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漢字と日本人  高島俊男

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漢字という「腐れ縁」

私は、漢字の読み書きだけは苦労したことがありません。
幼い時から本ばかり読んでいたせいでしょう。
学ぶ必要もなく、勝手に漢字は覚えたのです。

「漢字が日本人に与えた害」を語っているとも言える本書。
思い当たったり、なるほどと膝を打つ部分はありつつも、
共感や納得がし辛かったのはそのせいでしょうか。

元々、本書は。
「日本人にとって漢字とは何か」を英米人向けに書いたもの。

言われてみれば思い当たるような、
日本人と文字の関係の複雑さ・・・ではあるのです。

本書の終章の筆者の言葉を引用しますと。

 漢字は、日本語にとってやっかいな重荷である。それも、からだに癒着してしまった重荷である。もともと日本語の体質にあわないのだから、いつまでたってもしっくりしない。
 しかし、この重荷を切除すれば日本語は幼児化する。へたをすれば死ぬ。
 この、からだに癒着した重荷は、日本語に害をなすこと多かったが、しかし日本語は、これなしにはやってゆけないこともたしかである。腐れ縁である。

漢字を撤廃しよう、という運動もあったのですよね。
そりゃ、無茶ってもんでしょう。

冒頭の方に出てくる例ですが。

「かていの問題」という発言を。
「過程の問題」ととるか。
「家庭の問題」ととるか。
エラい違いですよ・・・事件になります。

この場合、耳だけで見分けるのは不可能で。
前後の文脈から、頭は「漢字」に変換します。
思考に「漢字」が入り込んでいるんですね。

漢字って、そもそも私たちにとってナニだろう?
普段、考えてもいなかったな・・・

私自身は、単純に漢字が好きです。
その理由も、ひらがなより上手く書けるという笑えるもの。
丸いものより四角いものが好きなんですよ。
線がいっぱい交差しているというのも好きな要素。

私の眼には、ひらがなよりも漢字が心地よいのです。
じゃあ漢語はどうなの?というと、見るには好きですが読めない。

ひらがなで書けるものは、ひらがなで書くべきと著者は言いますが。
私は漢字で書けるものは、出来る限り漢字で書く傾向にあります。

漢字の方が、書くのは時間はかかりますが。
瞬時に意味がわかるのは漢字の方です。
ひらがなで書かれていたら、頭で漢字に変換するわけで、
そのひと手間が加わることで、読むスピードが落ちます。

え? 早く読みたいから漢字が必要?
う・・・それは否めないかも。

勿論、読めないような漢字がぎっしりならむしろ遅くなる。
あと、視覚が重苦しくなりますよね。
漢字とひらがなのバランスは結局個人の好みの問題と思う。

書き手が好きなように書けばいいんじゃないでしょうか。
読む側が読みにくいと思えば、読まないだけです。

趣味や芸術の場面はそれで済むけれど。
公的な文書や教育となると方針、指針は必要ですよね。
そこのところは、流れにまかせて適当過ぎたのかもしれない。

ただ、言葉も文字も統制するものではないと思うので。
時代の流れで変わっていくに任せてもいい気もするのです。

かく言う私も、言葉の使い方の変化で嫌いなものもあります。
どちらかというと、ひらがなの多用を好みません。

「漢字で書け!そこは漢字だろ!」と突っ込む方が多いです。

カタカナで書けるものをわざわざ漢字で書くのはやり過ぎですが。
漢字好きの私は、それも面白がってしまう傾向があります。

読めない漢字は(ほぼ)無い、と豪語する私ですが。
読めない漢字に出会ったからといって、凹みません。
その漢字を自分の辞書に加え、いそいそと使う機会を待ちます。

結果、気持ち悪いほど文章が漢字だらけに・・・

反省して、今は漢字は減らしていってます。
紙面が重くなり過ぎるのが気になるので。
それでも、高島氏の文章のひらがなの多さは私には脅威的。

「ちがい」とか「たいら」と書かれると。
「違い」「平ら」と変換しながら読まねばなりません。
「となえ」も「唱え」と書いて欲しいと感じます。
「見かた」も「見方」の方がしっくり来ます。

私には、ひらがなの多い文章は読みにくいのです。
もう、これはこの歳になってから変えることは不可能。

ですので。
知らぬことや考えたことのなかったことを知り。
わくわくと啓蒙される内容であった本書ですが。

Q「だから、じゃあ、これから、どうするの?」
A「え、別に今までどおり成り行き任せでしょ」

あ。著者は漢字を不要と唱えてるわけではありません。
彼なりの基準で必要な漢字と不要な漢字を述べています。

教育がこの問題を中途半端に扱ったことへの怒りには私も賛同。
ただ、私は学校以外のところで漢字は学びましたから。
政府の教育通りに漢字を使っているわけではありません。

あ。当用漢字、常用漢字の問題はありますね。
もともとの漢字から遠ざかってしまっている漢字とか。

ここも・・・目くじら立てても仕方ないと思ってしまう。
難しい昔の漢字を書きたければ書けばいいし。
書けない人は書かないでもいいんじゃないかと。

「正しい」「正しくない」ということは気にならないです。
「不自由」ということも別にマイナスと思いません。

日本語の体質に漢字があっていないとしても。
その合わないものを使いこなすことが無駄でもない。
そこで「工夫」を重ねたことが日本語にプラスになったかも。

眼に語りかけてくる「形」を持っている漢字は。
私にとっては心地の良いものなのです。

(2017.5.2)
ずっと漢字で書いていたのをやめた例は私もありまして。
「無い」は「ない」と書くことが増えましたし。
「書く事」「読む事」とは書かなくなりました。
「良い」というのも場合によりますね。
何しろ言葉の問題は、難しい顔をして理屈で悩むより。
面白がって、自分なりに工夫してみる方が良さそうです。
しかし。漢字について無自覚過ぎたとこっそり反省も。
でも結局、著者と違い、私はこの問題に真剣になれない性分みたい。
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  • 漢字と日本人  高島俊男
  • 2017年10月14日 (土)

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