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生きることと考えること  森 有正

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講談社現代新書
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「経験と体験」の違いを語った章が好きでした。
この方の人間性のアクを時々強く感じますが・・・

根本的なところで、すごく共感します。
その語り方には、強引さがあるというか。
何だろう、語り口としてはあまり好きではないのです。

日本人なのに「日本式」と括って色々なものを
まるで小馬鹿にしているようなところが嫌いです。

だけど。私が心の底に昔から持っていた考えが、
気持ち悪いほどにくっきり描かれてもいて。

私の言う「自己中心」っていうのは。
ほぼ氏の言っておられるのと同じものです。
でもね。やっぱりくるりと一周して、好きではないです。

つまり、私は私の考えが好きではないのかも・・・

何だか、ひとりよがりに、訳のわからぬことを書きましたが。
以下に私が共感した部分を引用しますので。
お暇と興味があありであれば、どうぞお読み下さい。


 かつて、「はるかに行くことは、遠くから自分に帰っていくことだ」と書きましたが、これを極端にいうならば、遠くから自分に帰ってくるために、はるかに出かけていく。それでまた自分に帰ってくるわけです。
 人間の生活には、運動と静けさ、活動と休息というようなものが、大きな一つのリズムになっているように思います。私自身のばあいは、安静にしているほうに絶えずよりかかっているのです。けれども、また一方、外へ出て自分を破綻することも必要と考え、旅の空の下へ向かうのです。
 しかし私には、どんなに破壊しても自分は破壊されつくせないという強い確信があります。ですから、自分を安全に保とうということに心配する必要はありません。人は自分が徹底的に解体するところまでいっても、結局自分に帰ってくるほかには道はありません。出かければ必ず帰ってくるのです。私の旅は、そういう自信にもとづいているのですが、あるいはその自信はまちがっているのかもしれません。

 きわめてあたりまえのことですが、自分を越えた、他のものを探求していっても、結果としては、それは自分自身の探求になるわけです。フランス人というのは何かを求めていますが、その何かとは、自分自身なのです。

 ですから旅行しながら、飛行機の中から、汽車の窓からみながら、あるいは道を歩きながら、自分の心の中を眺めているのです。自分自身を訪ねるのか、あるいは自分でないものを訪ねるのか、それはわからないのですが。

 経験を成熟させるには、一つの態度が、自分の中のおもな関心、おもな生活上の態度というものを、ある究極の点に至るまで追求して、そのやり方をやたらに変えたりなどしないことが大事だと思います。ただ新しいものに変えても何にもならないのですから。むしろ平凡に見えても、自分がいままで心をこめてきたことをさらに続けて、それを深める。そうすれば、経験はおのずから成熟しています。
 しかし経験の成熟というのは、結局自分で悟るよりほかないのです。ある人の経験が成熟しているか成熟していないか、それは、その経験を持っている人自身が感じる問題だと思います。

 なぜ私が話の筋とか内容とかをあまり問題にしないで、文章に興味を持つかというと、書いている「人間」を相手にするからです。単なる思想ではなくて、人間そのものを相手にするということです。文章というのはその人の顔のようなもので、そこにその人の全部が出るからです。

 ジイドの思考がどうのこうのというよりも、その文章の中に絶えず反映されてくるジイド自身の考えとか、感覚とか、感情とか、そういうもののヴァリエーション・・・そういうふうなものがひじょうにおもしろいのです。

 つまり情報というものは、ある程度頻繁にはいってくると、自分はじっさいには見なくても、それによってその人の考えそのものに変わってしまうようなものです。(中略)
 だから、生きることと考えることを基本にして、思想をつくらなければならないのです。

 最近ある百いくつのおばあさん(このおばあさんは大旅行家であった)が、フランスの新聞に書いておりました。私はヒマラヤへ登るときでも、自分の庭を歩くときと同じようにしか歩けない。どんなばあいでも歩くという以上は、同じことしかできない、というのです。ほかの例でいうなら、たとえば今日、これだけたくさんの本が出版されていても、われわれの読書能力は変わっていない。実際には、一日に何ページしか読めないのに、読む本のほうは何百倍とふえている。これはずいぶん危い現象です。読んでいる文章の量は同じ、あるいは忙しいからもっと減っているのです。
 それに、本を追いかけることで、自分で考えるところがなくなってしまう。人がまとめてくれるほうが早い。ところが読んでみると、人はなかなかまとめていないのです。

 新しい情報、新しい直輸入の知識に対する、日本人の異常なばかりの興味も、結局、自分の中に実質的なものをもっていないからでしょう。だから考えが空疎なのです。空疎だから、なにか新しいものをもっていないと不安なのだと思われます。たとえばテレビにしておん、ちゃんと自分で考えることをもっていれば、全然見たくない。ところがぼんやりしているとすぐ見たくなる。そして二、三時間くらい見てしまう。
 つぎつぎに出る本にしても、本屋さんは経営上の必要があるから出す。しかし、まじめにものを考えようとする人がそれを一々追いかけていては困ると、私は思います。

 (前略)一人一人の人が、大なり小なり、自分が中心となる世界を築きあげていく、それが対峙なことではないでしょうか。
 そのためには、まず自分の「経験」というものを自覚的に確率しなければならないのではないか。これはどんな仕事をしている人でも、どんなささやかな生活をしている人でもできることです。それがささやかな生活をしている人の強さをあらわすもとになると思います。フランスでは、どんな一職工でも、女中さんでも自分を軽蔑させません。自分の経験というもので、しっかり生きております。

 しかも、自分本位に生きるということは、私のように経験という考え方をつくらなくてもかまわない。ほかの形でいくらでもできる。それは形の問題ではなくて、大事なのは、ある人がほんとうに自分の立脚地をおくことができる世界を、自分の中に築きあげていくことだと思うのです。

(2014.9.1)
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  • 2014年12月05日 (金)

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