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ラムサ ホワイトブック  ラムサ

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ラムサ
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自分の内なる神に耳を傾けよ

神はあなたの内にある。
いえ、それどころか。あなたが神である。

ちょっと。怖いですよね。
神だから。何をやっても許されるんですよね?
ええ。許されるんです。

うそ・・・それじゃ、罪とか真実とかは無い?
ええ。そんなものはありません。

ってな具合で・・・

でも。「ただ在る」がすべて、という考えは。
私はよくわかる。
その感覚が強く実感できる時、
自分と世界がひとつだと感じられる。

それは「自分が神である」というのに近いと言えなくない。
(私は自分が神だとは思ったことはありませんが)

著者(?)のラムサはこれまた、永遠の命を持つ神で。
とある女性の体を借りて語った・・・ということになってます。

チャネリングですね。
私、チャネリングは信じていません。
となると。ラムサの存在も信じていません。

しかし。ラムサが語ったとされる言葉の一部には共感します。
それは私が「神を感じる」「神を信じる」瞬間の心を、
なぜか実にリアルに描いているからです。

ただ、私は自分が神だとか、神になりたいとか思わない。
でも。神様は自分の内にあるもの、という気持ちは強い。

簡単に言いますと。ラムサの主張は。
人間は「神である自分を忘れた生命」なわけです。

イエス・キリストやブッダは「神である自分に目覚めた」存在。
つまり、あなたもキリストやブッダと実は同じなんですよ、と。

死ぬと信じるから死ぬのであり。
年老いると信じるから年老いる。
あなたの命は本当は永遠だ、と。

信じられます? ていうか、信じます?
いやいやいやいや。気違い沙汰でしょう。

ただ。本書のなかで繰り返される「あなた」という言葉。
あなたの人生、あなたの旅、あなたの運命、あなただけ・・・

これは置き換えると。
私の人生、私の旅、私の運命、私だけ・・・

私が持っている「私」の強さの発生源はここにある気がする。
我が強い、自我が強固というのとは違うと感じつつ。
私が持て余してきた「私」というものは。
ラムサが言うところの「あなた」と似ている。

こんなこと聞いても、よくわからないでしょうし。
怪しさ満載なスピリチュアル本であることは否めない。

個人的に。私には幾分、懐かしさのある内容でした。
神様を信じていたころの私、を思い出せるような。

以下、大量の引用。

あくまで、私自身が読み返すためのものです。
読者を意識しておりませんので悪しからず。
(正直、読むことをお勧めしません)
もしある人間が、自分は不幸で、魂もなく、無力なのだと自分にずっと言い続ければ、実際にそうなってしまうのだ。自分を「風の主」と呼ぶならば、その人間は風の主となる。

 あなただけが、自分にとっての最高の恋人となることができるのだ。あなただけが、自分にとって最高の友、最高の教師になることができるのである。あなたに教えをもたらしてくれる声で、あなた自身の声よりも偉大なものはけっして現れない。あなた自身の今日の姿こそが、あなたがこれまで求めてきたあらゆるものに対する答えなのだ。しかし、どうしてもあなたが、自分自身の外側に進むべき道や崇拝すべき存在を求めようとするならば、あなたはけっして、本当の意味で神の栄光を見ることはないし、知ることもない。自分自身を通して、そして自分自身への愛を宣言することを通してしか、自分の神性や、覚醒や、可能性の開花といったものを実現することはできない。あなたの人生に平安と幸せと充足感をもたらすただひとつの道は、自分自身を崇拝し、愛することである。なぜなら、それは神を愛することだからだ。そして、ほかの誰よりも自分自身を愛するのだ。そうすればあなたは、人類全体を受け容れることができる愛とゆるぎのない強さを持つことができるからだ。

これは、あなたの旅である。あなただけの旅なのだ。なぜなら、これはあなたの人生であり、それはあなただけのものだからだ。

「どのように考えるか」という、自分の思考プロセスを通して、おなたは自分の人生を創造している。あなたが何を考えようと、あなたはそれらすべてを感じる。そして、あなたが感じることはすべて現実化し、あなたの人生の状況を創り出していく。

 自分を制限するような信念を受け容れると、その信念が自分の内面で動かしがたい真実となり、それがあなたの人生における現実となっていくのである。あらゆるもの、あらゆる人々、そして自分自身に対してまで価値判断を下すことによって、あなたは生きることから自分を切り離してしまっているのだ。

われわれが真実として知っていることは、どんなことであろうと、現実へと変容するのだ。われわれの創造性と意志は、それほどまでにパワフルなのである。

自分の語彙の理解の中に「年老いた」という言葉があってはならない。自分の理解の中に「永遠に」という言葉を入れるのだ。自分の誕生日を祝うのをやめるのだ。というのも、それは自分の老化のプロセスを確実なものにするだけだからだ。自分の誕生を祝うことが喜びをもたらすのであれば、そうしなさい。だが、そうするならば、年齢のカウントを逆にして、ひとつずつ、若返りなさい。あなたが死を予期することがなくなれば、あなたはけっして死を体験することはないだろう。

 いつでも「今」を生きるのだ。この「今」という瞬間のほかには、どんな未来であろうと、それを認めてはいけない。あなたの「今」は、自分がそれを許すならば、永遠のものになるのだ。自分があとどれくらい生きるのかということを絶対に熟孝してはならない。なぜなら、あなたはずっと生き続けるからだ。自分の体の永続性について熟孝しなさい。そうすれば、そのとおりになる。それはただ単に、そうなっているからだ。

 ただ単に、自分自身に「ただ在る状態」でいることを許しなさい。あなたがただ在るとき、あなたはすべてである。神になるということは、「私は在る」と言うことなのだ。

 あなただけが、すべての中で何が自分にとって最良であるかを知っているからだ。誰もが自らの人生を生き、自分自身の観点から真実を評価するのに忙しいというのに、どうして他人にあなたのことがわかるだろうか?自分自身を満たすために魂の中で必要とされている体験を知ることができるのは、あなただけなのだ。自分に対してて、自分自身の真実を与えられるのは、あなただけである。なぜなら真実とは、自分で定め、自分で確立するものだからだ。

あなたの魂の中で正しいと感じる答えを求めなさい。あなたの魂は何が真実であるかを知っている。そして魂はそれを、フィーリングを通してあなたに知らせてくれるのだ。その真実が正しいと感じるとき、それはあなたの魂が喜びの状態にあるということだ。なぜなら、最も壮大な真実は、無限の自由であり、あなたが望むどんな真実でも体験させてくれるものだからだ。

 真実とは、ひとつの制限のこのである。何かが真実だと言うとき、それは真実ではないものもあるということを暗示している。だが、さらに偉大な理解においては、真実なるものはなく、真実でないものもない。

 真実というものは「ただ在る」だけであり、あらゆるものが真実であり得るということを理解したとき、あなたは自分を制限から解き放ち、すべてのものを体験できるようになる。

 自分であるものをひたすら愛し、自分の内なる神に耳を傾けなさい。その神は、とてもかすかな声で語りかけてくる。それは、フィーリングと呼ばれている。フィーリングは、もしあなたがそれらに耳を傾ければ、あなたに真実を語り、覚醒へと向かうあなたの道を教えてくれるだろう。
 自分の内面に感じる真実を生きるのだ。その真実があなたの栄光を示すように、その真実を生き、それを現実化しなさい。あなたがそうしたとき、あなたは自分の観点から人生を評価し、生き、理解したことになる。そして、あなたが人生をどのように見ようとも、それはつねに正しいのだ。自分自身の教師になりなさい。自分自身の救世主、自分自身のマスター、そして自分自身の神になるのだ。

 真実とは何だろうか?自己がそうだと決めたものなら、何であろうと真実だ。なぜなら、あなたが信じることは、何でもそのとおりになるからだ。つまり、あなたが信じることが何であれ、あなたはそうなっていく。このことを知るのだ。そうすれば、あなたの生き方だけでたくさんの人々に教えることができるだろう。
 けっして真実を探し求めてはいけない。ただ在る状態でいなさい。ただ在るとき、あなたは無限の宇宙とひとつになっているのである。

 生きる目的とは、人生の一部となること、それを創造する者となること、そしてそれを輝かせることだ。生きることそのもの、そして一瞬一瞬あなたの内面で人生が花開いていくのに応じて、自分がその瞬間になりたいものになっていくのを自分に許すことのほかに、あなたの運命はない。そして、その目的を満たしていく中で、自分が望む何にでもなれ、何でもでき、望むとおりのものでいられる無限の自由があなたにはあることを知ってほしい。

最悪の忌まわしい言葉が「わからない」という言葉だ。あなたが「わからない」と言えば、あなたが知ることはけっしてない。「できない」と言えば、あなたは絶対にできない。

 考えることができるものは、それがどんなものであろう存在する。そして、あなたが自分に考えることを許したものは、必ず体験される。なぜなら、あなたの電磁場がそれをあなたに引き寄せるからだ。

 自分自身を愛しなさい。そして、自己が語ることに耳を傾けなさい。自己が何を感じる必要があるのかに耳を傾けるのだ。そして、それに飽きてしまうまで思う存分にそれを追い求めるのだ。あなたが何かに飽きるのは、その体験から学ぶべきことはすべて学び、今や別の冒険に進むときが来ているという、あなたの魂からのサインである。あなたが自分の内面のさまざまなフィーリングにだけ耳を傾ければ、あなたはこの瞬間、自分が選ぶどんなものにでもなれる自由を持っているのだ。

 無法になりなさい。それは無鉄砲になるということではない。それは、自らの首を縄で絞めているあなたが、その縄をはずし、自分が呼吸できるようにするということだ。


(2017.11.8)
自分自身の中に探し求める、というのは。
私がずっとそうしたいと願っている生き方なのです。
その点では妙な強さを持っていた私も。
そこに「自由」を見てはいませんでした。
自分が神であるだなんて信じなくても。
神になれるくらいの可能性のある存在なのだと信じて。
自分の心を羽ばたかせられるなら・・・
「ただ在る」という実感が生む魂の広がりは。
また感じることができたらいいのにと思います。

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  • 2018年03月11日 (日)

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