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最後の冒険家  石川直樹

4087814106
集英社
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うっかりな私は。この本の「はじめに」のところを気付かず読み飛ばしていた。後になってみると、それが良かった。何が起こるのかを知らずに読み進めることが出来たから・・・。

著者の意図には反するのかもしれませんが。「はじめに」の部分をとばして読むことを勧めます。そんな私の勝手な思い入れに興味がない方は、どうぞ続きを読んで下さい。著者が隠してもいないものを「ネタばれ」と言うのもおかしいですが。

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「うっかり」と表現したけれど。私がしょっちゅう本の内容に無知のまま読み始めるのは、無意識下で選択している行動なのに違いない。私は「まっさら」の状態で本を読みたいと思っている。本に限らず、映画でも絵でも「先入観なく」出会いたいと思っている。

そう思うようになったきっかけは、たぶん。初めて展覧会に行った時。「油絵」というものの存在すら知らずに母に連れられてベラスケスを観に行った、絵といえば絵本の挿絵しかしらなかった6歳児の衝撃が端を発している。

以後、「印象派」のいの字も知らずに「モネ」の絵を観た時、佐伯祐三の絵に出会った時など、無知ゆえに「想像を絶するもの」(私の想像力が貧困なだけかもしれないが)に心を奪われた体験が、深く私の心に居座っている。

もし、そのいずれも誰がどんなふうに描いたものかを知っていたら。一度でも、印刷された画集を観ていたら。歴史的背景や、世評について耳にしていたら。一生、忘れ難いほどの感動を覚えたかどうか怪しい。まず最初に「あ、××の絵だ」と思った瞬間に、すでに出会いの衝撃は薄れてしまっているに違いない。

絵と本は違うかも知れないけれど。「予備知識がない」状態で「出会う」ことが必ずしもいいことではないのは承知しているけれども。私は出来得る限りはそのことを望む。情報が溢れる中で、そして自ら情報を貪欲に求める一方で、矛盾していると感じながらも。

そんな具合で。本書を読み始めた時、私は暢気に「軽い冒険風の本」という間違った認識を持っていた。先入観が嫌と言いながら、勝手な先入観を持っていた。それはテレビで見かけた石川直樹さんの印象による。飄々とした、感じの良い青年。

やはり筆致は、想像したとおり軽やかだ。あら?と意外だったのは、非常に失礼なことに明敏な知性が窺えることだった。それによって期待は高まり、読み進む楽しさは一行ごとに増して行ったものの、まだ私の意識は軽い読み物モードから抜け出さなかった。

徐々に。これは石川直樹さんの体験記ではなく。「神田道夫」という熱気球乗りの物語なのだ、ということがわかってくる。熱気球の話だなんていうのも寝耳に水で。「え。気球って、冒険なの?」というトンチンカンぶり。それでも、ワクワクしてくる。新しい世界が目の前に広がる高揚感に気持ちが弾んでくる。

気球に乗ることが大冒険なんだ、と気付いた時には。私は神田さんと著者と共に、太平洋の海に沈みかけていた。もちろん、助かるのだ。それがわかっていても、海に放り出される怖さに息がとまる思いがした。この辺りの描写の迫真性は見事。

二人は運よく、パナマ船籍の船に救助される。ここからだ。冒険家なのに冴えないおじさん、だった神田道夫さんの存在にスポットライトが当たるのは。

九死に一生を得た、その次の瞬間に。さらにもっと無謀に思える冒険の計画を立て始める彼。失敗の直後にも、次の成功しか頭にない彼。命知らずのプラス思考。著者の石川さんも、今までのパートナーたちも、誰もがついていくことが出来なかった、冒険家魂。

誘われても、石川さんは次の飛行には、同行しなかった。

もう。さすがにわかる。これから何が起こるのかが。神田道夫の次の冒険が成功しないであろうことが。この辺りから私は涙ぐみ始め、以降その涙が引くことはなく、気付いたら号泣していた。読み終えても、しばらく泣き続けていた。

無線が拾った神田の最後の言葉は。「飛べるところまで行く」

こうして思い返していても、また涙が溢れてくる。哀しいのではない。断じてない。彼の妻も言ったように、彼はほんとうに幸せだったと思う。その死を悼むほど、私は彼のことを知りもしない。かけがえのない人を失くしたと思うほどに惹かれるものを彼に対して感じてもいない。

例えば、私が星野道夫の死を悼む時には、わかりやすい理由がある。彼の文章も写真も、もっともっと見たかった、つまり彼の才能を惜しむという明確な理由がある。その作品を通じて、彼の人柄を愛していたという、理由がある。

神田さんのことは、全く、知らない。石川さんが書いた文章の中でも、その人柄に魅了されるということもない。そもそも神田氏自身の言葉に出会っていない。それでも、誰かが夢を果たせずに逝ってしまえば哀しくて当然だろうか?私はそうは思わない。私はそういう理由で泣いたことはない。

自分の涙の理由が不可解だった。激しく、問答無用な勢いでせり上がってくる涙。答えを探して、自分自身に問いかけるほどに、また激しく嗚咽が漏れる。何が何だか。途方に暮れてしまった。

そこでちょっと、意識をずらして。タイトルにある「最後の冒険家」という言葉の意味に思いを巡らしてみる。冒険家なんて、今もいる。石川さん自身、冒険家として知られている。なぜ、「最後の」なのか?

著者は「自分は冒険家ではない」と力説したのち、こんな風に語る。

「世の中の多くの人が、自分の中から湧き上がる何かを抑えて、したたかに、そして死んだように生きざるをえないなかで、冒険家は、生きるべくして死ぬ道を選ぶ」

そのような冒険家は、もうこれからは生まれない。それを許さない現実(テクノロジーの進化における地図の空白の無さ)がある、と。植村直己が日本では最後だった。いや、神田道夫はそれに続いた一人だ、と。著者はそう言い切る。

そうかもしれない、そうだろうか?簡単には同意できない、したくない思いを抱え。私にとって「冒険」が何を意味するかということを懸命に考える。以下、その稚拙な洞察。

                    *

「冒険」が人を惹きつけるのは。自らには為し得ない、ある究極の生き方だからだろう。そしてそれが選択したものだというよりも、「そのようにしか生きられない」という切迫感を伴って、強く厳しく孤独で、「永遠」につながる世界の果てに一番近いものに思えるからだろう。自分もそう生きてみたいとすら思えないほどの彼方にある、精神力の強さをそこに見るからだろう。

意思や思考よりも、根源的な圧倒的な「声」に冒険家たちは呼ばれているのではないか。その声に死ぬまで彼らは従うしかない。その生き方は、精神の強さというよりも、純粋さなのかもしれない。まっすぐでひたむきな。苛烈な、しかし静かな炎。

憧れることすら、できない。それほど、遠い。むしろ、まったく理解できないといってもいい。私はたとえその資質があったとしても、冒険家にはならないだろう。

それでも。魂が憧れる。心ではない、思いではない。「魂」が冒険に憧れる。生まれ持った本能に近い部分で。人間である前に生物である、深い部分で。もう、とっくの昔に消滅したと思える原始的な記憶の中に。生死をかけて、挑戦し続けることこそが、魂が欲しているものなのだと訴えかける声がある。

呼び声は消え入りそうに小さい。いや、一生、ちゃんとその声を聞くことなど、私はないのだろう。呼ばれても従うことなど一瞬も考えもしないだろう。だから、「それ」は無いものだということになっている。でも、あるのだ。やはり、「それ」はあるのだ。神田道夫という人を通して、その気配を感じた。息づかいを耳にした。

置き去りにしてきた、魂の記憶。その呼び声なのかもしれない。この涙の理由は。

(2011.9.10)
表紙の写真(岩場に打ち上げられた謎の物体)の意味が。
最後の最後にわかって。また、そこで涙が込み上げてきた。

(第6回開高健ノンフィクション賞受賞作)

ちなみに著者は多くの本を執筆していますが、写真家です。
そして、石川淳の孫なのだそうです。これには吃驚しました。
忘れ去られた感のある作家ですが、文章がとても美しいのです。


焼跡のイエス・善財 (講談社文芸文庫)焼跡のイエス・善財 (講談社文芸文庫)
石川 淳


こんばんは。

里帰りから戻り、久しぶりにパソコンを開きました。
トップの画像が自然の情景に変わっていて、これも美しいですね。

この本は未読ですが(この本も、と言ったほうがいい^^;)
私も読んでみたい、と思いました。
彩月さんの「冒険」についての思索。大変、響きました。
意思や思考は心(脳)の仕事。
魂はおそらく、彩月さんの書かれたとおり「声」なのでしょう。
心は安寧や協調を求めるけれど
魂は苦悩や痛みをも含んだ世界にあるような気がします。

石川淳の孫、というのは私も驚きました。よい記事を拝読しました。ありがとうございました。
2011.09.19 21:08 | URL | ハル #jjURaDtE [edit]
おかえりなさいませ。
私の、ミニ休暇とちょうど重なりましたね。
ふふ。勝手に、なんだか不思議なご縁を感じてしまいます。

「冒険」には、いつも激しく揺さぶられます。問答無用なんですよねぇ。
今回も、かなりやられてしまいました・・・。

石川直樹さんの著作も、余技というようなものでなく。
これは!とハッとする才能を感じます。
もっと読んでみたいと思う、キレのある情感がありました。

石川淳の孫、というのはねぇ・・・
池澤夏樹が福永武彦の息子と知った時以来の驚きでした。
やっぱり、血なのかしら。

この記事、長過ぎると感じ、公開までグズグズしていました。
いえ、公開後も・・・。久しぶりに心細くて・・・。

ハル様が読みとってくださった通り、魂は苦痛を恐れないのですね。
否、恐れるけれど、それを越えた地点を見据えて揺るがない・・・

私は心の世界には生きられるけれど。
魂の世界には生きられない、と。そう知らされたことが。
もしかしたら悔しくて、哀しかったのかもしれません。

いいえ、そう「思う」ことも心の世界のこと。
魂は、ただ、言葉もなく「惹かれる」のだと思います。
その磁力の強さに、引き出された涙だった気がします。
2011.09.19 21:47 | URL | 彩月氷香 #b98C2Btc [edit]
こんにちは。

すごい本を読みましたね。

この本は、というより神田道夫のこの冒険は、当時も一部のメディアなどで話題になってました。パートナーであるはずだった石川直樹氏が二度目の冒険に同行しなかったというのも、話題になりました。

この本が発刊されたとき、ぼくは手にするかどうか迷い、そしてやめました。今より数年若かったぼくは、いろんな意味でまだ「現役」で、この手の「すごい男を描いた本」を読むことに臆したのです。圧倒的な敗北感を抱くのが目に見えていたので。

それで読まなかった。

未読なのであくまで想像なのですが、この本のおもしろさは、同じ冒険家(本人は否定しているが最年少でセブンサミットを遂げた功績は明らかに冒険家だと思う)である著者石川直樹が、同じく冒険家である神田道夫を書いた、というところにあるように思います。

つまり、生きて帰ることを最重要とする現代の冒険家が、魂が求めるままにつき進む「最後の冒険家」を描いたところに。

彩月さんの感想、よかったです。

予備知識がないからこその、素直な感動が伝わってきました。

そして、冒険家にはなれないけど、「冒険家的」な生き方にあこがれるという気持ちも、いたいほどわかります。ぼくもそうですから。

だからこそ読まずにいたこの本を、読んでみようかと思います。そんな気持ちにさせてくれた、素敵な記事でした。ありがとう。

読後の自分が、少し楽しみです。

当時予想した「圧倒的な敗北感」を、自分が抱くかどうか。抱いたなら、それはぼくがまだ「現役」であるということですから。
2011.09.20 05:01 | URL | 道下 森 #- [edit]
すごい本です。

石川直樹も、いくら本人が否定しようとも冒険家には違いありません。
ただ、神田道夫とは冒険家としてのスタンスがまるで違います。
その点を、著者は努めて冷静に、しかし愛情を持って描いています。

確かに。石川さんも冒険家だったからこそ書けた本だと思います。
私にしては珍しく、内容を暴露(?)した今回の感想ですが。
本の最後の一文についてだけ、触れませんでした。
せめてもの、お楽しみということで。ぜひ読んでみて下さい。

文筆家としての石川直樹について、あまり触れませんでしたが。
私は、ここにも驚かされました。無駄のない文章です。
この切れの良さは何なんだ?と思うほどの。
他の著作を読むことが、俄然楽しみになりました。

敗北感・・・どうなんでしょう?
私を打ちのめしたのも、敗北感の一種なのかもしれません。
こんな風に生きた人がいる、ということを知っただけで。
自分が「生きている」と言えるかどうか、自信を失くしたのかも・・・

いえ。それよりも。単純に嬉しかった気がします。
神田道夫という人に出会うことが出来て。

道下 森さまの感想が読める日を楽しみにしています。
2011.09.20 07:25 | URL | 彩月氷香 #b98C2Btc [edit]


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  • 最後の冒険家  石川直樹
  • 2011年09月19日 (月)

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