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『短くて恐ろしいフィルの時代』ジョージ・ソーンダーズ



オーウェル『1984年』の童話版?

小洒落た、しかしどこか毒々しさも漂う装丁。
シンプルなのにクセがある。
小口が表紙と同じオレンジに染められていて。
見る者に妙に不安な気持ちを呼び起こす。

内容もまさしく、そんな見た目通りで。
シンプルで毒があって、スマート。

一言にまとめると。
非常に洗練されたスタイルで描かれた、恐怖政治物語。

訳者があとがきでも書いていますが。
オーウェルの『1984年』を思い出させる内容です。

先入観なしで読んだ方が面白いと思うので。
あまり多くは語らないことにしますが。

寓話性に印象は和らげられているけれど。
これは一人のちっぽけな男による恐怖政治の物語。

まず一番に誰もが思い浮かべるのはヒトラーだろう。
風采の上がらぬ、生まれも貧しい男。

中身は空っぽなのに妙に立派に響く演説の才能に恵まれ。
罪なき者の命を奪うことを正当化する。

人間はいつの時代もエラソウな人に弱い。
熱狂して、その後に従い、どこまでも行く。
その結果招いた悲劇、惨劇の責任は一切とらない。

途中でニセモノに騙されたことに気づく人は。
立ち向かうも遅すぎて、抹殺されてしまう。

独裁者が恐ろしいのか。
それに従っていく大衆が恐ろしいのか。
その流れを止めることができない状況が恐ろしいのか。

全部、恐ろしい。

いや。独裁者は。実は滑稽だ。
だから一層、招かれた惨劇が恐ろしい。

そしてもっと恐ろしいのは。

その恐怖政治をまた人は忘れ。
再び歴史を繰り返すということだ。

自分の中に誰もが持っている「怪物」を。
誰かが具現した時、それは魅力とも感じられる。

つまらない欲望を。
つまらないとは思えない人間を。
救うことは不可能なのだろうなぁ・・・

「救い」をとんでもない方向に求めてしまう。
そういう人間も後をたたなくて。

まぁ。それは私自身だってそうなのかもしれない。


(2019. 9.3 読了)
ディティールというか。
この物語の「国」「国民」のカタチは面白い。
愛らしいというか、楽しいというか。
まぁグロテスクでもあるとも言えるけれど。
あ。「キモかわいい」かも。

『原因―一つの示唆』トーマス・ベルンハルト

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松籟社
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故郷を罵倒しまくる、これも愛?

のっけから驚く。
ここまで故郷を悪し様に言わねばならないか?と。
一体、どれだけの恨みや憎しみが積もっているのか。

それも。
世界でも有数の美しい町、ザルツブルグだというのに。

訳者あとがきを読みながら少しずつ納得する。
これは私小説か自伝の趣きではあるけれど。
芸術としての自分史なのだ。あくまでも作品としての。
だから、事実が描かれているわけではない。

うん。でも。それでも。まぁ。凄い。
町が憎い、住人が憎い、学校が憎い、社会制度が憎い。
それらに対する呪詛の濃密さに圧倒される。

え。いいの?いいの?
こんなこと書いちゃっていいの?
負の感情の爆発ぶりに、読みながら不安を覚える。

どちらかというと。
私も著者と同じタイプのような気がするのに。
なんだかザルツブルグとその住人たちを。
全力で庇ってあげたくなるくらいの攻撃ぶり。

共感できる箇所を引用してみましょうか。

中等学校は廃止されるべきだ。そこでは若者の大部分が破滅させられるし、破滅せざるをえなくなるのだから。

人間が三人集まればもう、そのうちの一人がいつも蔑みと嘲りの対象となる。比較的大きな共同社会は、そのような一人の、あるいは数人の犠牲者なくしてはそもそも存在しえない。社会共同体はいつも、自分たちの中から一人または二、三人の欠陥を見つけ出して、愉悦の種にする。

シニカルとか、通り越してるでしょう。
それでも、ここでは町への憎しみではなく。
共同社会への憎しみが描かれているものね。

訳者いわく。
ドイツ文学の伝統に、中等教育批判がある、と。

例を挙げると。
ヘッセの『車輪の下』
トーマス・マン『ブッデンブローク家の人びと』
なんかもそうだとおっしゃるわけです。

なるほど。伝統なのね?

この作品の味わいとしては。
読んでいて結構、苛立たしいと私は感じます。
だけど。なんか楽しいの。重苦しいのに、不思議と。

ぐるぐる同じところ回り続ける思考回路の表現として。
そのしつこさ、鬱陶しさ、無駄に華麗な言葉の羅列が。
やはり。芸術的なんですね、なんというか。

で。そこのところが面白いなぁって思うの。
故郷を罵倒しまくってて、文学になるんだもの。

でも。注意深く読めば。
著者は町への愛を持っているのだとわかる。
愛憎相半ばなんて、可愛いものじゃないけれど。

そう。屁理屈の人なの。
ひねこびてて、可愛くないの。

私は不幸になればなるほど、自分がいつも不幸であるということ、自分の本性(の中)にある不幸を、一層気づかれないようにした。

わかりたくもないけれど、わかるような。
所々、ちょっと似てるかもな私も、と思えるような。

(2018.8.2)
どこが魅力なのか説明しづらいのですが。
他の作品も読んでみたいと感じる作家です。

『存在感のある人』アーサー・ミラー

by カエレバ

幾たびか、涙ぐむ。

短篇小説集です。
著者は劇作家として有名ですね。
かつてマリリン・モンローの夫だったことも。

そんなことは頭になく、聞いたことある名前だなと。
でもそういえば読んだことないよな、と。
例によって例に如く、軽い気持ちで読み始めました。

いい。
さりげなく、何気なく、上手い。
心の隙間にスルリと忍び込む、憧れや怖れや悔いなど。
閃くように描き出す。一瞬、暗闇に浮かび上がるように。

痛切でもあり、残酷でもある人生を。
そのままに。救い出すことはなく描写しているけれど。
筆致なのか、目線なのか、洗練されていていて。

劇作家だけあって。
何だろう、型が綺麗。
美しい泳ぎを見ているような。
もしくは、歩く姿の美しい人に出会ったような。

最晩年の作品だそうで。
それなのに老いは不思議と感じない。

『パフォーマンス』
『テレビン油蒸留所』

この二作が特に好きです。
どれか一つ選ぶならば、後者かな。

私が傑作短編集とかを編むことでもあれば。
絶対に収めたいと思うくらいの作品。

何がこんなに胸に迫るのだろう。
著者はあまりにも「見え過ぎている」人だ。
もっと鈍感である方が幸せに生きれるのに。

でも。見えてしまったものを。
このように表現できるのなら。
本人にも、彼の同類にも救いになる。

それでも現実は変わらないけれど。

気づいているよ。
気づいてしまったよ。
気づかないふりをしようとしていたけれど。

それでも。
気づいたことに祝福されているのかもしれない。

無粋なことだと思いつつ。
心惹かれた箇所を書き写しておきます。

「資産目録の最後の品目」と彼は過ぎていく時間や週のことを呼んでいた。彼は時間にとりつかれるようになったが、それは必ずしもいいことではないと自分に言い聞かせていた。

心のなかでうごめいている光、何か新しいものを想像する力を持つ光を、ほとんどの人々は掴めずに終わる。

彼の沈黙は一種の哀悼の表われだ、とレヴィンは気づいた。自分の人生よりもはるかに大きなものへの哀悼の念。

彼はダグラスを愛し、自分も同じくらい無鉄砲に振る舞えたらと思った。アデルと一緒にシューベルトを演奏したい。そう思いつつ眠りに落ちていく。ホテルにはピアノがあるかもしれない。そのピアノの前にアデルと並んで座り、一緒に演奏する———そんな想像に耽れるかもしれない。ホテルのフロント係に訊いてみよう。アデルの香水が匂ってくるような感じがする。彼女があのタンクを永遠に見ることがないなんて、何ともおかしなことだ。

最初のだけが、表題作『存在感のある人』からの引用。
あとは全て『テレビン油蒸留所』から。

(2018.1.8読了)

『収容所のプルースト』ジョゼフ・チャプスキ

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共和国
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読後のつぶやきから思い出す

昨日「収容所のプルースト」読了。この本について呟いて下さった方に感謝。私の長い長い「読みたい本リスト」は数千冊の玉石混交の本で埋められていて。その中からなぜか「石」の方を優先的に読んでいるこの頃。直感で「玉」とわかるこの本を、すぐにでも読もうと思わせてくれました。

感想は簡単には出て来ない。読みながら、色んなことを考え、色んなことに気付き、もっとよくよく考えてみたいことが静かに降り積もった。そもそも私、「失われた時を求めて」を読み終えていないのだ。「スワン家のほうへ」しか読んでいない。読み辛かったわけでもないけれど、続きを読みそびれている。

焦って感想を書きたくないし。かと言って日常にかまけて忘れてしまいそうでもあるし。ひとつ言うならば、「本の読みかた」ということについて考えたし、時を超えて変らないものと変ったものとについて考えた。なぜ、本を読むのかということも。読後の時間を含めて読書をとらえるということも。

昔、私はなかなか優れた読み手であったと自負するのだけれど。そして今はまったく堕落してしまったと感じるのだけれど。それは気が散らすものが多いからで、気を紛らす種に事欠かない、ある意味では豊かさゆえなのだろう。本を読むことがもっと切実だった時代があったのだと懐かしい。

ああ。読書って。こんな風に。こんなにも。
人生の糧になるんだ。支えになるんだ。希望になるんだ。

本のない場所で。
記憶の中の著作についての講義をする。
それほど。人は「知」に常に飢えている。

物思うこと、考えること。
そのことは苦境にある人間を救うのだ。

自らの苦難を思い、考えるのではない。
対象は、大切なもの、美しいもの、尊いもの。

それによって。お腹も膨れないし。
安眠が保証されもしないし。
現状が改善されたりもしない。

そもそも。本を読むことがそうだけれど。
本がない場合でも。本は心に栄養をくれる。

あ。私には著者みたいな記憶力も知性もない!

それでも。心の中で反芻するのかもしれない。
かつて読んだ本の言葉を。思い出を。

(2018.3.29)
「★★★★★」 また読みたい本

『アメリカ短編小説傑作選 2001 (アメリカ文芸年間傑作選) 』リック・バス  エィミ・タン  カタリナ・ケニソン

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DHC
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自分の好みを知る。

この傑作選にわたしの好みという点で一貫した特徴があるとすれば、わたしの考える最高の小説とは、小説本来の性質と徳を備えたものであることだ。人生における些細なことに気づかせてくれることにより、人は成長する。懐疑的にあるいは寛容に、不満足あるいは希望を持ちながら、絶対的な真理を疑うこと、月並みなものを退け、沈黙を望むと同時に恐れること、世の中を近くであるいは遠くから、改めて眺めることを促してくれる。可能性は無限にあり、これはそのひとつに過ぎないことを忘れてはならない。
 最高の物語は、必ずわたしたちに変化をもたらす。人生を一段と豊かにしてくれるのである。

(エイミ・タンによる序文の締めくくりの一文を引用)


疑問に思いませんか?
傑作選って。どうやって選ぶんだろう?って。
この傑作選には選抜方法が提示されています。

まず、エディターのケニソンが一年かけて、
2000〜3000の短篇を読み。
その中から120編を選ぶ。

それをその年の候補作として、
ゲストエディターに送る。

ゲストエディターはその中から20作を選ぶ。
それが一冊の本となる。

はぁー。大変だわね。
3000の短篇かぁ。
私だったら嫌になるかもしれない。

120編でも簡単ではないよ。
読めるとは思うけど。20作に絞るって……

でも。20作読ませて頂いた中で。
好きなのは5作に絞れました。

『ピアノ調律師』 ティム・ガトロー
『病気の通訳』 ジョンパ・ヒラリ
『不動産』 ローリー・ムーア
『キングサイズの人生』 ヘクター・カプラン
『ミセス・ダックは手紙を書く』 チットラ・ディヴァカルニー

短篇は好き嫌いがハッキリするかも。
長篇よりは選びやすい気がする。
逆に言うと。選ぶ人によって180度違うと思う。

短篇の「良さ」の判断って。
すごく個人的な感覚に左右される気がする。

昔。私は短篇は読めませんでした。
読むたび、訳がわからなくて苛つきました。
短篇の楽しみ方は。長篇とは違う。

基本的に。長篇型なんですよね、私。
それは変っていないと思います。
でも。歳を重ねるうちに。
それなりに味わい方がわかってきた気がします。

(2018.4.21)
引用した箇所は素敵ですが。
全体に苛立つほど長過ぎる序文なのですよ。
しかも、しょっぱなから、とある映画をけなすんです。
それがたまたま私の大好きな映画でした。
別に嫌いな人がいてもいいとは思うんですが。
やたらと感情的にこき下ろすのは感じ悪いな。
それが必要な場だったとも思えないし。
私も似たこと実はやっているのではと反省させられました。
好みがハッキリしていて偏っているというのは。
短所でなく長所と捉えているけれど。
自分の価値観に自信を持ち過ぎるのは考えもの。
意見を言うのと、断罪するのは違うよね。
ああ。やっぱり。私もそういうところ、たぶんある……

  

プロフィール

Author:彩月氷香

とにかく本が好き
読書感想がメインですが
時々、写真や雑記も。

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*ブログタイトルの由来

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