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夜はやさし  F.スコット・フィッツジェラルド

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予約していたこの本を受け取った時、その厚さに驚いた。500頁を越えている。寝ながら読んだら手が痺れるだろうなと思った。だいたい読み通せるのだろうか。

フィッツジェラルドと言えば、「グレート・ギャッツビー」。村上春樹が自らの小説の手本と崇めていたから、それがきっかけで手にした人もいると思う。私が読んだ新潮文庫版の表紙は映画のスチール写真で、ロバート・レッドフォードと名の知らぬ女優が手を取り合っている姿だった。二人の服の白さが、鮮明に記憶に焼き付いている。

ところが私は「グレート・ギャッツビー」にはどうも感心できなかった。若き日の夢を追う男・・・その対象が美しくはあるが浅はかな一人の女と、それを取り巻く上流社会。このデイズィという女のどこが、そんなに魅力的なのか?描写もツクリモノめいて、やや大仰に感じる。

もっとも、フィッツジェラルドの最大の魅力であるとされる文章の美しさは、翻訳不可能だと言う声をしばしば耳にする。翻訳で読むこと自体が間違っているのかもしれない。村上春樹訳が出たとき期待して再読したが、印象はむしろ悪化した(訳が下手なのではない。あまりにも村上春樹の文体なため、落ち着かなかったのだ)。

「夜はやさし」は、そんな私には不吉に思えるボリュームで、ドーンと構えていた。ただ、その厚みにもかかわらず、佇まいは好ましかった。タイトルどおり、夜のやさしさを感じさせる装丁で。

読み始めてしばらく、幾分まごついた。細かな描写を拾うことに注意力を要した。主人公(と、この時は思った)のローズマリーの、若い娘らしい感性についていくのに骨が折れた。私がこんな風に若かったことなど、あっただろうか?

50頁ほど読んだところで。すーっと。物語の中に気持ち良く自分が収まっていることに気付いた。文章の呼吸が自分自身のそれと足並みをそろえ、一文一文が柔らかく胸に沁みとおっていく。

急に目の前が広くなる。同時に何かに包みこまれているような心地よい狭さも感じた。すっぽりとお気に入りの毛布にくるまって目を開いたまま素敵な夢を見ているかのように。

読みとおせるかどうかの不安は。読み終えた淋しさの予感に変わる。それからは、すこしずつ大切に読んだ。もっと読みたいと思う名残り惜しささえ慈しみながら、ゆっくりと。この本を読み始めるとなぜかいつも降り出す雨が、小さな魔法のように思えた(私の住んでいる土地では雨など滅多に降らない)。

徐々に浮かび上がってきたのは、この物語の真の主人公とその破滅。私は共感も憐れみもなく、ただ一緒に落下していきながら、優しい雨音に滲む繊細な文章のリズムに身を任せていた。

時代の寵児だったフィッツジェラルドが「彼はもう終わった」と思われていた晩年に書いた本作。ヘミングウェイは、こう評した。
「悪くはないが、自己憐憫的で、めそめそしている」
物語の破綻や欠陥も指摘されている。構造上の不備、整合性のバランスなどに崩れの見える箇所が少なからずあるという。

そんなこと気付きもせず、私は読んでいる間ひたむきに物語のなかの「今」を生きていた。すぐそこにありながら手が届かない幻の美しさに、翻弄されるというよりむしろ、深く癒されながら。完璧でないがゆえに物語が人生の矛盾と噛み合い、自然に呼吸している。

ひとりの女に破滅させられた男、という風に捉えるなら「グレート・ギャッツビー」と主題は同じだ。しかし彼(ディック)はニコル(妻)に出会わなくても、やはり自らを他人に与えるように生きただろう。

最初から見えていた終末へと。彼は必死で抗いながら押し流され、しかし誰をも魅了する鮮やかさで泳いでいた。場面はすべて豪奢に富で飾られ、なせる限りの贅を尽くす人々を描きながら、静かに澄み渡っている。混沌にすら漂う透明感。哀切な願いがピアノの高音のように、細く鋭く深い闇を越えて読み手に届く。

意味を問うことを忘れさせるほど、かけがえのない「今」。切り取るというほどに鮮やかではなく、まるで手でちぎったかのように、やわらかな筆致で描き出す・・・。

「グレート・ギャッツビー」を鮮やかなプリントとするなら、「夜はやさし」は木版で柄を印刷したインド綿のようだ。生地も高級品のパリッとしたものではなく、水をくぐって柔らかくなったような風合いで。この生地を素材と見て、作品をスカートに例えるなら、襞はたっぷりとあり、裾も引きずるほどに長い。

カットのきれいなデザイナーズメイドの高級な洋服も、私は好きだけれど。この、綿のスカートはきっとそれ以上に、ずっと長く大切にするだろう。

無論、このスカートは、その柄も肌触りも極上のものだ。反発しあう色がひしめき合いながらも溶け合い、目を楽しませる。いずれの色に注目するかによって異なる模様が浮かび上がる。

それは見飽きることはなく、しかし、見つめることを強要しない優しさを静かに湛えている。

(2011.)
好きな作品も、感動した作品も、面白かった作品も、感嘆した作品も。
過去に少なからずありますが。これほど「やさしさ」を感じた小説はありません。

傷ついてなお立ち向かうというよりも、「敗北」を予期しつつ・・・
いいえ、確信しつつ・・・溺れながら泳ぎ続ける日々の、その悲哀。
残酷だけれど、極くありふれた生きる苦しみ。

その表面が空疎なまでに磨かれて華やかなことも。
心を尽くした努力が報われないことも。何もかもが、この上なく優しい。


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楽しみにしてましたよ!「夜はやさし」の感想。
彩月さんの感想に愛情を感じましたよ、フィッツジェラルドに、そしてストーリーに。

私がこの本を読んだのはもう20年くらい前。当時、角川が復刊文庫シリーズとして、絶版になっていた作品を出してくれたんです。ちょうど村上春樹に傾倒しているところだったので、貪るように読みました。でも、残念ながら、その作品の良さを堪能することはできませんでした。

フィッツジェラルドの好きな作品は実は短編ばかり。短編の完成度の高さに比べると、この作品はちょっと・・・・・という感想を持ったのかもしれません。すっかり内容は忘れてしまったし、あれから20年、私も年齢を重ね、人生経験も積んできた(ことにしよう)。今なら、もっと理解できるかも。

>「グレート・ギャッツビー」を鮮やかなプリントとするなら、「夜はやさし」は木版で柄を印刷したインド綿のようだ。

こういう比喩、好きですよ。
私は絶対に書けない表現だ。。。だって、インド綿とかわからん(爆)

>それは見飽きることはなく、しかし、見つめることを強要しない優しさを静かに湛えている。

とてもいい感想だーーーー!シンプルかつ愛があります。
読みたくなります。

夜はやさしの帯にどうでしょう?(笑)
「”見つめることを強要しない優しさ”がある」(彩月氷香)とか。。。
2011.10.23 08:46 | URL | 速読おやじ #JyN/eAqk [edit]
わーい。速読文学青年さまが、ご来店~♪♪

おお。さすが。20年前に読まれましたか。
若い時にはわかりにくい本なのかもしれません。
私も20年前に読んでたら、途中放棄したような気が・・・

フィッツジェラルドは、やはり「短編」が完成度は高いです。
うん。でも、そこが可愛くない。緩みが欲しい。
というか・・・原文で読むべきなんだろうなって感じます。

この際、頑張って英語に再チャレンジするか!
(って、毎年毎年、思うんですけどもねぇ)

ははは、インド綿は、わかりにくかったですね(笑)

>「”見つめることを強要しない優しさ”がある」(彩月氷香)
おおお。まるで自分で書いたとは思えない!(爆)

速読おやじ様のコメント読んで、元気が出ました。
文学、またこれからも、読みますね。
いつも思いやり深いコメント、ありがとうございます・・・m(__)m
2011.10.23 09:13 | URL | 彩月氷香 #b98C2Btc [edit]
村上春樹さんが影響を受けた本と聞いて、興味をもち検索していたら、貴方様のブログを見つけました。こんな素敵な文章で紹介されたら、読まずにはいられません。本当に素敵な文章をおかきになるんですね。感銘いたしました。
2014.10.13 23:07 | URL | さのたつ #- [edit]
コメントを頂いて久しぶりに自分の感想を読み返しました。
この本を読んだのは、もう3年も前になるのですね・・・。

近頃はこれほど丁寧に綴ることがなくなってしまっています。
そうしたいと感じるような本に出会っていないのかもしれません。

いえ。そうではなくて。
自分が書く文章に対しての愛情が薄れていた気がします。
私の書く文章なんて、どうせこの程度・・・と。

さのたつ様のコメントのおかげで。
言葉を探しながら、何度も書き直しながら、
じっくりと文章を綴る楽しみを思い出しました。

ああ、そうだ。私、文章を書くの好きだったんだな、と。

「夜はやさし」、大作ですけれど。
ぜひぜひ、ゆっくりと気長に読んでみて下さいね。

素敵なコメント、ありがとうございました。
とてもとても。励まされました。
2014.10.14 09:35 | URL | 彩月氷香 #- [edit]


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  • 2011年10月21日 (金)

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