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『夢を見るために毎朝僕は目覚めるのです』村上春樹

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文藝春秋
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最初にお詫びを。この感想は、とてつもなく長く。
その長さに見合うだけの内容があるとは到底、言えません。
不完全ながら、私が個人的な感情の整理のために書いたようなものです。

気が済むまで、きちんと書いたら本一冊になりそうなところを、
無理矢理に縮めたため、なんとも不親切な文章となっております。

お読みになることを積極的にお勧めはいたしません。
時間がない方、村上春樹に興味がない方、あるいは彼の大ファンの方は、
特に、避けて頂いた方がよろしいかと存じます。

今回ばかりは、書き逃げ御免をお許し願いたいと思います。
補足するならば、否定的な感想に見えるかもしれませんが、
本書は春樹ファンでなくとも読む値打ちのある本です。
 
近い期間に二度読みましたが、非常に面白く読みました。
************************************

この本を読んだのは、ちょうど1か月前。感想を書こう書こうと思いながら書けず、宿題のように抱えていた。それはまるで日が過ぎるほどに重くなる荷物のようだった。つまらなかったのではない。インタビュー集から見えてくる村上春樹の作家としての「意識」と「戦略」は、たいへん興味深く、面白かった。

 しかも、この本に集められたインタビューは、私が小説家・村上春樹に幻滅し始めた頃とぴたりと重なっており、主に語られる著作は私が好きではない作品群。村上春樹の意図と、それに沿わなかった自分の感性・感覚との齟齬を彼の言葉から読み解いていくのは知的好奇心をを満たす楽しい作業だった。

 私が初期の村上春樹作品を好み、ある時期からの彼を評価していないことは、何度か触れたのでご存じの方もあると思う。文体が伝染するほど好きだった作家の作品を、「投げ捨ててやりたい」と思うようになった日の絶望は今も薄れてはいない。

 エッセイや、ドキュメンタリー、紀行文は今も共感しながら拝読しているところからして。現在の彼の小説技法、もしくは物語の方向が私には居心地が悪いということなのだろう。ただ、愛が憎しみに変わる程のどんな変化が起きたのか、解明できていない。

 「ああ~、何だ、何だ、何だ、何だ、これは!どうして、こうなる!」という怒りと苛立ちに、読後に襲われる。「国境の南・太陽の西」ぐらいからじわじわと、以後「アフター・ダーク」「スプートニクの恋人」でダメージを受け、「海辺のカフカ」で決定打を喰らった。

 この気持ちは表に出せず、ひっそりと抱えてきた。しかし、ぼそぼそ遠慮がちに「昔の春樹が良かった」と呟いていると、どうやら同じ思いの人は少なからず存在しているようだ。

 このインタビュー集では、興味深い事実が随所で明らかになる。「ノルウェイの森」を書き始めた時、6人のうち3人が死ぬというアイデアを持っていたが、それが誰かはわからずに「誰が生き残るのだろう」と自問しながら書いていたというのは特に印象深いエピソードだ。

 図らずも「本当に自殺する理由を持っていたのは永沢さんだけ」と看破した批評に出会って、膝を打ったところだった。(こちら、静麿氏の「乱文乱読多謝」の記事。ぜひご一読頂きたい見事な批評です→http://sizuma883.blog9.fc2.com/blog-entry-42.html

 とはいえ、「ノルウェイの森」は私の愛する作品に含まれている。彼が初めて挑戦したリアリズムの作品として完成した形をなしていると思う。が、この作品から彼の著作を受け付けなくなったという声もあり、それも理解できなくはない。掘り下げるのは控えるが、ヒントは上記のエピソードなどにも表れているだろう。

 最初の二作は習作だったというのも聞き逃せない。彼は伝統的な日本文学のある種の解体を試み、それが上手くできるようになった手応えを得たのが三作目の「羊をめぐる冒険」だったと語る。「この作品が僕にとっての本当の出発点だった」と。そして奇しくも、私にとって春樹の最高傑作はこの作品なのである。

 ともあれ、彼の作家としての姿勢は、立派だと思う。
「ページをめくるたびごとに絶えず進化し続ける物語を書きたい」
「僕が書きたいのは―僕が書く小説です。誰のものでもない、僕の小説」

 彼が私淑する小説家が、レイモンド・カーヴァーや、チャンドラー、フィッツジェラルドであるのは有名だ。当然、彼らの名は頻繁に登場する。驚いたのは彼が目標とする作家がドストエフスキーであるということ。最終目標は「カラマーゾフの兄弟」と言いきっているし、「ドストエフスキーが僕のアイドルで理想です」という発言も見られる。

 村上春樹とドストエフスキーを並べると違和感を感じるが、この志の高さは注目に値する。ドストエフスキーと言えば、聳え立つ巨塔であり、誰もその横に並びたいなどとは発言していないと思う。これが口に出せるところが彼の強みなのかもしれない。

 対して同時代の作家に対しては礼儀正しい冷やかさと距離感が感じられる。例外として特筆すべきはカズオ・イシグロへの高い評価。彼の小説はすぐ買って読むのだそうだ。なるほど、と思う。
 
 「海辺のカフカ」を「世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド」の続編のつもりで書き始めたということ、「世界と~」はいちばん好きな作品であること、漱石の「抗夫」が好き、「悪」というものに対する極めて強い意識が「世界と終り~」の頃から増大していったこと、カフカを最初に読んだのは15歳の時で、作品は「城」であったこと、宮崎駿のアニメは一つとして見たことがないこと、三人称で書くのが恥ずかしかったこと・・・。

 拾い上げればキリのない、気になるエピソードが満載。宮崎駿の件は衝撃だった。世界に通用する日本人芸術家のトップ10に入るであろう監督の作品を見ていない?アニメーションは興味がない?まぁ落ち着いて考えれば、それもありそうな話なのだが。

 皮肉にも、海外のインタビュアーが「あなたにもっとも近いところにいる日本のアーティストは宮崎駿だと思います」と切り出して、それでこの答えが出てきたのである。こういう発言は日本人でないから出てくるのだろうし、的を得ているかというと疑わしい。が、この突飛な質問のおかげで、村上春樹はアニメは全く見ないという事実が判明したわけだ。

 「人生の限られた時間を節約して使うために、自分の興味のあることと、自分に興味のないこととを、はっきり分別する傾向が僕には強くあります」
 
 この春樹の発言は、見事な自己分析であると思う。彼はとても狭い庭を丹精している庭師のような面がある。私自身も多少そういう傾向はあるが、彼ほど強固ではないし、後天的に必要に駆られてつけたものだ。自己のアイデンティティーを重要視する人間にとって、物や文化の氾濫は脅威である。現代において確固たる自己の美意識や価値観を保つことは、余程の才能を持って生まれるか、いい具合に閉ざされた文化的な家庭にでも育たないと難しいと思う。

 芸術家というものは、好みを広くは持っていないものだと感じているが、私はそうではないから構わないと開き直っている。ただ本は何でも読む代わりに、アニメと漫画は無視すると決めている。下手な小説より文化的価値の高い漫画があることは承知しているが、せめてそこだけは選択肢を狭めようと。

 さて。脱線したので、話を戻して。そういう狭さこそが生み出す空間の心地よさが、彼の作品にはある。彼の人格が大きく変わるのでない限り、それは消えずに連綿と続いていくはずのものだ。それなのに、それが途絶えてしまったように感じられるのは何故だろう。

 本書を読んでいて、私が思い浮かんだ言葉がある。「意識的な変貌」
そう、彼は意識して自分の作風を改革し続けてきた。そのことが、言葉の端々から窺われる。物語の行く末はいつもわからないと言いながら、技法やシーンや物語の展開を暗示するキーワードについて多くの言葉を割いている。

 彼の認識では、無意識と作為の間の溝は埋められているようだが、私はそこに断絶を感じる。自然な流れで物語に乗っていくことができない。彼の作為がいちいち、ひっかかる。それがどんな時にどういう具合にかを説明するには、私が嫌いな作品を丹念に読み返すしかないだろうが、その苦行に乗り出す気持ちにはなれない。

 「新しい小説を書くたびに、僕は前の作品のストラクチャーを崩していきたいと思います。そして新しい枠を作り上げたいと。そして新しい小説を書くたびに、新しいテーマや、新しい制約や、新しいヴィジョンをそこに持ち込みたいと思います。僕はいつもストラクチャーに興味があるんです。ストラクチャーを変えたら、それにつれて僕は自分の文体を変えなくてはなりません。文体を変えたら、それにつれて登場人物のキャラクターをも変えなくてはなりません。同じことばかりいつまでもやっていたら、自分でも飽きてしまいます。僕は退屈したくないのです。」

 その変化に違和感を感じ、馴染めない。では、私は置き去りにされた愚昧な読者ということか。しかし、彼のこの志にも関わらず「前進」でなく「後退」を、変化ではなく過去のキャラクターや物語の「改悪」を感じるのは何故だろう。彼自身が退屈しまいと凝らす工夫に「退屈」するのは何故だろう。

 村上春樹の「意識的な変貌」に、ひずみがあるように思うのは、あくまでも個人的な感想に過ぎません。それだけを書き添えて、この長過ぎた感想を終わりにします。

(2011.6.29)
関連記事

大変面白く読ませていただきました。
わたしは「ねじ巻き鳥・・」あたりから
「ちょっと夢中になれなくなってきたかな」
と思うようになりました。
「社会」に対しての「責任」とかいう発言が出始めた頃・・。
「作為がいちいち、ひっかかる」
と、いう感じがちょっとわかる気がします。
特に長編で感じます。ま、もともと短編が好きなんですけどね。

この本も読みたくて買ったのに積ん読になっておりまして、
またもや、彩月さんのおかげで読むきっかけができました。
トシのせいか(!)ページ数が多いものを読むのに努力が必要になってしまって。
ぼちぼち読んでみたいと思います。
2011.07.26 23:07 | URL | まいまい #x610XEa2 [edit]
静磨です。お邪魔いたします。
まってました(笑)。

残念なのは、私がまだ二作しか村上作品を読んでいないことです。
彩月さんのこの力作を、実際の村上作品の変化に即して考えてみることができない自分の勉強不足が、恨めしく感じられました。

ただ、村上春樹の「作為」、これは、わかる気がしました。
私も、「海辺のカフカ」に感じましたし、何より、先日スペインで演説していた彼の姿に、それを強く感じました。
彼はもしかしたら、「有名作家」になることによって、自意識がどんどん過剰になってしまったのではないかと、そんなことを思いました。
その振る舞いも、文章も、その自意識の影響を受け、まるで多くの観衆のなかを緊張して歩くひとのように、不自然な、「作為的」な歩行をしかできなくなってしまったのではないかと。

目標がドストエフスキー、という意外性など、この本は確かに面白そうですね。もう何冊か村上作品を知ってから、私も読んでみようと思っています。

長々すみません。最後になってしましましたが、私の駄文など紹介して頂いて、本当にありがとうございます。いや、ホントに、感激しております。
2011.07.27 01:48 | URL | 静磨 #yeRoBNM2 [edit]
「ねじ巻き鳥・・」も、しんどかったですね。
短篇、私も大好きです!

「社会」に対しての「責任」とかいう発言。
そうです、そうです!書きそびれてしまったのですけれど。
その手の、彼にはそぐわない社会性が育っていく様子が、
本書のなかにも、しばしば窺われます。

「もっとポジティブなものを積み上げ」
「自己責任も必要となってくる」

こういう意識を持って小説を書くのは、私は「違う」と感じます。

書ききれなかったものを補足記事で書こうという計画も、
実はうっすらと頭の隅にあります(我ながら、懲りない・・・)
その際にはまた、お付き合い頂けたら嬉しいです。

ほんとうに、ありがとうございました。
ぜひ、ちびりちびりと、読んでみて下さい。

2011.07.27 08:54 | URL | 彩月氷香 #b98C2Btc [edit]
こちらこそ、ありがとうございます。

いえ、こんなものが書けてしまった(笑)のも、
実は、かなり静麿さまのおかげを被っていたりします。

村上春樹の「作為」についてのご賛同、心強いです。
「有名作家」になることによって、自意識が過剰になってしまった、
というのは、炯眼だと思います。不自然な歩行、全くその通りです!

彼は自分が「作家である」ことを常に強く意識し続け、
本来彼がもっていた何かを、歪めてしまったのかもしれません。
心弱い者にそっと寄り添うような繊細な息吹が、
ある時から、彼の作品からは消えてしまいました。

もちろん、そんなものは「大作家」には不要なのでしょうが。

歪めた、は言い過ぎかなぁ・・・。ギクシャクしている、というのか。
良い作品には必ずある、「この上ない一体感」のようなものが、
欠落しているのです。・・・不自然、ということですね。

もともと、「ナチュラル」な作風でなないのだけれど、
それが自然に感じられる不思議な調和を生み出していた、
そういう時期もあったのに・・・。

「作家としての使命」を無駄に意識し過ぎなのではないでしょうか。
それゆえに為せたこともあるでしょうが、失ったものがあると思います。
私が好きだったのは、その「失われた部分」なのだろうな、と。

あ、またこれは。キリがなくなりそうなので、この辺で。
2011.07.27 09:19 | URL | 彩月氷香 #b98C2Btc [edit]
こんにちは。

まず、彩月さんのこの文章に感動しました。率直で、愛を感じます。

村上春樹、私は「ノルウェイの森」までで離れてしまいました。
デビューからずっと新刊を待ちわびていたファンの一人でしたが。

静磨様の記事も拝読しました。なるほど、そうです。と膝を打ちました。
そして多分、あれを読んだ頃の自分に問題があったようにも思いました。
今、読んだらまた違った印象を受け、
何もその後いっさいの村上春樹を否定せずともよかった、と後悔するかもしれません

「海辺のカフカ」は入院中のベッドで、文庫で読みました。
久しぶりの彼の世界。
でも、その後の作品はまた読まず。空白を今から埋めるのはしんどいなあ。

エルサレム賞の授賞式でのスピーチ、評判になりましたね。
私はあとで読んで、う~ん、と違和感を覚えてしまったのです。

「高くて、固い壁があり、それにぶつかって壊れる卵があるとしたら、私は常に卵側に立つ」

とてもわかりやすいメッセージのようですが、
何をもって「壁」と規定し、何を条件に「卵」と認識しているのか。
「羊をめぐる冒険」で脆い私の内側にしっかりと沁み込んでくれた、
あの感覚が、彼の昨今の作品にはすでにないのでは、と感じました。

長々とごめんなさい。
彩月さんのように表現できずもどかしいなあ。
でも、ご紹介くださったこの本は読んでみたいと思います。
ドストエフスキーですって?これは聞き捨てならん(^^;
2011.07.27 15:57 | URL | ハル #jjURaDtE [edit]
私も、あのスピーチが、ピンと来ませんでした。
今や、彼が語りさえすれば、書きさえすれば、
もてはやすという風潮があると思います。

理解できてる人なんて、本当はいないのでは・・・。
皆わかったふりをしている・・・そんな気がしてなりません。

長いコメント、嬉しいです。体調お悪い中ありがとうございます。

気が済むまで書ききることは出来なかったけれど、
今の私がブログという媒体で出来る範囲で精一杯書きました。
自覚している以上に、日頃書くことをセーブしているのだなと。
そのことをはからずも、認識させられる面もありました。

私にとって書くことは、人のためではなく、自分のため。
でもそれが本来の姿なのだと、今更のように感じています。
誰かのために書くだなんて、綺麗ごとは言いたくないな、と。

ただ、自分のためと言い切るなら、本気じゃなきゃいけない・・・と。
そうでないと、何も伝わらないのだという気がします。

読んで下さる方がいることは望外の幸せながら、
誰も読んでくれなくなっても書き続けられる思いを、
まっすぐに持ち続けていたいな・・・。

うまく、言えないのですが。
今後、もっと我儘に書いていくことになる気がします。

村上春樹を離れて、何故か、「私にとって書くこととは」とか、
「私の書く姿勢について」などを思いめぐらしております(笑)

しかし、こうして、各々の思いを寄せて下さる方々のあることの、
何と幸せなことでしょうか・・・改めて、しみじみと。

私が一番嬉しいのは、書いた内容に同意してもらうことではなく、
私の文章から、それぞれの人が「自分の思い」を巡らして下さること、
そのきっかけになること・・・なのだと思います。

正反対の意見でもいいのです。
ちょっとズレた思い出でもいいのです。
何かを、ご自分の中から、ふっと見つけたり思い出したりして、
しばし、心を遊ばせてもらえたら何よりです。

そして、それを胸にしまっておいて下さっても結構なのですが。
コメントで返して頂くと、それがまた、私にとっての「種」になって、
心にいつか芽吹くものとして大切に植えられるのだと感じます。

あ~。なんか、格好つけちゃった。

ふふ。ちょっとね、小さな変革期らしいのですよ、私。
書くことはどっちみち恥ずかしいことなのだから。
堂々と、恥をかこう!とそんな気持ちになっています。
2011.07.27 21:59 | URL | 彩月氷香 #b98C2Btc [edit]
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2011.07.28 08:51 | | # [edit]


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  • 『夢を見るために毎朝僕は目覚めるのです』村上春樹
  • 2011年07月26日 (火)

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