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読みかけの本について書いてみよう。(保坂和志『試行錯誤に漂う』)

Posted by 彩月氷香 on 06.2017 本のこと   0 comments   0 trackback
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褒められたことではないが、時折図書館から借りた本を延滞する。読み終えるのが間に合わなかったり、期限の日に体調が悪くて返却できなかったり、読み終えているけれど感想が書けていなかったり、すっかり読みそびれていたり。それは年に一回あるかないかのことだ。回数が少ないからといって褒められることではなく、「読める」と思っている本の冊数に読書ペースが追いつかないことを認めなければと思いつつも「読みたさ」に負けてしまうのだ。

保坂和志『試行錯誤に漂う』は返却日になっても頁を開いてもいなかった。好きなのに滅多に読まない作家というのが私には何人かあるが、保坂和志もその一人。なぜ読まないかというと、一冊読んだ際の充実度が高く、その人の本を読んだという満足感が長く保たれるからだと思う。『カンバセーション・ピース』か『プレーン・ソング』か、どちらが彼との出会いの一冊だったかはもう忘れてしまったが、とにかくその一冊で10年分くらい私は満たされてしまったのだ。

また読みたいと考えてはいるから、古本屋で状態のよい本を見つけるとほくほくして買っておく。それでも読まない。いつかまた読もうと思っているだけで気持ちが「読み終えた時の幸せ」を再生してくれるので読む必要がない。こういう本は、おそらく自分と作品の相性が良く、かつ読むタイミングがベストだったのだと思われる。そして作品との相性が必ずしも作家との相性とイコールではない。他の本を読んでがっかりしたくない思いが意識下にあるため、無意識に読むことを控えるのかもしれない。

実は数ヶ月先の小旅行を計画している私は、旅行の計画を立てることの面倒臭さに嫌気がさして旅行そのものをやめようと考え始めていて、その旅行というのがただ久しぶりに東京をぶらぶらしようというだけのことなので、何をするにも「簡単」にできない性分に泣けてきて不貞寝しようとした時、もう読まずに返却するつもりだった『試行錯誤に漂う』を手にした。読み始めてすぐ、これは「宝庫だな」と思う。何の宝庫かということは定かではない。とにかくこれは「ザクザクだ」と思う。「どんどん湧いてくるな」とも思う。ワクワク感が血管を走るのを感じ、ちょっと困ったなと思う。

自分の不甲斐なさ(旅行の計画が立てられないことだけではない、その背景にある人生全般に関する敗北感)に飽き飽きしていた私にはぴったりの書物で、呼び覚まされるものが続々とあり、簡単には読み進まない。付箋が山盛りに詰めてある箱を傍らに起き、気になる箇所に付箋を貼りつつ読む。貼る作業のおかげで速読自慢の私も速度が出ない。ゆるゆると読む。本に書かれていることからしばしば思考が脱線し、文章が頭を素通りするため、同じところを二度読む。作中に登場する「これは読まねば」という本を読みたい本リストに追加する作業も加わり、記録的なスローペースの読書となる。

読んでいる途中に感想を書くことはほぼ無いのだが、稀にメモをとる必要を感じることがある。本書の場合「もぞもぞと呼び覚まされる」というフレーズを手近な紙に書いた。呼び覚まされるものがナニであり、何故呼び覚まされるかというのが肝心なところだろうけれど、それは読み終えてからでも書けるだろう。「もぞもぞ感」は読み終えた時には消えているかもしれない(読後の満足感に集約されてしまって)から、それだけは記しておかねばと思った。

途中で、とうとう。本を置いた。明らかに貼り過ぎの付箋のうち、横向きに貼ったものだけチェックする。私が付箋を貼るルールは、まずは惜しみなく貼るということ。本一冊につき50カ所を越えることも恐れず、気になる言葉や事象や疑問点や共感の出所となる頁にバンバン貼る。そして、特に重要と思うところは頁の上部ではなく横に貼る。非常に重要と思ったらベージの下に貼る。不思議と下に貼っているものは後に確認すると何故貼ったのかがわからなかったりするのだが、横に貼った付箋は確かに、私にとって大切な言葉が書かれているところだ。

さて。今のところ、横に貼った付箋は3枚。坂口ふみという人の言葉を引用している箇所は絶対に書き写すに違いないが、それはおいておくとして。私がこんな誰の役にも立たない雑文を書いてみようと思ったきっかけの言葉(その場ですぐに響いてきたものではなく、じんわりと働きかけて来た)にも、横向きの付箋が貼られていた。それはこのような文章。

 書くことの起源に読者という想定はない。というか、思えば、起源とか正式にこだわる必要もない。そういうことを言っていると足元を掬われる。ただ書くこと。人を説得しようとか人から了解を得ようなどという気持ちから離れて、ただ書くこと。

実際には職業作家である保坂氏がそのように「書く」ことができるとは信じられない。一般人の私ですらもはや出来ないことだ。けれど、そのように書いていた時代はあったし、今も「書くこと」をそのようなものとして楽しむ(苦しむ)瞬間が皆無ではない。ほんとうにそうであったかどうかはわからないけれどカフカにとって「書く」というのはそういうことだったと保坂氏は言い、それならば私がカフカを好きな理由も納得が行き、さらにそれならば、自分の書くものも好きでいられるだろうと都合のよいことを考える。

考えたから書くのではない。書くことで考える。考えたことをまとめるために書くのではない。書いているうちにまとまってくる、あるいはまとまりもしないままに、どこかへと思考が運ばれて行く。

それが書くことの中毒性だったのだと思い出した。いつまででも書いていられるし、書き続けたいという欲求。それが生まれる源は決して暗黒ではないということも。簡単にいえば、ふと何かのためにではない文章を書いてみたくなったのだ。ただ書きたいから書くという気持ちが懐かしくなったのだ。

それを取り戻したとまでは云えない。けれど、それを失っていた自分には気がつくことができた。何のあても目的も相手もなく尽きることなく書いた時代は、たとえ二度と帰ってこなくても私の黄金期であったのだということにも。

さて。では続きを読もう。

試行錯誤に漂う試行錯誤に漂う
保坂 和志

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  • 2017年03月06日 (月)

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