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災害がほんとうに襲った時――阪神淡路大震災50日間の記録  中井久夫

Posted by 彩月氷香 on 18.2015 中井久夫   0 comments   0 trackback
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中井久夫氏の言葉はなぜか、書き留めておきたくなる。

あらためて思う。日本人は希望的観測に盲従する傾向があると。

日本人はかねがね「援助下手」であったが「援助され下手」でもあった。

私が改めて感じたのは、われわれの医学が、ガス、水道、電気の存在を空気のように前提としていたことであった。かつて、冗談まじりに「医師国家試験には電気のない条件でかくかくの疾病を治療せよといった問題を出すべきだ」と言ったことがある(もっとも、日本医師のそのような条件下での行動力は十年前に比べてかなり向上していると私は思う)。

一般に何の整理を優先させるかにその科の哲学が現れていた。

私は行き帰りの他は街も見ず、避難所も見ていない。酸鼻な光景を見ることは、指揮に当たる者の判断を情緒的にする。私がそうならない自信はなかった。動かされやすい私を自覚していた。

私たちは涙もろくなっていた。いつもより早口で甲高い声になっていた。第三者からみれば躁状態にみえたかもしれないが、実際には自己激励によるエキサイトメントであったと思う。万一「空しい」と感じてしまえばそれこそコトだと私は思った。

精神科医たちが一堂に会した時、いかにいじめられっ子出身者が多かったかに驚いたことがある。いじめられっ子は先生に絶望した経験を持っているものだ。

弱音を吐けない立場の人間は後で障害が出るという。

実に多くの人が、この状況にあった「ただでものをもらう」ことに抵抗を感じていた。初期にはそのためのためらいがあった。かなりの神戸市民は政府の援助を争って受けたのではない。心理的抵抗を乗り越えてようやく受けたのであることを彼ら彼女らのために言っておきたい。

 私自身が、おそらく震後十日ごろから、悪夢を自覚するようになった。それは、透明な悪夢とでもいうべきもので、まったく内容がなく、ねじられ、よじられ、翻弄される体感感覚より成る悪夢であって、なかなか覚醒せず、私は非常に苦しんで、ようやく目ざめると時計は五時を少し回っていることが多かった。

阪神淡路大震災から、もう20年。
あれからまた幾つもの大きな震災があって。
震災を知らずに育った子供たちもいて。

何が出来るわけでも、できたわけでもなかったけれど。
せめて忘れずにいなければと・・・

(2015.1.31)
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  • 2015年02月18日 (水)

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