ロンドンで本を読む 丸谷才一
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イギリスの書評を集めた本。
編者の丸谷才一氏が、書評の評論もしていて。
しかし、彼の紹介を読むと「面白そう♪」と思うのに、
実際にはあまり感興の湧かない評論もありました。
ていうか・・・私、長い書評が好きじゃなかった、そういえば。
読んだことある本の書評はじっくり読みますが、
未読の本の書評を読むのは、意識的に避けています。
予備知識っていうのが、とても邪魔に思えるのです。
真っ白な状態で本に出会い、読後に補足情報を得る、
という方が性に合っているのですよね。
よって。書評を読むこともないではないのですが。
「情報」ではなく、「印象」を掴む感覚で書評は斜め読みです。
「感想」もけっこう邪魔になるので、さらっと流します。
書評が嫌いというのとは違い、文章芸として楽しみますが。
題材になっている本の内容のことは、なるべく忘れます(笑)
あ。なんだか。何が言いたいのかよくわからなくなってきた。
読んだことのある本についての書評で「あ!」と思ったのを一つ。
村上春樹『象の消滅』は、私も好きな本ですが、その書評より。
具体的なものについては細かいのに、人間にかかわる面は朦朧という——この対象はむろん滑稽だが、同時にやや不気味でもある。
うん。わかる。でも、その不気味さが妙に安らぎを与えてもくれるのだ。
彼らの書評は、いはゆるジャーナリスト批評家のものとくらべていつそう趣向に富み、話術が奔放で、目鼻立ちがくつきりしていた。
これは丸谷才一氏が思うところの魅力的な書評の姿。
私は趣向に富み、話術が奔放というのは、長所とは感じませんが・・・
目鼻立ちがくっきり、というところは同感です。
そして書評家を花やかな存在にするのは、まづ文章の魅力のゆえである。イーヴリン・ウォーの新聞雑誌への寄稿は、流暢で優雅で個性のある文体のせいで圧倒的な人気を博したと言はれるが、(後略)
えー。イーヴリン・ウォーが好きなので。何となく書き抜きました(笑)
まぁ。ナンダカンダで楽しんで読みました。
(2015.2.15)
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