶやき。

塩田武士「罪の声」読了。読み始めてすぐ、たくさんの記憶が甦った。題材であるグリコ森永事件にまつわる事柄はもちろんだけれど、それ以上に当時の時代の空気が濃厚に立ち上ってきた。舞台となった場所の大半が身近過ぎるせいもあるのだろう。そして、あの頃の私は新聞を隅々まで読む子供だった。

新聞がまだ。メディアの中で君臨していると言えた時代だった。私が目に入る文字は全て読まずには気が済まない活字狂だった時代でもあった。生きるのが辛い時代でもあったけれど、不幸でもなかった。懐かしむ気持ちは湧かないけれど、その時代を生きたことを否定したいわけでもない。

だいたい。「しょうがなかった」とか。「まぁそんなものでしょう」で流してしまいそうになるのだけれど。それができない生き方を強いられた子供を描いているというところがこの作品の良さだと思う。結果、お涙頂戴要素が強過ぎるとか、話が出来過ぎと評されても仕方ない面もあるのだけれども。

うん。でも。私は面白かったし。好感を抱いた。なんだかんだ言って、自分の過去の中でも忘れようとして成功している時代の出来事だったから。思いがけず再会した幼い(けれど生意気)な自分の記憶の濃度を読後息苦しく感じ続けているけれど。・・・って、本の感想からはすでに離れてしまっているな。

そんな予定ではなかったのに、里帰りしちゃったみたいな。帰るつもりはなかった家に辿り着いてしまい、戸惑っているみたいな。


(2018.4.6)
初めましてな作家さんでしたが。
この雰囲気だったら、他にも読んでみたいな。

『アサッテの人 』諏訪哲史

4062767007
講談社文庫
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外は冬の空模様で、僕は自室の炬燵に入り、日がな一日サミュエル・ベケットを読んでいた。

 人間は何もしなければ死ぬ。死を避けるには食わねばならない。食うためには働かねばならない。当時僕は、人間には「何もしない」ことを選びとることはできない、という万古不易の命題に、言い知れぬ不条理を感じていた。「何もしない」ことで、なぜ人間は不幸へのみ向かわざるを得ないのか。

モンゴル人は悪魔に我が子を奪われないよう、悪魔を欺くために、風変わりな名前をつける。
「名無し」「名前じゃない」「人間じゃない」「だれでもない」

 公休日の今日は、朝から団地の児童公園に日向ぼっこしにゆく。
 お茶の入ったペットボトルと、きのう帰りに佐々木ストアーで買っておいた野菜コロッケ三つ、パウル・ツェランの詩集、そしてこのノートと万年筆。

 彼のアサッテは自意識という名の癌によって、また、のっぴきならない「作為」の刻印によって蚕食されたのである。

クライストのエッセイ『マリオネット芝居について』

以上、何となく心に残った文章の断片。
正直申し上げますと。この人の文体は苦手。
作風も・・・ 所々「受け付けない」。

かと言って嫌いでもない。
じゃあ好きでも嫌いでもない、というわけでもない。

無視し難い何かは感じるのだけれど。
積極的に読みたい気持ちになるということはない。

著者が「書きたい」ことを持っていることを感じる。
そして、面白みはある。哲学的葛藤もある。

私が好きになれそうな要素は結構あるのに。
他の作品を読んでも好きになることはないだろうと確信する。

なんでしょね。
作品に「頑張ってる感」があり過ぎるのですよね。
そこに好意を抱けないわけではないのだけれども。
私が読みたいのはそういう苦心惨憺の跡が見える作品ではない。

良し悪しの問題ではなくて。ま、好みです。

好き嫌いの別れる作家さんだろうなと感じます。
まぁでも。私としては毛嫌いもしないし。
無視して抹殺しようというでもなく、仄かに興味は湧きます。

気まぐれに、もう1冊くらいは読んでみるのだろうな。
そして、やっぱり悪くないけれど好きになれない、と思うだろうな。

自分に近しい感覚も少なからず作品の中に感じ取れて。
だけど、その感覚の処理方法が大きく異なっている・・・ような?

近くまで来てたけど、ギュン、と大きく曲がって。
それこそ「アサッテ」の方角へ走り去っていったという雰囲気。

趣向を凝らしている割に、平凡に見える。
あ、それは言い過ぎかな。才気が溢れてそうなのに、単純。

う・・・ごめんなさい。これじゃ愚弄してると言われても仕方ない。
いい意味でも悪い意味でも、飾り付けの面白い「普通」な印象で。

だ、ダメだ・・・フォローしようとすればするほど貶してしまってる。

第137回(平成19年度上半期) 芥川賞受賞
第50回(2007年) 群像新人文学賞受賞

ダブル受賞は村上龍以来なんですって。
そういえば、村上龍も私が大の苦手の作家でしたわ・・・
だけど、受賞作だけが好き嫌いを越えて、凄いと思ったのですが。

なんだろうな。なんだろうな。気になる違和感。
不器用な作為なのか。不器用に見せかけている作為なのか。

どちらにしても。
私は表面が滑らかなものを好んでしまう弱点があるのは確かです。

(2015.3.18)

『和菓子のアン』坂木 司

4334764843
光文社文庫
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簡単に言っちゃうと。可愛らしいお話です。
北村薫の「空飛ぶ馬」みたいな日常ミステリの要素もあり。
まぁ・・・とにかく、いい意味でふんわりしてます。

主人公がデパート内の和菓子屋さんでアルバイトしてて。
わぁぁ~懐かしい~と思う状況にも出くわしました。
(あ。私、百貨店勤めが長かったのです)

ある、ある~!とテンションがあがりつつも。
そーんなに現実は甘くないっ!と内心叫んだりもして。
なかなかに気持ち忙しく読んだ本でした。

雰囲気は捉えてるんですけどもね。
もっと怖いですよ~、もっと厳しいですよ~、
百貨店の内情は・・・ええ。本当に。そりゃ、もう。

まぁ、どんな業種でもそうだと思いますし。
夢も希望も打ち砕く現実をさらしても小説になりませんし。
うん。薦めてくれた友人の言うとおり、気持ちよく読めました。

和菓子の蘊蓄も楽しいですよ。
こちらは私が知ってるのも少しはありましたが、
へぇぇ~っと思うことの方が多かったです。

ここで、デパートの無駄知識をひとつ。
本書にも出てきますが、デパート内では「トイレ」とは言いません。
お客様が常にいる状況なので、口にすることをはばかるわけです。

主人公のアンちゃんが勤めていたデパートでは、
「遠方へ行ってきます」と言ってましたね。
これ、デパートによって違うんですよ。

私が知っている範囲でも、
「さんさん」「二番」「三番」「むらさき」「突き当たり」
「横浜」「すけんや」・・・などなど。

その他、店内放送にも各種の暗号がありまして。
いまだ私はデパートへ出向くと「あ、~だな」と気が付きます。
流れている曲にも、様々な符丁があります。

あまりバラすと意味がなくなっちゃうので、秘密で。

妙に読んでいて、むずがゆいというか、痛痒いというか・・・
本来の楽しさを満喫できなかったかなぁと思います。
デパート勤めの頃の記憶は、かなり重たいんですね、やっぱり。

(2014.4.3)
私の個人的感慨はさておき。
楽しくて、可愛くて、ほっこりできる小説です。

  

プロフィール

Author:彩月氷香

とにかく本が好き
読書感想がメインですが
時々、写真や雑記も。

*初めましてのご挨拶
*ブログタイトルの由来

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