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自由からの逃走 新版  エーリッヒ・フロム

2015.11.25 未分類   comments 0
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東京創元社
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個人ははげしい自己中心主義と、力と冨へのあくことない欲望のとりことなった。その結果、自分自身にたいする健全な関係も、安定感や信頼感ももた毒された。自分自身もまた、他人と同様に、自分にとって利用すべきものとなった。

自由は近代人に独立と合理性とをあたえたが、一方個人を孤独におとしいれ、そのため個人を不安な無力なものにした。この孤独はたえがたいものである。かれは自由の重荷からのがれて新しい依存と従属を求めるか、あるいは人間の独自性と個性にもとづいた積極的な自由の完全な実現に進むかの二者択一に迫られる。

人間はみずからの世界を建設した。工場や家屋を建て、自動車や衣服を作り、穀物や果実を栽培した。しかしかれはみずからの手で作った生産物からは疎隔されてしまった。かれは実際にはもはや、かれが打ちたてた世界の主人ではない。逆に、人間の作った世界が人間の主人となった。その主人の前に人間は頭をさげ、できるだけ愛想をいい、ごまかしている。自分の手でした仕事が自分の神になったのである。かれは自分の利益によって行動しているようにみえるが、実際には、あらゆる具体的な能力をもった彼の全体的な自我は、かれの手が作ったその機械の目的のための一つの道具となった。かれは依然として世界の中心であるという幻想を抱いているが、しかもかれは、かつて先祖が神にたいして意識的に感じていたように、自分自身を無意味で無力なものと、強く感じている。

人間はたんに商品を売るばかりではなく、自分自身をも売り、自分自身をあたかも商品のように感じている。

すなわち、よく適応しているという意味で正常な人間は、人間的価値についてはしばしば、神経症的な人間よりも、いっそう不健康である場合もありうるであろう。かれはよく適応しているとしても、それは期待されているような人間になろうとして、その代償にかれの自己をすてているのである。こうして純粋な個性と自然性とはすべて失われるであろう。

かれは孤独にたえられないので、自我を失う道を選ぶ。

 物質的財産の所有であれ、感情や思想のような精神的な能力の所有であれ、所有そのものにはなんら純粋な強さはない。また事物の使用や操作のうちにも強さはない。われわれの使うものは、われわれがそれを使うからといって、われわれのものではない。われわれのものとは、ひとであれ無生物であれ、われわれが創造的な活動によって純粋な関係をもっているものだけである。われわれの自発的な活動から生まれるこれらの性質のみが、自我に強さをあたえ、ひいては自我の統一性の基礎となる。自発的に行動できなかったり、本当に感じたり考えたりすることを表現できなかったり、またその結果、他人や自分自身にたいしてにせの自我をあらわさなければならなかったりすることが、劣等感や弱小感の根源である。気がついていようといまいと、自分自身でないことほど恥ずべきことはなく、自分自身でものを考え、感じ、話すことほど、誇りと幸福をあたえるものはない。


引用だけだと、伝わらないかもしれません。
現代に生きているのは、どういうことかを、
改めて見つめ直させられる内容です。

自由から逃走するのが得意な人ほど。
上手に生きている世の中じゃないかな・・・と思う。

きっと。上手く生きることが出来ない人ほど、
本書に共感し、励まされるのではないでしょうか。

フロムの著作、もっと読みたいな。

(2015.7.29)
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  • 2015年11月25日 (水)

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