今日で、2周年を迎えました!(ちなみに小さい声で言いますが、私の誕生日も被ってます)
好奇心で調べてみますと。記事総数は1152件。
これは一日あたりに換算すると、1.5件ペース。
ペースダウンしつつも、少なくはないですね。
今後も一日一更新を守りつつ、ごく稀には二回更新、
さらに稀に休みも頂戴する、という具合になると思います。
ブログを続けて行くことは決して「楽」とは言えません。
私のお気に入りだったブログも次々と閉鎖や休業に・・・。
ただねぇ、正直ブログの更新より人生には大事なことも沢山ある。
それでも、続けたいな。続けることに意味があると思うな。
私の場合、WEB上での人のつながりということに対して抱いていた、
相当に過剰な不信感が、この場所で色んな人に出会うことで薄れました。
リアルな私もそうですが、WEB上でも話しかけやすいタイプではない私に
勇気を出して(?)声をかけてくださる方には、日々深く感謝しております。
それには、まず私の面倒くさい文章を読まなきゃいけないですしね(笑)
自己完結型で閉鎖的な性分の私には、自分の書いた記事に反応が返ってくる、
というのは実はかなり、新鮮な・・・衝撃的ともいえる経験でした。
さらに返して頂いた言葉の中には、常に何かしら発見があって。
うん。楽しいし、嬉しいし、物凄くおトク感がある~(ええっ?)
じゃあ、コメントがゼロになったらやめるのか?というと、そうでもない気が。
「コメントを書き込むことはなくても読み続けてくれている人」の存在を、
信じてる・・・というと格好いいけど。ええ、それも確かにあるんですけど。
自分の書く文章の読者として、常に自分自身がいる。究極的には、ここなのです。それだけは、ずっとずっと変わらないこと。
人に読んでもらう文章は、読者の顔を思い浮かべて書けという人もいますが。
私は、そんな風に相手を決める権利は自分にはないように思っています。
自分自身に問い続けることが、私にとっては書くことであって。
外向きに発言や意見などをしたいとは考えていません。
何かを訴えたい・・・というようなことも。
(全くないと言うと嘘になりますが)
誰が読んでくれてもいいし。
私の想いとはズレた感想を持ってもらってもいい。
読む人の心は自由であって欲しいと私は思います。
どんな高尚な文章でも道端の雑文でも、読む側が主体だ、と。
いえ。書いてる時は、書いてる人のものですけれどね。
書き終わって、人目に触れた瞬間から、それは読者のものだ、と。
これは、取り違えると文章の責任を放棄することになります。
そこは注意が必要です。誤読が存在しないと言うつもりもないです。
表現したかったことと逆のメッセージを送る文章を擁護するつもりもない。
書く人間は、自分の思いや考えをできるだけ正確に表現する。
文章力不足で稚拙だったり、そもそも思考自体、練れてないのは、
褒められないけど仕方ない・・・その時点での最善を尽くすしかない。
よほど曲解されたら、抗弁したっていいけれど。いや、したいけど。
読んだ人それぞれに違う感じ方をしてくれても、ちっとも構わない。
むしろ、そこで広がりが生まれたら、嬉しい。
「あれ?そのことを言いたかったわけでは・・・」と思うことがあっても。
ナルホドここから、そういう発想や思い出が呼び起こされることがあるんだ、と。
そのことが面白いし、新たな発見や着想になる。
いや。とにかく。それ以前に。
読んだ人が何かを感じたり、考えるきっかけになっただけで嬉しいです。
「心を動かす」文章って。強制しないと思うのです。こっちに行け!とは。
自由に心を遊ばせてくれたり、迷わせてくれたり。気付かせてくれたり。
この「気付く」というのも。読む人ごとに内容は違うはずだと思うのです。
書く人間ができることは。ただ、自分の思いに忠実であることだけ。
自分と言う読者(この人はとても我儘)を満足させるべく、全力を尽くすだけ。
まぁ。出来ないんですけどね、それが。フラフラと迷うんですけれどね。
基本的には、私にとって文章を書くのはそういうことです。
良い文章というのは、客観的な視点をも持っているものだとは思いますが。
そこまでにはなかなか、行き着けないものです。
欲をかいて「客観性」だなんて考えると、ただ「無難」に陥る気が。
それ以前な段階だから、自分にとことん向きあうしかないよね・・・まずは。
それだって、本気になったら相当、骨の折れることです。
直視したくないものもあるし、それを表に出したくない、ということもあるし。
「自分」という読者さんには、ちょっと今日はお休みして貰おうと思うことも。
いえ・・・しょっちゅう目隠しして、押し入れに閉じ込めてるかも。
矛盾するけど、常に全力投球しないのが続けて行くコツであったりもして。
自分という読者と毎日本気対決してたら、とっくにやめちゃってるだろうなぁ。
ていうか、そんな根性があったらプロの物書きになれてるよね、きっと。
あ。私に隠れた才能があるとか、そういう話ではなくて。
自分自身に全身全霊かけて対峙できる・・・それで神経が潰れない人は、
何をやっても、ひとかどのモノになるに違いないという話です。
段々、すでに自分が何を言いたいのか見失ってきたぞ・・・
この流れで行くと、今の私は本気で文章書いてません、ってことに?
えっと。この問題は、今日はパスしよう。危険領域です!(あ、逃げた)
じゃなくて。読者の存在が私にとって、どういう意味を持つか、ってことを。
ここから真剣に考えてみたので・・・ 明日、ご披露いたします。
(おそらく、また「大作」になっちゃう気配が濃厚ですが)
何だか、今日のところは中途半端な終わり方ですが。
本人が何を言いたいのか、よくわからなくなってるようなグダグダな文を、
ここまで辛抱強く読んで下さった方々には厚く御礼申し上げます。
記念日ですら、こんな調子ですけど・・・
なにとぞ、今後ともどうぞよろしくお願い致します。
今日の写真は、食べかけの伊予柑。何となく、この駄文に似合う気がして^^;
あ、ダメ、それは違う・・・伊予柑に失礼だ!ごめんなさい。
ちなみに「伊予柑」(いよかん)で漢字、あってるよね?と気になって。
調べて知ったのですが。別名が穴門みかん(あなとみかん)と言うそうです。