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マルテの手記   リルケ

Posted by 彩月氷香 on 31.2014 その他 翻訳文学   0 comments   0 trackback
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新潮文庫
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この本を読んだのは、ベンシャーン展がきっかけ。
「マルテの手記」をテーマにした絵がとても印象的で。
その絵に添えられていた本の中の一節も、強く心に響いて。

それは以下の箇所になります。
展覧会のパネルでは、こんなに長く引用されてなかったのですが。

詩は人の考えるように感情ではない。詩がもし感情だったら、年少にしてすでにあり余るほど持っていなければならぬ。詩はほんとうは経験なのだ。一行の詩のためには、あまたの都市、あまたの人々、あまたの書物を見なければならぬ。あまたの禽獣を知らねばならぬ。空飛ぶ鳥の翼を感じなければならぬし、 朝開く小さな草花のうなだれた羞らいを究めねばならぬ。まだその意味がつかめずに残されている少年の日の思い出。(中略)しかも、こうした追憶を持つだけなら、一向なんの足しにもならぬのだ。追憶が多くなれば、次にはそれを忘却することができねばならぬだろう。そして、再び思い出が帰るのを待つ大きな忍耐がいるのだ。思い出だけならなんの足しにもなりはせぬ。追憶が僕らの地となり、目となり、表情となり、名まえのわからぬものとなり、もはや僕ら自身と区別することができなくなって、初めてふとした偶然に、一編の詩の最初の言葉は、それらの思い出の真ん中に思い出の陰からぽっかりと生まれてくるのだ。

あと、もう一箇所、引用しますね。
 
 僕はときどき、天国はどうしてできたか、死はどうしてできたかを考えてみる。それはきっと、僕たちがいちばん大きなものを天国や死のそばへ大切にしまっておいたからにほかならぬ。ほかに差しあたってしなければならぬ雑事が多かったし、大切なものをせわしい僕たちの身辺におくことは不安でならなかったのだ。それから思わず長い歳月が流れ過ぎた。僕たちは毎日つまらぬ雑事に追われていた。僕たちは自分のものをいつのまにか見忘れてしまった。そして、その想像もつかぬ大きさを今はただ恐怖するだけなのだ。と、こんなふうに「死」を考えることを、神よ、あなたは不憫な僕に許してくださるだろうか。

主人公がひたすらに書物を読み続けた時期を語る部分の描写が、
若い頃の自分を思い出させられて胸が痛むほどに懐かしかった・・・

(2014.1.19)
もっと若い頃に読みたかったと思う本に時々出会いますが。
本書もその典型的な例ですね。十代の頃に読みたかった。

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  • 2014年05月31日 (土)

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