『虐殺器官』伊藤計劃
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タイトルを見ただけで、まず思う。
きっと凄惨な虐殺シーンが展開されるだろう、と。
だからと言ってたじろぐ可愛げなど、とうに卒業したが、
読むのに躊躇することには変わりはない。
たぶん、私が読書する前にあらすじを知りたくないのは、
「知っていたら読まなかった」という本が多いからだ。
危険な気配を察知すると近づかない私であるが。
実生活の過度の臆病さを少しでも埋め合わせしたいのか、
読む物に関しては敷居を低くするべく努めている。
とは言え、避けたい要素や傾向はある。
本来は読書に関しても相当の偏食・・・否、食わず嫌い。
大抵、見た目が駄目なので。口を運ぶ直前まで目を瞑る。
(つまり、出来る限り予備知識を遮断するのだ)
ゆえに読む本のジャンルさえ把握していないことも多々あり。
ハードボイルドのつもりで読んでいたら純文学であったり。
フィクションだと思っていたらノンフィクションだったり。
今回も、まさかのSF!知っていたらもっと早く読んでいたかも。
サイコ系の犯罪小説と勘違いしていたのだ。
(まぁ・・・広義で言えば。その認識も間違ってない。)
しかし。なんとまぁ。文学と哲学の香気漂うというか。
イマドキ珍しくなってしまったような、真性の繊細さというか。
ナイーブ過ぎる殺人者なんて使い古された設定のはずなのに。
罪を逃れたいと願うのではなく、罪を背負うことを選択する。
積極的に。一途に。盲目的に。命をかけてでも。
それによってかろうじて自己を保つことが出来る・・・
自らの生は、どれだけ多くの屍の上に成立しているか?
そんなことを問えば、青臭い感傷だと笑われてしまいそうだけど。
足元に踏みつけている犠牲者の感触をずっと感じている・・・私も。
自虐的な妄想であるとは思わない。
そして罪の意識が一層の利他主義を生む皮肉も否定しない。
あり得そう過ぎる近未来の地獄絵図。
(2012.11.24)
青臭くて小っ恥ずかしい、と感じる方もいらっしゃるかも。
主人公のキャラクターに加味した要素でもあるでしょうが、
もともと著者本人のパーソナリティーなのだと思います。
このどこか幼くも見える強い「後ろめたさ」の感覚に惹かれました。
ストーリーから類推される残虐さは感じず、静謐さすら漂っています。
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