Loading…

つぶやき集 2012年7月(5)

Posted by 彩月氷香 on 05.2012 つぶやき集   4 comments   0 trackback
自分の気持ちが弱っていることを認められないほど弱ってる。だけど自分の気持ちを隠蔽できるほど頭が回転もしていない。目を逸らそうにも首もまわらない。結果的に淡々と普通な私がいる。開き直ってもいない。前向きな保留、とそう考えておこう。鏡に映る顔は不思議に晴れやかだ。

不機嫌ではなく。落ち込んでもなく。淡々と沈んでる。静かというには心は落ち着かず。体は動かないけれど目はキョロキョロ。首はまわらないままで視界は限られている。穴に落ちてはいない。床に座り込んだ時のような「低さ」。気合いを入れても立ち上がろうとしても、さっぱり力が湧いて来ない。

心の置き所のない感じ。まるで自分の心がうっかり受け取ってしまった迷惑な贈り物のようで。どこへ片づけたらいいのか右往左往。自分の気持ちが自分の外にあって。腕にぶらさがる邪魔な荷物みたいで持て余してる。

自分自身の「心」が借り物のよう。何かを探しているけれど。「探す」行為の主体があやふやで。探しているのか、探されているのか。何を?誰が?どこで?迷子になっているのは、追っ手なのか逃げ手なのか・・・

対決の気運がじわじわと。高まりつつあるのか、高めつつあるのか。その不吉な地響きに耳を塞ぎながら、声を出さずに歌っている・・・その自分の歌声もどこか遠くから聞こえてくるようだ。輪郭の曖昧な音の連なりが漣を立てる。時おり反射する光は、どこから差しているのだろう。

心象風景は文字通り。いつも何らかの風景になぞらえることが出来るのに。なぜか今は。相反する場面が錯綜して一枚の絵を描くことが出来ない。遠い窓を見上げているようでもあり。底知れぬ湖のほとりで釣り糸を垂らしているようでもある。ただ共通しているのは。何かを待っているということ。

待っていたらダメ、動き出さなきゃとはよく言うけれど。時機を読むということは必要で。「今だ!」という瞬間はあるはずだと信じている。ただ、声を聞き逃す可能性もある・・・と。そんな風に感じ始めたのは歳のせいだろうか。

私が信じるのは「美しさ」だけであって。「美しくない」と感じた瞬間、その対象は弾かれる。但しそのことに自分でいつも気がつくわけではない。美の基準は言葉には出来ない。魂が決めることだから。「善」と言われるものが醜くみえることが多いのは何故だろう。悪よりも偽善が嫌い。悪は美しくあれる。

心に波。海の波でなくペンで描いた波線のような・・・規則正しく小刻みに上下する。時々乱れて、ひょこっと伸びあがる。その線の上を歩けば確かに気持ちは忙しい。揺れながら泡立ってくる。ふと思いついて一歩離れて眺めてみる。細やかな波線は愛らしい模様に変わる。眠気を誘う心地よさすら漂わせて。

ヒトは(少なくとも私は)天の邪鬼なものだから。グラグラ不安定に揺れる心を抱えていることにも。何か安らぎを見出してしまう。気持ちが平坦である方がむしろ、よほど心細い。

曲がりくねった小道が好きな私は。まっすぐ続く見晴らしの良い道の上に立ったら、泣き出してしまいそう。それでも。泣きながら清々しい気持ちになるのだろうな。広々とした場所は怖くてたまらないけれど。だからこそ憧れでもあるのだ。

素直に共感できる意見よりも「私の場合はどうだろう?」と考えさせてくれる言葉が好きだなと思う。あれ?と。自分自身に疑問を感じるきっかけを与えてくれるものに出会いたい。惑わされるのでなく、反発するのでもなく、照らし合わせて一歩でも自らの思いを深められるように。

糸井重里氏も言っていたし、モームを読んでいても思うけど。「自己肯定」って絶対に必要。自虐の方が共感を呼びやすいけど、それも実は自己肯定に衣服を着せたものであったりする。自己肯定を素のまま表に出しても顰蹙を買わないくらいの知性、あるいは純真さというものに恵まれる人は滅多にいない。

自虐に徹しきれるのは才能だと思っている。大抵は自虐の後ろに自慢が顔をチラホラのぞかせて、苛立たせられる。いや、そこが人間臭くて親近感を抱くかもしれない。自らにも心覚えがあるからこその痛痒い共感。でも結局、鏡は割りたくなるものだ。

関連記事

氷香さん、こんばんは。
面白い内容だなと感心しています。

最後の方のつぶやきに関してですが、自己肯定は必要ですね。
理由は上手く説明できなくても、感覚的に自分の事を好きだと思っていたいものです。
しかし、自虐と自己肯定の境目は難しいなぁ。
自虐は自己愛と背中合わせの存在ですもんね。

ブログで自分に関して書くのは、鼻で笑うレベルのくだらないオチがあるときだけ。
オチのない友人とのランチ話が、恥ずかしくて書けない性格です^^
自虐的にと意識はなくても、自分を落とす方が落ち着きます。

だけど困ったことに、みっともなさを書けば書くほど、良い風に受け取られる感じも否めないんですよね。
何だかんだで幸せそうに見えたら、それは自慢話だし、
自虐に走り過ぎて共感を得るきっかけになっているのなら、それはかなり汚い。

自分では鼻で笑ってもらう程度の気持ちで書いているのですが、引いて見ると悪い意味で「幸せそうね」と映る時がある。
その感じの悪さから、自分のブログを「幸せそうでどこか鬱陶しいブログ」と揶揄するのです。(以前氷香さん宛のコメントで書きましたね^^)

>顰蹙を買わないくらいの知性、あるいは純真さというものに恵まれる人は滅多にいない。

そうなんですよね。
まさにそうだと思います。
純真は今さら無理ですし、知性ももっと無理そうだけど、この辺りのバランスを意識せずに保っておられる人を尊敬しています。
こうありたいものですが、なかなか難しいです。
2012.08.06 02:29 | URL | ごろちゃん #- [edit]
>みっともなさを書けば書くほど、良い風に受け取られる

あるかもしれません・・・それは。
自虐の色は濃くは見えなくて、「愛嬌」と映ると思いますが。
微笑ましい、温かい印象を受けますよ、ごろちゃん様の場合。

ふふ。逆ですね。私は自分を上げ過ぎる傾向にあって。
なんか、もっともらしい決め台詞をついつい吐いてしまうのです。
自己肯定と自己愛が強過ぎて、自虐に走ってもどこか偉そうで。
オチではなく、バーンと花火をあげてしまいがち。

自分で、よくツッコミ入れてます、内心。
「それって自慢やろ!」きっと読んでる人も思ってるかと・・・

理論的に考えることが不可な頭なので、
気をつけないと脳内垂れ流し状態になってしまいます。
バランスなどという上等なものでなく、ひたすらセーブするのみ。

ツイッターは言葉が流れて行くので気持ちを綴るのに向いています。
瞬間的に集中するので、率直な本音が出やすいのです。
ですが、実はブログで公開するのは辞めようかと思案中。

本人的には「面白い」と思っているのですけれども。
不快だったり、まったく興味がなかったりする人が多いかなぁと。
抽象的な為、何を暗示しているのかと深読みしてしまう人もいるし。

ブログでは本音全開だと大顰蹙だろうと、抑えていますが。
それでも、ちょくちょく顰蹙を買ってるだろうなぁ・・・
「言ってはいけない」と思うことが多いのが時々、疲れます。

今もひとつ、言ってはいけないと気付きストップしました。
おわかり頂けると思いますが、相手に対しては通じても、
第三者に通じないという・・・そういう問題もありますよね。

同じ言葉も、受け手によって意味合いが違ってきます。
私はそれを発した側の責任ばかりでなく、受け手の問題もある、と
そう信じるほど傲岸なところがありますが・・・

ああドツボにハマって来ました(笑)
うーん、これは自虐が自慢か?

堂々と恨まれる人間になれることが秘かな憧れです。
その心は「自分というものに対する強靭な誠実さ」。

うーん。そんな茨の道を歩む覚悟はないかな・・・やっぱり。
2012.08.06 03:45 | URL | 彩月氷香 #- [edit]
私は彩月さんのこの「つぶやき集」のひそかなファンです。
今回のつぶやきはことに面白く拝読しました。

私自身は非常に自己肯定感の薄い(低い)人間です。
ですから、「私はこうです」とはっきり言う人に憧れます。
たとえ私の尺度に合わなくても何かハッとさせられたり、考えさせてくれたり
自分を深めてくれる場合もある。
つまり、自分と違うものに出逢う、どきどき、わくわく、でしょうか。
そういう意味でも、彩月さんの「つぶやき」は楽しみなのです。
たとえば、こうやって読んでいるうちに自分も書きたくなってきたり
何かヒントをもらえる記事って嬉しくなりますね。まあ、実際は書けないんですが。

いつでも共感してくれることを求めていたら自分を見失います。
これは半世紀生きてきてなお、私の中心に居座っている課題です。
いい加減、好きに生きたらよかんべが、と
私の中の愛すべき子どもがじれったがるほど、スカッと言いたいことが書けません。
そう、ネット上での言葉。これがねえ。

私は日常ではかなり毒を吐きます。テレビに向かってなんか罵詈雑言ですよ。
けれど、私を知っている人の前でならそれが出来ても
ネット上では素を出せない。
多分、誰もがほんとうの素の自分など出してはいないのでしょうが
どんよりした世界の片隅にぽっと咲いている真っ白な花を見つけたように
読んでいて嬉しくなる文章にも、時に出逢うんですよね。

もういっそ、自分の言葉にかかずらうよりひとさまの言葉だけ読んでいたい、って感じ(笑)
だから彩月さんの庭にはこれからも楽しみに参ります。
2012.08.06 10:19 | URL | ハル #jjURaDtE [edit]
ハルさまのコメントを読んで色々考えました。

まず。私も「私はこうです」とはっきり言わないタイプです。
そんなに明確なものがあるのでもないからなのか、
人と衝突することを極端に嫌うせいなのか、どっちもか?

ただ、共感は求めていないんですね。
「わかってもらえなくて当然」という意識が染み付いてるのです。
小さい時から、周囲に理解されないとずっと感じていて。
同世代でも大人でも、私のことを「ワケのわからない子」扱いで。

特に母がそうでした。母は全く私を理解できない人でした。
「あんたは何考えてるかわからない」といつも言われました。
で、キメ台詞は「黙ってないで、何か言いなさいよ!」

でも説明なんて出来ないのです。鬱々と心の中で呟くばかり。
それは学校へ行っても、社会に出ても基本的には同じでした。

これでも劣等感につながらないところは不思議ですね。
完璧主義で自分の理想から常にマイナス評価する性質ですが。
他人と比べて良いとか悪いとかは、考えません。

根拠のない「自己肯定」は凄くあると思います。
それも「自信」というのでは全くなくて。
「私は私」という気持ちが根強いということです。

誰も認めてくれなかったので、自分で自分を認めるしか、
救われる道がなかったのですね。

自分の文章に「でも」「だから」「だけど」が多いのは。
自らの気持ちを説明することが「言い訳」だからかなぁ。

わかってもらえないと思うけど、賛成されないと思うけど、
一応、言ってみるね・・・というような。
幸運にも、時々は通じるんだなという経験が重なって。
「書く」ことには、あまり遠慮はしなくなりました。

「これは危ないな」と感じながら書くことも多いです。
逆に言えば、もっと容赦ないことも書く気になれば書ける。

和らげる努力や注意は払いますが、結構「素」です。
全部じゃなくて、「斑」な感じかもしれません(笑)。
器用じゃないので出ちゃうだけなんだと思います。

テレビに向かって罵詈雑言、私もですよ!
ハルさまのそんな姿は想像ができませんが・・・

スカっと言い切るハルさまの言葉にも出会ってみたい!
でも、それが出来ないのは思いやりと優しさだと思います。
私は哀しいくらい、「自分が何より大事」な人間なのです。

そういう「気持ち」に行動が伴えばいいんですけどね。
自分の中の気持ちだけが空回ってるのは、どうにも・・・

言いたいことを言うことが出来るかどうかよりも、
自分の本当の気持ちを常に見極められるかどうか、に
焦点が合っているのだなぁ・・・と。

自分の気持ちを誤摩化してしまうことはあるので。

うん。ここまで書いて来て。
やっぱり、この人(自分)、やだなぁと思いました(笑)

どうぞ、これに懲りずに遊びにいらして下さい。
いつも楽しみに、お待ちしています。


2012.08.06 22:23 | URL | 彩月氷香 #- [edit]


  • password
  • 管理者にだけ表示を許可する

trackbackURL:http://raffiner.blog70.fc2.com/tb.php/1602-ad3591ae

プロフィール

Author:彩月氷香

とにかく本が好き
読書感想がメインですが
時々、写真や雑記も。

*初めましてのご挨拶
*ブログタイトルの由来

<別館のご案内>
Instagram
99%、花の写真です。

moleskine絵日記
ちいさな絵日記。

表示中の記事

  • つぶやき集 2012年7月(5)
  • 2012年08月05日 (日)

カテゴリ

最新コメント

データ取得中...

月別アーカイブ

***