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『金曜日の本』  吉田篤弘

4120050211
中央公論新社
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片岡義男の株があがりまくる!本

いや。ほんとに。私、特に片岡義男ファンではないですが。
著者のエピソードで、ちょっと惚れました。

吉田さんは片岡義男のファンだったのですよね。
で、手紙を送る・・・ならよくある話ですが。
自分の書き溜めたものを小冊子に仕立てて送ったそうで。

そしたら、なんと直筆の返信が届いたんですって。
送った小冊子と共に。

大事なものだと思うので、
コピーをとり、オリジナルは返送します。


・・・って。まぁ!まぁ!
片岡義男の直筆って、ちなみに、こんな感じ。
ちょっと面白い記事があったので、貼りますね。

編集者/美術ジャーナリスト 鈴木芳雄のブログ フクヘン。
「電子メールもファクスも無かった頃 」

ね。
決して上手くない字だけど、味がありますよね。
らしい、っていうか。
彼の万年筆へのこだわりを思い出しながら見ると感慨ひとしお。

片岡義男はまぁなんだかんだで読んでなくはなくて。
大好きでないにしてもやはり好きというか魅力は感じてたな。

私はおしゃれなヒトではないんで反発はあるけど。
とにかく、洒落ているってことは間違いなくて。

あ。話を片岡義男から離そう。
本好きさんなら共感できるところはたくさんあると思う。

「どんな本を読むの?」ときかれた時の著者の答えが素敵。

「どんな本でもいいんだけど」とひとまず答え、しばし考えた。
なんといったらいいのだろう。
 自分が読んできたいくつかの本を思い浮かべ、それらの共通点を考えると
「気持ちがあったかくなるもの」と。

ちなみに。私はどうだろう。
あったかくなる・・・は違うかもなぁ。
むしろ、さむくなってるときも多い気がする。

ほっとしたいとか。癒されたいっていうのはなくて。
頭がぐわんぐわん、脳がぴょんぴょん跳ねるようなのが好き。
ひやー。ひぇー。ほー。って叫びそうな。

まぁ。穏やかな小説も大好きだったりするんですけれど。
そういう時も「こんなに穏やかに書けるのか!」って興奮してたり。
意外と、熱血な読書家かもしれないです、私。

・・・て。脱線がとまらないので。
心にとまった箇所を幾つか引用して終わります。

 本を買うということは、その本を「未来に読む」というひとつの約束のようなものを買うことだった。借りてきた本には期限がある。そうなると、そこにあるはずの「未来」が、あまりに短くてがっかりしてしまう。
 一方、自分のものにした本には、限りない「未来」が含まれていた。
 本を買うというのは、「未来と約束すること」なんだと気がついた。

 ときどき、そうして未来のことを考えた。
 どういうわけか、未来はもう決まっていると思っていた。それがどんなものであるか知らないけれど、自分の未来は遠いところにもうあって、動かすことはできない。誰かに教わったわけではなく、いつのまにか、そう信じていた。
 だから、未来に対する不安はほとんどなかった。遠いところへ旅することと同じだと思っていた。いつでも、そのことを誰かに説明したかったが、どう云っていいかわからない。ただ、ふとしたときに、未来の一部が映画の予告編にみたいに見えた。見えるというか、それは気配のように、背筋がぞくりとなって感じられた。

 まずは食料と飲みものを確保し、ロッカーに預けて手ぶらで本屋に行く。身も心も手ぶらになる。何の情報も要らない。誰かが推薦しているとか、映画化されているとか、そんなことは知らない。知らない方がいい。子供のころ、学校の図書室で本を選んでいたときの気分に戻りたい。あ、これを読みたい、と思った本を立ち読みし、面白そうだったら、迷わず手に入れる。
 そんなふうに、ただ自分の好きな本を読んで、それで本が好きになった。どうも、そういうことを忘れていた。

 いかにも面白そうな本よりも、誰も読みそうにない本に、自分にとっての「面白い」があるように思う。


吉田さんは、ホンモノの個性がある人なんだなぁ。
好き嫌いがこういう風にはっきりしてるって清々しい。

私もそういうところはあるのだけれど。
下手に一般社会に馴染もうとして迎合した期間があったり。
教育的観点から、好みの偏りを矯正されたりというのがあって。

ま、いいんですけれどね、それはそれで。
好みの幅が広がったし。世の中に取り残されずに済んで。
でも。ちょっと。悔いというか、悔しさがある。

ズレにズレた価値観で生き続けられなかった・・・
自分を貫き通せなかった・・・
今世紀のド変人、とか化石人種になれたかもしれないのに・・・

(2018.4.10)
どうでもいい話をすると。
吉田さんはサーティーワンといえば、
チョコミントでなく、ジャモカアーモンドファッジだそうで。
これは私も同じ! ていうか懐かし過ぎるな、サーティーワン。
もう何十年と食べてない。ちょっと食べたくなった。


私の本棚 4 〜積読本棚ブロック2後列

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『魔法の庭』 イタロ・カルヴィーノ
『猫のパジャマ』 レイ・ブラッドベリ
『フランケンシュタインの日記』 ヒューバート・ヴェナブルズ
『パースの城』 ブラウリオ・アナレス
『本の中の世界』 湯川秀樹
『カントはこう考えた』 石川文康
『ジーノの家』 内田洋子
『ハロウィンがやってきた』 レイ・ブラッドベリ
『短くて恐ろしいフィルの時代』 ジョージ・ソーンダーズ

以上9冊。

レイ・ブラッドベリが2冊ありますね。好きです。
しかし、なぜ並べず離してあるんでしょうね。
何も考えずに突っ込んだんだろうなぁ。

カルヴィーノ、確か読んでません。
何でだろうと思うけど、読みそびれています。
他の作家も読んだことないですね。

あ。湯川秀樹。この「大人の本棚シリーズ」がいいの。
もう全部、集めたいくらいです。
これもどこか他の棚にも何か一冊くらい入ってるはず。

今回も脈絡のない棚でした。
好きなはず!好きかも?な本を詰めた棚というところ。

では次回はこの棚の隣の前列を紹介いたします。

『古典の森へ』  田辺聖子 工藤直子

4087497844
集英社文庫
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古典は私の苦手分野だった……忘れてた。

そもそも。これ、毎日新聞の連載なんですね、元々。
読んでるはずだと思います。飛び飛びですけれど。
工藤直子さんが書きとめ役のおしゃべりだったとは。

で。楽しく読みました(忘れてるから)。
で。読んでてもうひとつ忘れてたことに気付く。

私、古典にまったく哀しいほど興味がない。
それは昔からそうでしたね。
理由はたぶん「面倒くさい」からでしょう。

古文の勉強ができませんでした。
基本、せっかちなので。読んですぐ解りたいんです。
文章の意味を理解するために学ぶというのが性に合わない。

あ。そうか。だから外国語もだめなんだ・・・

国語は勉強する必要ありませんからね。
ただ、国語辞書は十代の頃1年間だけ、マメに引きました。
そういうセルフキャンペーン(?)を行っていた時期があって。

言葉の細かいニュアンスを正確に知りたかったんですね。
雰囲気で意味は掴めてますが、語源まではわかりませんし。
ま、面倒臭さが勝つので。1年で飽きちゃいました。

基本、わかろうがわかるまいがノンストップで読む。
読んでるうちに自然にわかる、という雑な読書でした。

そもそも。文学好きでもなんでもなく。ただの活字中毒で。
文字が書いてあれば、何でも読みたいだけだったのです。

不思議と。漢字は子供のころから読めました。
書くのもほぼ間違わずに何でも書けました。

おかげさまで。国語の勉強は必要なく。
テストが95点以下だったことも一度もない。
よく問題になる「作者はなにを言いたかったか」の件で。
ちょっと減点になることがあるくらいのものでした。

それも、作者が何が言いたいかは無視して。
出題者が期待している答えを推理して書けば、ほぼ当たる。

だから国語が好きかっていうと。
別に楽しい授業でもなかったので。どうでもよく。
ただ、勉強せずに点数が稼げてラッキー!というだけ。

本が好きな人って。皆そんな感じなんじゃないかな?

ただ、一つ。困ったことがありました。
それは。時々、間違った「読み方」をしていること。

書物にはよく登場するけれど。
口に出して言う機会はほぼない言葉ってありますよね。

えーと。例えば。「青二才」とか。
これ、本にはちょくちょく見かけますが。
会話にでてきます? 聞いたことがない。

意味はわかります。わかるので辞書は引かない。
本に出てくるたびに頭の中で発音してますが。
誰かが「それ、読み方違うよ!」とも言ってくれない。
だって、自分の頭の中だけで発声してますから。

あ。私がなんて読んでいたか?
……「せいにさい」です。

「あおにさい」と知ってからも。
「せいにさい」と読んでいた年月が長過ぎて。
なかなか正しく脳内発声できないくらい定着してました。

幸い。誰にも知られないうちに気付けました。
これはワープロの時代になってからのことです。

「せいにさい」と打ったら、変換されなかった。
えーなんで、こんな基本的な言葉が出て来ない!と怒る。
そこで、ハタと気付く。もしかして、読み方が違う?と。

知ったとき、一人で恥ずかしさに悶えておりました。
そのうえ新しい読み方に慣れずにイライラするという……
だって、何百回と読んで来たんですもん。
「せいにさい」って……

他にも、幾つかありますよ。
5年に一度くらい、ポロッと出て来たりします。
ワープロ(いまはPC)で打って発覚するのです。

これね。手書き時代だったらわかりませんでしたよ。
読み方を間違っていても、正しく書く事はできますから。

なので。私は。
アナウンサーの読み間違いを責める気持ちはゼロです。

他人が「そんなの常識!」と思うほど。
「読み」って常識ではないと感じています。
思い込みで定着しやすい上に、間違いに気付くチャンスが少ない。

それまでの人生でその語に出会ってなかった、ということが。
見聞の範囲が狭いと責められるべき場合もありますが。

正しい読みが出来ない=その語を知らなかったとは限らない。
読み方だけを間違っちゃってたことを責めるのは酷で。
映像に興味がなく活字中心に生活してるとあり得るんです。

日常会話に出てくる言葉も現代日本では狭くて浅い。
たぶん、私も知っている言葉の億分の一も使っていない。
何度も目にしていても、発音する機会がない語って、山ほどある。

語の読みと書きと意味と使い方がすべて完璧って難しい。
読めるけど書けない、が一番多いパターンで。
読めるけど意味がわからない、もたまにはあるでしょう。
読めて意味もわかって書けるけど使いこなせない場合も。
読めないけど意味がわかってる、もありますね。

この基本形に、そのうちのどれかが間違ってるというのもある。
で。間違ってることに本人が気付いてないという哀しい事態も。

で、ですね。
私がいちばん優先していることは。
言葉の意味がわかることですね。

本を読むのに必要なのは、ここだけです。
読めなくても大丈夫。書けなくても大丈夫。
声を出さない黙読なら「記号」として通過できます。

その語の漢字の読み方を知らなくても。
その語を見るたびに正しい意味が頭に浮かべば。
支障なく読書は楽しめます。

多読・濫読していると。
こういう知ってるような知らないような語が増える。
何度も様々な場面で遭遇することで、意味と用法はわかる。
読み方だけが、ルビをふってない限り、永遠にわからない。

あ。調べればいいんですけどね。
何度もいいますが。私、無類の面倒臭がりで。

こんな性格なので。
古典もやみくもに読みまくったら、わかるようになったかも。
ただ、まず、そこまでの興味がない。
勉強が大嫌いなので、文法を理解しない。
わからないから、ますます興味が失せる。

マンガか、現代語訳から入っていく人も多いと思いますが。
そういう性分でもないんですね。
で。「なんか面倒くさいわ」で古典は放り投げられたのです。

世界観を覗き見するのは楽しいですよ。
だから本書のような古典の紹介のエッセイなんかは面白い。
だけど、そこから原作へとのめり込んでは行かないですね。

本当は。漢文なんかも読みたいんですよ。
漢字がズラズラ並んでるの眺めてると爽快。
でも。読み下すのとか大っ嫌いでした。

待って待って待って。
本の感想からどんどん遠ざかってる!
しかも自分でも何が言いたくて書いてるかわからなくなってきた!

えーと。えーと。えーと。
つまりですね。勉強が嫌いって損だなー、と。

私は読むことがとにかく大好きなのですが。
努力ということを一切したがらないために。
現代国語しか読めないで人生が終わりかけているのです。

なんて、勿体ない!

かと言って今さら古文とか勉強しようという気は湧いてこない。
あーでもでもでも、絶対、損してる!

……ということをですね。本書を読んで実感した、わけです。

国語方式で。
わかろうがわかるまいが数だけバンバン読めば。
いつかは自然とわかってくるっていうのもあるかもですが。
で。そういう理解の仕方が私の理想なのですが。

現代語同様に長時間、古文に触れるとかは難しく。
たぶん、うんざりしちゃうでしょうね。

英語をね。この方式で勉強しようとしたんですが。
そう。ひたすら辞書を引かずに読みまくる、っていうね。
これも。一定の部分までは通用するのですが。
嫌になっちゃいますね。

「おおー。英語を英語のまま(翻訳せず)理解した!」と。
狂喜乱舞する瞬間とかはあったんですけれど。ええ。何度か。
気力が続かないのですよ……

言うても外国語やん? 単語覚えるしかないやろ。
と。単語の暗記を猛烈にやるのも、何度かやりましたが。
これも。記憶力と根気がまもなく途切れます。

なんでや。何で古典への誘いの本を読んで。
英語学習の挫折を思い出して、落ち込まなあかんのや。

うーん。うーん。うーん。

要は。古典に興味なくても本書は楽しく読めます。
古文が読めないって残念!と感じて勉強したくなるかもしれません。
やっぱり、無理無理無理!で終わるかも知れません。
あるいは現代語訳の古典に触れてみようと思うかも知れません。

私は上記にすべて当てはまったうえに。
あー。面倒くさい。やっぱいいや、古典は別に。
……というところに着地しました。

いや。ほんとうはそう言い切れるほど、ふっきれてもなく。
わからないままに原文を読むこともあるのです。
基本、わからなかろうとも原文を無理矢理読むのが性に合う。

同じ方式で。
万葉仮名も読もうとしまして(書道をやってた時代)。
ええ。昔のふにゃふにゃした筆文字ね。
これが、意外と読めるようになったんですね。

古文書をスラスラ読めたらカッコいいですが。
俳句か和歌なら読める、手紙の一部が読める、くらい。
そこからは真面目に勉強しないと進歩しないみたいで。

で。読めても、意味がよくわからん!

ああ。どうして。こんなに勉強嫌いなんだろう。
知りたいことはたくさんあって。
そのために必要な勉強はあるのだけれど。
とくにやはり、私は言語全般に興味があるのだけれど。

どれもこれも、見事に挫折。

現代の日本語さえ読めていれば。
専門家の方々が何とかしてくれるという甘えもあるかな。
翻訳してくれる人も、古文書を訳してくれる人もいますから。

ただ時々。下手糞な翻訳に激怒し。
読みたい本が翻訳されていないことに泣き。
古文がわからないがために、イライラし。
展覧会で古文書を読もうとしても飛び飛びにしか読めず。

しかも。不信感が強い&妙に勘はいいので。
訳のおかしい点には気がつくのですね。

自力で読めたらいいのに!読みたいのに!

自分の頭の悪さだか、努力嫌いだか、短気だか、
なんだかわかんないけど、勉強ができないことが哀しいです。

まぁ。頭が悪いから本が読めるのかもしれません。
うん。賢い人は私みたいな本の読み方はしないでしょう。
そのことは哀しくありません。

そうか。私が本をやたら読む原動力のひとつは。
自分の頭の悪さに対する絶望の反動……?
(もちろん、単に読書が好きなのが一番ですが)

以下、付箋を貼ってあったところを写しました。

<あたしはこう思う>という意見を、ひとりひとりが持つことも、その国の文化度を示すバロメーターになると思うのだけど、その意味では、日本はまだ底が浅いと思うんです。
 現状ばかりでなく、歴史上の人物に対しても一家言あるとか、家庭とか子供に対しても、はっきりした考えを持つというのが、文化じゃないかしら。———もっとも、日本語の雰囲気には、はっきりものを言うのを避けるというところがあるから……それはそれで、とても暖かい日だまりのような文化なのだけど……そういう民衆的な言語感覚がもたらすものかも知れませんけどね。

 私は、ほんと、フリルのあるデザイン、好きなの。でも、おもしろいものでフリルって、そのときの気分で合うときと合わないときがありますね。おちこんで、メゲたりネクラになったりしてるときは、フリルが浮いてる感じで、フリルばかりがひとりでハシャいでいる(笑)。ぜんぜん気持ちが添っていかないのね。
 そういうときは、きっと着てても似合わないんだろうと思いますね。
 着るもとか、髪のかたちなんかも、心ざまに添ってるかどうかって大切みたい。

 本当は本もためないほうがいいと思う。吉村昭さんが、仕事が完成したおと、そのために集めた資料をすぐ古本屋に売られるという話をきいて、いいなと思いました。次にまた必要な人が見つけて使えますものね。
 私も、マメに動ければ図書館などを活用したいのですが、それがしにくいので、つい買いこむのだけど、死んだら、すぐ古本屋に出してといっているの。

 はじめて行く町なんかだと、町の歴史など知りたいほうなので、そのあたりの、維新のときのお殿さまの名前とか、勤皇派だったか佐幕だったかなんて、あらかじめ、ちょっと調べていったりします。そんなちょっとしたことでも、旅のおもむきが違ってきます。

 何年もかけて———一生かけてでしょうけど———すてきな好きな町を沢山つくって、その町に仲のよいお友だちができてね、<来たわよ>って電話したら<じゃ飲みに行きましょ>って、その町の人しか知らない穴場のお店なんかに行ったり……そんな場所が日本中のあちこちにできたら嬉しいなと思うの。旅についての、私の夢ですね。外国にもそんなとこができればいいなあ。

『伊勢物語』は<もうちょっと言い足してくれたら……>というところで、完結にさっと描写して終わる。そこのところが好きですね。
 その行間をこちらが読みとっていくのが面白い。しゃぶっていると、いくらでも味が出てくる(笑)。自分の人生のキャリアに応じて、いろんな読みとり方ができる。奥深い本だと思います。

<もののあわれ>は一貫して『平家物語』のなかをながれ、物語の最後は、「それよりしてこそ、平家の子孫はながく絶えにけれ」と、ふっと灯が消えるように幕を閉じます。
 ね、『平家物語』にあらわれる男って<いい男>が多いでしょ(笑)。——<いい男>というのは、なんというのかなぁ……その人に、華がある、というか、そんなふうに感じさせる人ね。
 その人のまわりにいると、なにか良い事がありそうに思えて(笑)、そばにいるだけで高揚感を味わえるような人……男にも女にもいますね。

 それから、愛嬌がある気配というのも、いいものです。見ず知らずの人であっても、ふっと感じる気配が、なんというか、物言われたそうにしている(笑)、こういうのはカサ高くない。
 私にとって<カサ高い男>っていうのは<いい男>じゃないですね。いくら立派で、美男で、本人がイキがっても、カサ高い人は、それだけでももうだめですねえ(笑)。
 <カサ高い>というのは、そうね、かわい気がないってニュアンスかなあ……かまえてるというか、ね。なんかこう、場所をふさいで、うっとうしいような。……いやいや、体の大きさと関係ありません。小柄な人でも、カサ高いと場をふさぐ(笑)。こういうのって、なんとなく肌で感じるものなんですね。

古典と関係ない話がけっこうありますね。

(2018.3.28)
さて。この記事について言い訳を。
3月に読んだ本の感想を9月になって書こうとしたものですから。
内容はまったく覚えておらず。かと言ってまた読むのも癪で。
何とかむりやり感想を書こうとした結果の大惨事です。
本人は呑気に「やっぱり英語の勉強だけはしようかな」とか。
ぜんぜん関係ないところに意識を飛ばしております。
何を読むかも大事だけど。「どう読むか」だよなぁ、やっぱり。
古典が面白いというより、聖子さんの読み方が面白い。
私、『平家物語』に何の魅力も感じていなかったのですが。
この本を読んで、読んでみたくなりました。
「読み上手」な人って素敵だな。見習いたいです。

『パーフェクト・ヘルス』  ディーパック・チョプラ

4877713662
きこ書房
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実行不可能。アーユルヴェーダはハードル高し。

全米ベストセラー、の文字が表紙に。
副題もなかなかの欲張った内容です。

「病気も老化も存在しない完全な健康と幸福を手に入れる」

ま。夢のような話ですね。
仙人というか・・・不老不死に近い理想。

で。アーユルヴェーダなわけですよ。
えー。そうと知っていたら読まなかったのに。

アーユルヴェーダに否定的というわけではなりませんが。
正直、現実的ではないと感じています。

自分の体質を知り。それにあった食生活や生き方をする、と。
その体質っていうのが、大きく三つに分けられて。

まぁ。せっかくなので調べてみましたけど。
私は、ヴァータでしたね。思った通り。

華奢、疲れやすい、眠りが浅い、興奮しやすく気分にむらがある、
疲れやすく、頑張りすぎる・・・などなど当てはまります。
体質にあったお勧めの行動のうち、出来そうなものは。

・温める
・規則正しい食事
・一日3食、きちんと腰を下ろして食事
・ハーブティーを飲む
・冷たい飲み物と食べ物を避ける
・大音量の音楽、暴力的映画、夜間の長時間のテレビはダメ
・珈琲、お茶、ニコチン、アルコールを避ける

まぁ。出来るような出来ないような。
出来てるような、出来てないような。

あと。だだーっと参考にしてみるか?みないか?
と悩む事項を列挙(ただの雑なメモ)


夜明け前の直前と日没の直後、植物の生命力を受けとるのに最適。

朝は6時から8時スタート
昼食、正午から1時
午後6時から7時に夕食
午後9時半から10時半に就寝

理想の一日の流れ

夜明け前に起床

目を覚ます⇨白湯を一杯飲む
歯磨き
マッサージ
運動
瞑想
朝食
朝の散歩(30分)

朝食(一日の食事でいちばん多く)
食べた後5分は静かに座る
散歩(5〜15分)
夕方に瞑想

夕食(軽めに)
食後5分間、静かに座る
消化を助けるために散歩(5〜15分)

軽い運動
夕食から3時間経ってから寝る
寝床で読書、テレビ厳禁


沸騰した水の火を止め、そこに大さじ1杯分の皮をむかずに穂租切りした生姜を入れ、5分ほどしてから漉す。→これを飲むのがおすすめ。


(2018.7.21)
あー。読むだけで面倒くさくなって来た!ダメだ!
ただ、鼻を片一方ずつ押さえてやる呼吸法は良かった。
(プラーナヤーマ)

ある意味、これが実践出来るって羨ましいほど優雅だ。
食べていいもの、悪いものの分類が個性的で面白い。

糖分と油分を推奨されてて、なんか楽しくなった。
西洋医学的な栄養学と相容れないんですね。

体質で合う合わないは確かに無視出来ないので。
科学的に栄養素のことばかり考えるよりは良い部分もある。

専門家の指導を受けずに個人で実践するのは難しいと思う。

『テーラー伊三郎』  川瀬七緒

4041056179
KADOKAWA
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ドラマ化したら、いいかも。

面白くなくはなく・・・
とりあえず。
キャラの濃い人ばっかり出てくる。

で。段々、胸焼けが。
なーんかな。戯画的であり過ぎる。
マンガだわ。あ。漫画をバカにしちゃいかん。
不適切な発言、例えだ。ごめんなさい。大失言。

最初、面白くて。
それが、どうも終盤に失速する。
あ。私にとっては、ですけれど。

せっかくなのに。
あ、なんだろう。そう感じた。

素材は良かったのに。
味付けがあまり好みじゃないのよ。

そんなに変人ばかり集めなくてもって思う。
変な人って大好きなんだけど。
多過ぎると、現実味がなさ過ぎるの。

ガチャガチャ感が、持ち味なのかな?
そういうのも決してキライではないんだけど。
ああ、しっくりこなくて。

もったいない。
こんなに、表紙が可愛いのに。あ、違う。
伊三郎さんのキャラも、頑固さも良かったのに。
アクア君も健気で可愛いのに。

話が甘い、甘過ぎるぞ。
リアリティ重視派ではないけど。
妙に話がぺらぺらな薄さに感じられて残念。

ストーリーが、作家の都合で動いてる印象。
随所で、「ないないない」と否定してしまう。

無さそうなことを「あり得る」と感じさせる力が不足。
ちょっとストーリーの細部が雑な感じがする。

いや〜。好きなところ、結構あるんだけどな。
鏤められた蘊蓄が楽しいし。

このノリは上手く調理すれば。
ドラマなんかだといい頃合いになるかも。

あ。伊三郎のこだわりには共感するところ多々あり。
以下、(勝手に)伊三郎語録。

人の顔色を見るな。人とくらべるな。意見を飲み込むな。自分の人生は自分以外のだれにもゆだねるな。

体の中心線で一ヶ所でも地の目が通っていないと、着る人間のほうが影響されるんだ。どこか着づらいとか引っぱられるとか動きにくいって感覚は体が警告を出してんのさ。仕立ての悪い服は静かに骨と筋肉を歪めて神経にも障っていく。

いいか。物には適性価格がある。馬鹿が安売りすれば、それ以上の馬鹿がさらに安い値をつけてくる。そうすれば価格も市場も産地も崩壊して、業界全体の首を絞めるだけだ。安さに慣らされた者は、価値感覚が狂ったまま戻らない。


(2018.4.5)
物語全体が。楽しくて可愛いんですよ。
断然、大好きになりたいような雰囲気でした。
でも。物足りないというか。無駄に騒がしいというか。
どうもな・・・なんだかな・・・
初めましての作家さんだったけど、他に読む気は起きないな。


  

プロフィール

Author:彩月氷香

とにかく本が好き
読書感想がメインですが
時々、写真や雑記も。

*初めましてのご挨拶
*ブログタイトルの由来

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ちいさな絵日記。

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