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つぶやき集 2014年5月(6)

写真を撮っていると。なんて人間の眼って優秀なんだろう・・・と改めて感嘆する。ピントを合わせるのも、望遠で見るのも、マクロに切り替えるのも、自由自在。余分なものを目に入れないことだって、意識せずに簡単にできる。光の強弱で色が破壊されたりもしない。影で色が消えたりもしない。

でも。不自由なところが、カメラのいいところ。色々限定されるから。(頑張れば)美しい写真が撮れる。視線は自由過ぎて、いつもとりとめない。レンズを覗いて見るものを「選ぶ」のは新鮮で難しい。基本、何事につけ「不自由」であることが私は意外と好きだ。というか、自由過ぎるより遥かに有難い。

せっせと物を片付け続けていて。捨てたり、あげたり、売ったりの日々だったのに。ここに来て、バッグを買い、ファンデを買い、Gパンを買い、指輪を買い、本を買い・・・。いずれも結構なお値段だった。でもいいの、本当に好きなものしか買ってないから。「恋におちたものだけ買う」が買い物のルール。

「恋に落ちたものだけ買う」というと、買うものは絞られる筈なのだけれど。惚れっぽい人だと逆効果かも。「ちょっと好き」「まぁまぁ好き」を日頃スルーし続けておけば、「これを買わずにしては帰れない」と思うものに出会った時に堂々と買える。普段の我慢の成果だ(と思い込もうとしているフシあり)

爪が弱いので爪切りは使わない。でも、やすり選びも難しい。まず、ガラス製は洗えて清潔で良いと思ったけれど、けずれ方が失格。金属もどうやら駄目。結局、紙製。消耗品なので、あまり嬉しくない。道具として楽しさと美しさがない。諦めずに以前のと違うメーカーの金属製を試してみようかと悩む。

夢を見た。ただ、向かいの席に座った女の子たちの眉が揃って妙だった、ということしか覚えていない。

別れの挨拶   丸谷才一

4087715272
集英社
Amazon

ああ、いいな。
私、この方の本の読み方が好きです。
好きな本の傾向も似ているような気がします。

丸谷氏はイギリスの小説がお好きですし。
私小説に対して敵愾心を抱いてらして。
「物語」をこよなく愛してらっしゃいました。

そして。度が過ぎるのではと感じるほどに。
吉田秀和フリークでもあったりして。
ああ。でも。私も同じ。とてもとても好きなのです。

好みの傾向が似ているとは言っても。
学識やら教養がケタ違いに私の方が劣るので。
読み方が浅い・・・ということは認めざるを得ません。

それでも。自分が大好きなものを。
氏が激賞してくれていたりすると、嬉しくなるのでした。

ふんふんふんと首をブンブンと縦降り状態だった私が。
一瞬氷りついたのは、私が貶しまくった某書の書評でした。
え・・・と。そうですか。氏は高く評価なさるのですね。

まぁ・・・でも。そうかもしれない。
だからって、私の気持ちは変わりませんが。
見る角度を変えることができれば、美点が見えるのかもしれない。

何か。不思議と。氏と意見が相違したことの淋しさの中に。
面白さと安堵を感じたりもしていました。

我が家は毎日新聞を購読しておりますので。
氏が顧問を務めておられた書評欄には、随分お世話になりました。

勝手に親しみを覚えていて。
大好きな「おじちゃま」という印象を持っています。

歴史的仮名遣いを頑固に貫く姿も印象的でしたね。
現代的仮名遣いで育った私には、無駄な意地に見えなくもなく。
それでも、丸谷氏が書く歴史的仮名遣いは好きでした。

それは、主義主張を認めるか否かではなくて。
似合う服を着こなしていらっしゃることへの敬意に似ていました。

(2014.3.24)
丸谷氏への追悼の一冊と言える本書。
読み終えたとき、心いっぱいに広がる、
「ありがとうございました」の想いがありました。

2014年4月に観た映画

2014.06.28 映画   comments 0
dostevski_main_large.jpg 4/9
ドストエフスキーと愛に生きる
★★★★★

監督 バディム・イェンドレイコ
2009年 スイス・ドイツ 
93分

スベトラーナ・ガイヤー
アンナ・ゲッテ
ハンナ・ハーゲン


ウクライナ出身の翻訳家の半生をたどるドキュメンタリー。
スベトラナ・ガイヤーは、第2次世界大戦初期にドイツへ移住。
ドフトエフスキーの長編5作をロシア語からドイツ語に翻訳した。
87歳で亡くなったという彼女が84歳の頃に撮られた映像。

ていねいな言葉、ていねいな暮らし、ていねいな仕事。
彼女が紡ぎだす行為の一つ一つが緻密であたたかい。
自身も含めて生活を隅々まで慈しんでいる。
仕事上だけでなく、日々の暮らしの中でも言葉を大切に扱っている。

言葉に出来ないことをたくさん経験して生きてきただろうか。
語るべきことと、語らないべきことをわきまえている女性。
彼女の姿から、語ってこそ伝わるものもある一方で、
語らないからこそ伝わるものもあるということを改めて感じた。

静謐で美しい暮らしぶりに憧れを掻き立てられつつ。
彼女の封印された記憶の闇の、底しれない深さを想い・・・
余韻がいつまでも消えずに残る映画でした。

つぶやき集 2014年5月(5)

今日の昼間、果てしなく沈んでいく気配を感じて。ここで踏ん張らないと、身動きが取れなくなるな、と。だけど、たぶん。頑張っちゃうと駄目なのだ。いい具合に脱力できるように・・・何をしよう? 気晴らしも気分転換も、年々下手くそなるみたい。趣味すらノルマ化しちゃう性格のせいだろうか。

そういえば。また長いこと、クラシックを聴かない(聴けない?)。クラシックが聴けなくなった元凶(古傷)は、いつまでも消えずに頑固に居座っているらしい。それはそれで、もう構わないという気持ちになってきた。周期的に聴けない時期があるというのも、それはそれで悪いことでもない。

色んな意味で。治らない病気もあるということ。その病もひっくるめて「自分」だということ。

しぶとく、しぶとく・・・と、自分に言い聞かせる。打たれ強いのが私の取り柄じゃないか。たとえ、攻撃相手が自分自身だとしても。自分叩きはなんだかんだ言って、いつまでも卒業できない。他人を虐めようと思った事も虐めたこともないのは断言できるけれど。その分、自分を虐めているような気がする。

不毛過ぎて、一歩引いて眺めると笑えるのだけれど。結局、私は私が好き過ぎて虐めているのだろう。可愛さあまって憎さ百倍、と言うものね。

だから。「自分のこと」を忘れて過ごせる時間が好き。そういう時を与えてくれるものが好き。もうひとつ、さらに消し去れない野望を明かせば、自分がそういうものを他人に提供できる人になりたい・・・なりたかった。

すっかり忘れる、というのではなく、ひととき忘れる。それゆえに、また自分の生活の苦しみの中に勇気を持って、戻って行けるような。そういう「我を忘れる」時間を与えてくれるものたちに、改めて感謝しよう。さて。帰りますか。

WEB上で文章を書くということ

azisai.jpg

近頃休まず更新していますが、これらは全て予約更新。
この記事は、久しぶりの「今」の私の声になります。



先日・・・と言っても一か月以上前の話になりますが。
私の読書感想を著者が読むという事件がおきました。

朝、ツイッターを開いたら。
「こんなにひどいことを言われたのは初めて」と、
著者さんがぼやいて私の記事通知を拡散していました。

あの瞬間、息がとまる思いで。
リツィートされたことで、思いがけず広まった記事を、
慌てて読み返し、またドドーンと落ち込みました。
(著者さんがぼやきたくなるのも納得の内容なのです)

著者さん周辺の方々からも、幾つか声を頂き。
「わかっていない」「フェアじゃない」と・・・

でも、そもそも、私は。
「フェア」な感想などは目指していません。
どんな作品であれ「わかる」とは思っていません。

為になることや参考になることを書けるとも、
いえ、書きたいとも微塵も考えていなくて。
たとえ一時の気の迷い的なものであっても、
読後に感じたことを書き残したいだけなんです。

全く「書評」でも「批評」でもない。
読んだ時の精神状態も反映された「私の気持ち」。

それでも、こうして著者本人が読むことになったり、
その周辺の方々の目にとまることもある・・・と知り。
このような心構えで書くのは「間違い」では・・・と。
悶々と悩み続け・・・。今も答えは出ていません。

元々私は「そんなつもりはなかった」ということが多く。
相手の「受け取り方」に驚くことがよくあります。

相手側に非があると言いたいのではありません。
そもそも、相手というものの存在が念頭にないのです。

誰でも読める場所に書いておいて。
読み手の存在にびっくりしているなんて、おかしな話。
まず読む人の気持ちになって書くべきじゃない?

でも、どこに読み手がいて。
何を求めて私なんかの文章を読むんだろう?

あ。自虐ではありません。断じて。
好き勝手書いていても、反応があるのは嬉しいです。

褒められたいわけでもなく、共感して欲しいのでもなく。
何か感じて下さるものがあれば、幸せに感じます。

それを言えば「怒り」や「哀しみ」や「反感」でも、
何かを呼び起こしたことになるわけですけれども・・・
負の感情の源になってしまうのはとてもとても辛い。

今回、かなり骨身に堪えたので。
10日ほど、ブログもツイッターも開きませんでした。

とにかく、著者が私の記事を読むなんて悪夢です。
褒めちぎっている内容であろうとも読んで欲しくない。

だったらブログなんか書くなよ・・・と、自らツッコミ。
でも、書きたくないわけではなくて・・・と言い訳。

ここのところで思考が何周も回り続けたので、
精神論?から離れ、現実的対処法を考えてみました。


1 ブログをやめる
でも、やめたいとは心の底では思っていない

2 ツイッターでの更新通知をやめる
でも、通知のおかげで読んでくれる読者さんも貴重

3 現役作家の作品の感想は書かない
でも、読んだ本全ての感想を書く主義は曲げたくない

4 現役作家の作品の記事の時だけ通知を切る
でも、なんか姑息・・・それに危険がゼロにはならない

5 ツイッターをやめる
かなり真剣に考慮したけれど、やはり今やめたくはない



ちなみにブログをやってる方はわかると思うのですが。
記事更新毎にツイッターに自動通知する機能があります。

ツイッターだと、検索で容易に発見されるんですよね。
私は記事タイトルがズバリ著者名と作品名なので尚更。


実は。飛躍しすぎて笑われそうな6つ目の案があります。
ここまで書いて、その案だけ隠すのも思わせぶりですが。
本題からかけ離れた内容なので、伏せさせて頂きます。

気になる人のために、ヒントをひとつ。「永沢さん」
これでわかる人も結構いらっしゃるかしら。

タイトルと無縁の域に流れてきましたが。
気持ちもやっと落ち着いてきたところで思うのは。
「色々あっても仕方ないのだ」ということ。

図々しいのを承知で申し上げますと。
私は異常に「落ち込む」「傷つきやすい」性質。

そんな自分が嫌で、改善の努力も重ねてきましたが。
変わらないんですよね・・・そういうのって。

今回の作家さんも私の凹みぶりに驚かれた様子で、
「ご迷惑おかけしました」と謝って下さいました。
あべこべに気を遣ってもらい、誠に申し訳なかったです。

WEB上に書くというのはトラブルが起きやすいもの。
誰かを傷つけてしまったり、それで自分が傷ついたり。
穏便に和解出来る場合も、どうにもならない場合も・・・

仕方ないと言ってしまうと身もフタもありませんが。
その時その時、心に従って対処するしかないのでしょう。

今回、選択した6つ目の案は。
論点がずれていて明らかに「オカシイ」ですが。
その道に辿りつけたのは、怪我の功名でした。

今回のことが後押ししてくれたけれど、
それは「ずっとそうしたかった」ことなのだと。
気付くきっかけを貰ったのだと・・・思います。

いつか、そのことに関しては改めて書きますね。

追記

そもそも書くことはずっと私の生活の一部で。
以前は日記や手紙をせっせと書いていました。

「WEB上で書き始めて日が浅く」とは図々しいですが
紙に書いていた年月と比べると、一瞬みたいなもの。

WEB上で書くことの意味や、書きたいという欲求や、
その形を取る事で生じる弊害や恩恵、気遣うべき点など、
整理できずに混沌としてるのだと改めて実感します。

  

プロフィール

Author:彩月氷香

とにかく本が好き
読書感想がメインですが
時々、写真や雑記も。

*初めましてのご挨拶
*ブログタイトルの由来

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