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「昭和」を送る  中井久夫

Posted by 彩月氷香 on 09.2015 中井久夫   0 comments   0 trackback
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みすず書房
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穏やかで冷静で柔らかな筆致は変わらず。
時事的な内容も、この人の書くものは古びない。

いつも考えさせられる。そして鋭いのに心が深く癒される。
清涼感のある優しさにすっと心が鎮まる。

氏の言葉の紡ぎ方がとても好きで。
同じことを書こうとしたら殺伐としてしまいそうな
悲鳴と呻きに満ちてしまいそうなそんな気がする私は。

何が違うのだろうと考え。
きっと、ずうっとずうっとずうっと。
考えて考えて考え続けてこられたのだろうと推測し。

悲哀と絶望を越えようとする時に。
力みすぎて語調が強くなる人がほとんどだというのに。

それもなく、逆に沈み込むということもなく、
静かに瞬く希望の光をいつも内部から発しているような。

ああ。こんな文章を書けたらいいな。
こういう心持ちで生きていけたらいいな。
他人を見る目の、この柔らかさを持てたらいいな、と。

ご本人にお会いしたことがあるわけではないから。
ほんとうの人柄ということは分かり得ないわけだけれど。
文章の中に見える知と情のバランスはきわめて好ましく。

一見ごく無造作で何気ない表情のなかに、
たくさんの秘密や発見が鏤められているような、
見過ごしがちな小さな茶目っ気が潜んでいるような。

しかし。今まで読んだ氏の著作の中では。
いちばん、生身の人としての氏の姿が窺える一冊だった。

こだわってしまうこと。
許せないこと。
忘れられないこと。
心配なこと。
不安なこと。

大きな声で語らないけれど。
やはり当然、誰にもあるのだとそっと知らされる。

それをどのように処すかということなのだと。
当たり前のことだけれども改めて実感させられ。
ほんの少しでも見習えたらな、とそう思った。

(2015.1.6)
以下、脈絡の無いメモです。完全に自分のためのもの。
書き抜いた文章と、雑なまとめ。
読んでも訳がわからないと思うのでスルーして下さい。


そのお母さんは、外交官のお嬢さんで、フランス系の乳母に育てられ、そのためか、日本語の会話が四拍子でなく、フランス語の三拍子に聞こえ、私も話をうかがう時に出所のみつからない緊張を覚えた。

いちばんまともな家族成員が統合失調症になる。

オリヴァー・サックス『火星の人類学者』

按手(passe、手かざし)である。おそらく、皮膚は数ミリの近さに他人、他動物が近づくと特別の感覚(センセーション)を起こすのであろう。手に相応して影のごときものが背中を走ってゆくのを私は感じた。「影」は寒さとも圧力ともつかぬものであった。私は、要は人物を見に行ったのである。それは合格だった。

自分の患者に按手を認めた。そのマッサージ師は、手かざしでは足りないと、日本刀の刃をかざす治療に乗りだされた。ほどなく脳卒中で世を去る。魁偉な体格と繊細な感受性を持った治療者として尊敬の念を今も持っているといい、かれを惜しみ、「師よ、あなたは一線を越えられたのではないか」と語りかける。

人間はやりかけの仕事を抱えている数が多いほど疲労感が増す。

希望を処方するということはかすかな形でも必要だと私は思う。

「記念日現象」

朝五時に起きてよく眠った頭を使おう。
文章構成力の再建のために翻訳をしようと決めました。

日本人の勤勉は「甘えの禁欲」の上に成り立っていると思う。自己規律として甘えをみずからに許さないことが、この「甘え」の国では美徳とされているとしても不思議ではなかろう?

色名のある範囲はもっとも多くてせいぜい50%、もっとも少ないのは北京官語で6%、日本語は中間で25%。

私たちの色覚は、実際の歳とともに色と対応しなくなってゆく。老人の水晶体は焦げ茶色。脳が修正している。モネの絵が白内障手術後に格段に青っぽいのはそのせい。

震災が起きると、内側、つまり被災地と、その外側が生じる。外側からみる内側と、内側から見る外側は、ものの見え方が全然違う。そして、その中間にあたるところが一番不安定である。今回の地震では、東京がこのちょうど中間に入ってしまった。神戸のときは、東京は外側だった。今、関西から見ると、東京は揺れているように見える。

彼が書いてくる葉書は最後まで整った文字で乱れのない文であった。死のわずか前とは思えなかった。同じ時の彼の自分用のノートの字と比べてみて、私にみせる彼の美学を改めて知った。

しかし、今、私に浮かぶ先生は、言葉よりも表情である。先生は表情の豊かな方だった。ことに、「莞爾とした」というしかない笑顔である。「どうだ、やったぞ」という、発見の喜びを素直に出す先生だった。

ほんとうのPTSD患者はしばしば名乗り出ない。

日本は中国の詩法がもとの「起承転結」で論文も書く。
これがアメリカの雑誌で低く評価される原因。
アメリカでは「起、承、承、承、承、…」と続き結にする。転はなし。
日本人はそれを一本調子といい、単純とみなす。
別の角度からの見方も述べ、今後の問題にも触れ、
保留すべきは保留するのがよいとされる。
それは米国では弱さとみられる。

実際、人間が生きるとは、記憶がその重みと鮮やかさの軽重強弱をたえず更新するということである。遠い日の些細な出会いが、二〇年後には重大な意味を帯びてくる。逆に、かつて生死を賭けた恋愛沙汰も淡い夢になる。記憶とは、新しい事件に出会うたびに総体が大きく組みかえられる一つの生きものである。

私は今、二時間働くと家事を三〇分やって何かつくり、あと一時間半休む。ストレス解消は親友へのハガキである。その往復は最低毎日一通である。

「子供の世界と大人の世界」
子供の時間と大人の時間の違いを説明するすてきな文章。

テレビは「絵にならないところは映さない」
映像の倫理は、散文よりもむしろ詩に似ている。
詩は「情」に訴え「意」をそそる。
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  • 2015年02月09日 (月)

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