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ある家族の会話  ナタリア・ギンズブルグ

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ナタリア・ギンズブルグ『ある家族の会話』を読んでいる。家族の話を読むのはどうやら私は好きなようだ。そして読むと必ずといっていいほど「大きな家族だな」と感じる。世の中には小さな家族の話もあるだろうけれど。出会うのは大きな家族の話の方が多い。そして自らの家族の小ささを想う。

上記のようなつぶやきに。
「この本、面白いですね。三回読みました」
と、話しかけて下さった方がありました。

で。家族ものと言えば、
トーマス・マン『ブッデンブローグ家の人々』もいいですね!と。

そこで、ふと思い出したのは
ロジェ・マルタン・デュ・ガール『チボー家の人々』。
あれ・・・途中までしか読んでいないのだった。勿体ない。

毛色は違いますけど『大草原の小さな家』シリーズとか。
『赤毛のアン』も最終的には大家族の物語になりますね。

大家族小説って考えたらまだまだあるはず。
ギンズブルクも、他に『マンゾーニ家の人々』があります。
大家族小説を読み漁ってみたら、かなり楽しいかも。

以下、何故か長文にも関わらず私が書き写していた文章。

それはだれもが自分はいっぱしの詩人であると確信し、だれもが自分はいっぱしの政治家だと確信した、あの戦後の一時期のことであった。世界そのものが唖になったかのような、化石になったかのような何年間かは、いまや過去のものだった。ガラスのように、水晶のようにだまりこくって、澱んだ空気の中ですべての現実が膜を透して見られていた長い年月は通りすぎて、だれもがあらゆる題材について詩を書かねばならない、詩が書けると信じこんだ、そんな時代だった。

ここで必要なのは、もういちどことばをえらびなおし、それがほんものかにせものかを詮索し、それがはたして自分の中にほんとうに根をおろしているものか、あるいは共通の錯覚から生まれたはかない根にすぎないのかを識別することであった。すなわち、もの書きにとって必要なのは総体的な陶酔感のなかで忘れられてしまった自分の本来の仕事に戻ることに他ならなかった。そしてその次に訪れた時代の特徴は、泥酔のあとの時間に似た嘔吐感と無力感と倦怠感だった。だれもが、それぞれ異なったふうにではあるが、裏切られた、だまされたと感じていた。そのことは、現実を手中に捉えていると信じているものも、この現実について語る手段を所有している、あるいは所有していると信じるものにとっても同じだった。そしてひとりずつ、孤独に、満たされぬまま自分の道を歩きはじめた。

パヴェーゼの誤謬は私たちのそれよりも重大だった。というのもわれわれのあやまちは衝動や軽率さ、無智や純粋さに由来するものだったが、パヴェーゼのは慎重さや抜け目なさ、計算、理性などから生まれたものだったからである。この種のあやまちほど危険なものはない。彼にとってそうだったように、それは死にいたることがある。というのは抜け目なさゆえに踏み迷った道からの脱出はまず不可能だからである。抜け目なさゆえのあやまちはわれわれをがんじがらめにする。

(2014.12.16)
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  • 2015年02月08日 (日)

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