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個人的現実の本質  ジェーン・ロバーツ ロバート・F・バッツ

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ナチュラルスピリット
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宇宙から届く言葉・・・信じられる?

スピリチュアルという言葉が好きではなかった。
いや、たぶん、今もアレルギーがある。
チャネリングなんて言われたら、気分が悪くなる。

なのに。この本で語られることは、すーっと入ってくる。
納得が出来る。否、信じられる。

特殊な本だと思いますので、お勧めはしません。
縁がある人が読むことになる本なのだと思います。

そして。セスという存在は信じなくても。
(私も信じてはいない気がする)
語られている言葉の魅力が深くて、惹き込まれる。

霊感とかいう怪しげなものではなくて。
「思想」とか「哲学」として読めます。
自分で自分の心を救う方法が書いてある、とも言える。

以下、長過ぎる引用(最近、このパターン多いな・・・)。

自分の観念を変えることができると確信し、自ら変えようとしなくてはなりません。制限する観念を、濁った絵の具だと、そしてあなたの人生を台無しにされた多次元の絵だと考えてごらんなさい。画家がパレットを替えるように、観点を取り換えてください。
 
画家は使っている絵の具と自分を同一視したりしません。自分が絵の具を選び、絵筆で描いていることを知っています。あなたも同じように自分の観念を使って、自分の現実(リアリティ)を描いているのです。あなたはあなたの観念ではないし、考えですらありません。あなたはそれらを経験している自己です。画家は一日の終わりに手が絵の具で汚れているのに気づいたら、どうして汚れたのかを知っているので容易にそれを洗い流すことができます。

制限する観念を自分の一部と見なし、そのため永遠に自分に属するものと思っていたら、洗い流そうとは思わないでしょう。そして「この絵の具はわたしの一部なのだ。その絵の具がわたしの指を汚したので、わたしにはどうすることもできない」などと頭のおかしい画家のようにふるまうでしょう。

自分の考えに自然に気づいていることとそれらを調べることに矛盾はありません。自然のままでいるということは盲目になることとは違います。やってくる情報を何もかも自分に取り込み、事実として見境なく受け入れることは、自然のままとはいえません。

 本当に自然のままであれば、多くの観念はまったく無害に自動的に消えていきます。ところが、人間はしょっちゅう観念を心にためこみます。
 
限界をつくる観念や誤った観念を受け入れることは、リンゴの木が自分はスミレだと勘違いするくらい混濁した状態になることを意味します。リンゴの木はスミレの花を生み出すことはできないし、そんなことを考えているリンゴは立派なリンゴの木にもなれません。

誤った観念はあなたの内なる存在の基本的条件に反しているのです。もし自分は物理的な出来事のなすがままだと思っているなら、あなたは喜んで誤った観念を受け入れていることを意味します。また、自分の経験は自分の影響力の及ばない状況で定められていると考える人も、誤った観念を歓迎している状態にあるといえます。

「わたしは・・・が嫌いだ」と言っている人は、少なくとも嫌悪できる「わたし」を持っていることになります。しかし「わたしには嫌う権利はない」と言う人は自分の独自性に向き合っていません。

多くの人々は、ネガティヴと見なす感情経験に蓋をします。そしてポジティブと見なす感情だけを「肯定」しようとします。自分の生き物としての次元を認めず、実際には感じているのに感じていないふりをして、自らの経験の統合性を否定するのです。

感情を否定するのは無益なことです。物質世界に適応している意識にとって感情は自らを知る手段の一つであり、けっして破壊的なものではありません。良い感情も悪い感情もないのです。

感情はただ感情であるだけです。意識のパワーを構成するエネルギーあふれた要素として存在しています。ただ感じていれば、感情はひとりでに広大無辺な存在の海に溶け込んでいきます。ある感情だけを肯定して別の感情を否定しようとすると、そこに壁を打ち立ててしまうことになります。

ほかの人々に何か助力を与えると、ほかの誰のものでもない自分自身の特製を創造的に使うことになります。ネガティブなことばかりくよくよ考えている自分に気づいても腹を立てないでください。そうではなくて建設的に、なぜそんなことをしているのか自分自身にたずねましょう。答えが頭に浮かぶでしょう。

それを橋として使うのです。かかわりのあるどんな感情も湧いてくるに任せましょう。正直にそうすれば、自分に対する無価値観や失望感をひとりでに変化し、通りすぎて消えます。感情自体にがまんできない、あるいはうんざりしている自分に気づき、それらを重要でないとして捨てるかもしれません。けれども機械的にそれらを悪いものとして、絆創膏のように「ポジティブな概念」を当てはめてはいけません。
 
自分自身に対するユーモアのセンスを身につけましょう。悪意のあるものではなく、自分自身に対する思いやり深いユーモラスな敬意を抱いてください。

自分の観念に気づくようになると、それらを処理することができるようになります。ネガティヴな観念と見なすものと戦おうとしたり、それらにおびえるのはばかげています。あなたの観念は不可解なものではありません。

あなたは観念の多くがかつて有益な目的にかなっていたということ、そしてそれらは単にひどく強調されすぎたのだということに気づくでしょう。それらは否定されるよりむしろ再編成される必要があるかもしれません。

自分自身に愛情深い敬意を抱いていれば、自分の方向づけを信頼するでしょう。

それがどんなものであろうとその方向の一部として自分の現在の状況を受け入れ、またそこから自分の必要とする創造的な要素がすべて生じていることに気づくでしょう。自分自身でいること、自分の全体性を信頼することで、あなたは自動的に他の人々を助けます。

しかし、「わたしは価値ある人間だ。自分自身と自らの全体性を信頼している」というような暗示を繰り返し言っても、同時に自分の感情を恐れ、ネガティヴな気分と自らみなすものに襲われるたびに動揺していたら、何にもなりません。

(2016.12.20)
職場の人間関係に疲弊している私は本書にだいぶ救われました。
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  • 2017年02月03日 (金)

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