選択の科学 シーナ・アイエンガー
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「選択」の可能性と重荷。
わたしたちが「選択」と呼んでいるものは、自分自身や、自分の置かれた環境を、自分の力で変える能力のことだ。選択するためには、まず「自分の力で変えられる」という認識を持たなくてはならない。
選択したいという欲求は生得的なもので、それをまだ言葉で表現できない子どもでさえ、この欲求にかられて行動する。
選択というプロセスは、ときにわたしたちを混乱させ、消耗させる。考えるべきこと、担うべきことがあまりにも多すぎて、安楽な道を選びたくなるときがあったとしても無理はない。選択にこれほどの力があるのは、それがほぼ無限の可能性を約束するからにほかならない。しかし可能性は、未知でもある。(中略)自分の決定がどんな結果を招くのか、前もって知ることができれば、どれほど心が休まるだろう。
著者は「選択できる」ことの幸せと必要を重要視する。
一方で、選択の重荷に押し潰される例も挙げている。
また国民性による自己決定の欲求の度合いの差にも触れている。
例えば、日本人はあまり「自分で選びたい」と思わない人種。
それは日本は集団主義社会であるからだという。
そのことを証明する実験が非常に興味深い。
一生を押し潰しかねないほど辛い選択についても語られていて。
この部分の分析も緻密で説得力があります。
わたしたちは、自分の思い描く自己像と他者が思い描く自己像とを一致させることを、とても重視するため、自分が他人に本当はどう思われているかを知るための手がかりを、たえず他人の行動から読み取ろうとしている。
わたしたちは他者の描く自分をのぞき込み、そこに自分の描く自己像を見つけることを何より望んでいるのだ。
著者の洞察力にすぐれた言葉が、折々に刺さります。
当たってる!と思うのですが、それが痛い。
選択することの力を強く信じている著者に。
心から共感するとは言えない。
でも。公正で科学的であろうとする態度に好感が持てた。
何より。数々の実験や考察から見えてくる人間の心理が面白かった。
私にとって「選択」は「重荷」の要素が濃いことは変わりません。
(2016.11.8)
本文の内容の本筋ではありませんが。
著書が挙げていた本の一節にとても惹かれました。
わたしたちは生きるために、自分の物語を自分に語る。
ジョーン・ディディオンという小説家の「60年代の過ぎた朝」というコラムの冒頭の文章だそうですが。この本、読みたいなぁ。- 関連記事
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