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『古典の森へ』  田辺聖子 工藤直子

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集英社文庫
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古典は私の苦手分野だった……忘れてた。

そもそも。これ、毎日新聞の連載なんですね、元々。
読んでるはずだと思います。飛び飛びですけれど。
工藤直子さんが書きとめ役のおしゃべりだったとは。

で。楽しく読みました(忘れてるから)。
で。読んでてもうひとつ忘れてたことに気付く。

私、古典にまったく哀しいほど興味がない。
それは昔からそうでしたね。
理由はたぶん「面倒くさい」からでしょう。

古文の勉強ができませんでした。
基本、せっかちなので。読んですぐ解りたいんです。
文章の意味を理解するために学ぶというのが性に合わない。

あ。そうか。だから外国語もだめなんだ・・・

国語は勉強する必要ありませんからね。
ただ、国語辞書は十代の頃1年間だけ、マメに引きました。
そういうセルフキャンペーン(?)を行っていた時期があって。

言葉の細かいニュアンスを正確に知りたかったんですね。
雰囲気で意味は掴めてますが、語源まではわかりませんし。
ま、面倒臭さが勝つので。1年で飽きちゃいました。

基本、わかろうがわかるまいがノンストップで読む。
読んでるうちに自然にわかる、という雑な読書でした。

そもそも。文学好きでもなんでもなく。ただの活字中毒で。
文字が書いてあれば、何でも読みたいだけだったのです。

不思議と。漢字は子供のころから読めました。
書くのもほぼ間違わずに何でも書けました。

おかげさまで。国語の勉強は必要なく。
テストが95点以下だったことも一度もない。
よく問題になる「作者はなにを言いたかったか」の件で。
ちょっと減点になることがあるくらいのものでした。

それも、作者が何が言いたいかは無視して。
出題者が期待している答えを推理して書けば、ほぼ当たる。

だから国語が好きかっていうと。
別に楽しい授業でもなかったので。どうでもよく。
ただ、勉強せずに点数が稼げてラッキー!というだけ。

本が好きな人って。皆そんな感じなんじゃないかな?

ただ、一つ。困ったことがありました。
それは。時々、間違った「読み方」をしていること。

書物にはよく登場するけれど。
口に出して言う機会はほぼない言葉ってありますよね。

えーと。例えば。「青二才」とか。
これ、本にはちょくちょく見かけますが。
会話にでてきます? 聞いたことがない。

意味はわかります。わかるので辞書は引かない。
本に出てくるたびに頭の中で発音してますが。
誰かが「それ、読み方違うよ!」とも言ってくれない。
だって、自分の頭の中だけで発声してますから。

あ。私がなんて読んでいたか?
……「せいにさい」です。

「あおにさい」と知ってからも。
「せいにさい」と読んでいた年月が長過ぎて。
なかなか正しく脳内発声できないくらい定着してました。

幸い。誰にも知られないうちに気付けました。
これはワープロの時代になってからのことです。

「せいにさい」と打ったら、変換されなかった。
えーなんで、こんな基本的な言葉が出て来ない!と怒る。
そこで、ハタと気付く。もしかして、読み方が違う?と。

知ったとき、一人で恥ずかしさに悶えておりました。
そのうえ新しい読み方に慣れずにイライラするという……
だって、何百回と読んで来たんですもん。
「せいにさい」って……

他にも、幾つかありますよ。
5年に一度くらい、ポロッと出て来たりします。
ワープロ(いまはPC)で打って発覚するのです。

これね。手書き時代だったらわかりませんでしたよ。
読み方を間違っていても、正しく書く事はできますから。

なので。私は。
アナウンサーの読み間違いを責める気持ちはゼロです。

他人が「そんなの常識!」と思うほど。
「読み」って常識ではないと感じています。
思い込みで定着しやすい上に、間違いに気付くチャンスが少ない。

それまでの人生でその語に出会ってなかった、ということが。
見聞の範囲が狭いと責められるべき場合もありますが。

正しい読みが出来ない=その語を知らなかったとは限らない。
読み方だけを間違っちゃってたことを責めるのは酷で。
映像に興味がなく活字中心に生活してるとあり得るんです。

日常会話に出てくる言葉も現代日本では狭くて浅い。
たぶん、私も知っている言葉の億分の一も使っていない。
何度も目にしていても、発音する機会がない語って、山ほどある。

語の読みと書きと意味と使い方がすべて完璧って難しい。
読めるけど書けない、が一番多いパターンで。
読めるけど意味がわからない、もたまにはあるでしょう。
読めて意味もわかって書けるけど使いこなせない場合も。
読めないけど意味がわかってる、もありますね。

この基本形に、そのうちのどれかが間違ってるというのもある。
で。間違ってることに本人が気付いてないという哀しい事態も。

で、ですね。
私がいちばん優先していることは。
言葉の意味がわかることですね。

本を読むのに必要なのは、ここだけです。
読めなくても大丈夫。書けなくても大丈夫。
声を出さない黙読なら「記号」として通過できます。

その語の漢字の読み方を知らなくても。
その語を見るたびに正しい意味が頭に浮かべば。
支障なく読書は楽しめます。

多読・濫読していると。
こういう知ってるような知らないような語が増える。
何度も様々な場面で遭遇することで、意味と用法はわかる。
読み方だけが、ルビをふってない限り、永遠にわからない。

あ。調べればいいんですけどね。
何度もいいますが。私、無類の面倒臭がりで。

こんな性格なので。
古典もやみくもに読みまくったら、わかるようになったかも。
ただ、まず、そこまでの興味がない。
勉強が大嫌いなので、文法を理解しない。
わからないから、ますます興味が失せる。

マンガか、現代語訳から入っていく人も多いと思いますが。
そういう性分でもないんですね。
で。「なんか面倒くさいわ」で古典は放り投げられたのです。

世界観を覗き見するのは楽しいですよ。
だから本書のような古典の紹介のエッセイなんかは面白い。
だけど、そこから原作へとのめり込んでは行かないですね。

本当は。漢文なんかも読みたいんですよ。
漢字がズラズラ並んでるの眺めてると爽快。
でも。読み下すのとか大っ嫌いでした。

待って待って待って。
本の感想からどんどん遠ざかってる!
しかも自分でも何が言いたくて書いてるかわからなくなってきた!

えーと。えーと。えーと。
つまりですね。勉強が嫌いって損だなー、と。

私は読むことがとにかく大好きなのですが。
努力ということを一切したがらないために。
現代国語しか読めないで人生が終わりかけているのです。

なんて、勿体ない!

かと言って今さら古文とか勉強しようという気は湧いてこない。
あーでもでもでも、絶対、損してる!

……ということをですね。本書を読んで実感した、わけです。

国語方式で。
わかろうがわかるまいが数だけバンバン読めば。
いつかは自然とわかってくるっていうのもあるかもですが。
で。そういう理解の仕方が私の理想なのですが。

現代語同様に長時間、古文に触れるとかは難しく。
たぶん、うんざりしちゃうでしょうね。

英語をね。この方式で勉強しようとしたんですが。
そう。ひたすら辞書を引かずに読みまくる、っていうね。
これも。一定の部分までは通用するのですが。
嫌になっちゃいますね。

「おおー。英語を英語のまま(翻訳せず)理解した!」と。
狂喜乱舞する瞬間とかはあったんですけれど。ええ。何度か。
気力が続かないのですよ……

言うても外国語やん? 単語覚えるしかないやろ。
と。単語の暗記を猛烈にやるのも、何度かやりましたが。
これも。記憶力と根気がまもなく途切れます。

なんでや。何で古典への誘いの本を読んで。
英語学習の挫折を思い出して、落ち込まなあかんのや。

うーん。うーん。うーん。

要は。古典に興味なくても本書は楽しく読めます。
古文が読めないって残念!と感じて勉強したくなるかもしれません。
やっぱり、無理無理無理!で終わるかも知れません。
あるいは現代語訳の古典に触れてみようと思うかも知れません。

私は上記にすべて当てはまったうえに。
あー。面倒くさい。やっぱいいや、古典は別に。
……というところに着地しました。

いや。ほんとうはそう言い切れるほど、ふっきれてもなく。
わからないままに原文を読むこともあるのです。
基本、わからなかろうとも原文を無理矢理読むのが性に合う。

同じ方式で。
万葉仮名も読もうとしまして(書道をやってた時代)。
ええ。昔のふにゃふにゃした筆文字ね。
これが、意外と読めるようになったんですね。

古文書をスラスラ読めたらカッコいいですが。
俳句か和歌なら読める、手紙の一部が読める、くらい。
そこからは真面目に勉強しないと進歩しないみたいで。

で。読めても、意味がよくわからん!

ああ。どうして。こんなに勉強嫌いなんだろう。
知りたいことはたくさんあって。
そのために必要な勉強はあるのだけれど。
とくにやはり、私は言語全般に興味があるのだけれど。

どれもこれも、見事に挫折。

現代の日本語さえ読めていれば。
専門家の方々が何とかしてくれるという甘えもあるかな。
翻訳してくれる人も、古文書を訳してくれる人もいますから。

ただ時々。下手糞な翻訳に激怒し。
読みたい本が翻訳されていないことに泣き。
古文がわからないがために、イライラし。
展覧会で古文書を読もうとしても飛び飛びにしか読めず。

しかも。不信感が強い&妙に勘はいいので。
訳のおかしい点には気がつくのですね。

自力で読めたらいいのに!読みたいのに!

自分の頭の悪さだか、努力嫌いだか、短気だか、
なんだかわかんないけど、勉強ができないことが哀しいです。

まぁ。頭が悪いから本が読めるのかもしれません。
うん。賢い人は私みたいな本の読み方はしないでしょう。
そのことは哀しくありません。

そうか。私が本をやたら読む原動力のひとつは。
自分の頭の悪さに対する絶望の反動……?
(もちろん、単に読書が好きなのが一番ですが)

以下、付箋を貼ってあったところを写しました。

<あたしはこう思う>という意見を、ひとりひとりが持つことも、その国の文化度を示すバロメーターになると思うのだけど、その意味では、日本はまだ底が浅いと思うんです。
 現状ばかりでなく、歴史上の人物に対しても一家言あるとか、家庭とか子供に対しても、はっきりした考えを持つというのが、文化じゃないかしら。———もっとも、日本語の雰囲気には、はっきりものを言うのを避けるというところがあるから……それはそれで、とても暖かい日だまりのような文化なのだけど……そういう民衆的な言語感覚がもたらすものかも知れませんけどね。

 私は、ほんと、フリルのあるデザイン、好きなの。でも、おもしろいものでフリルって、そのときの気分で合うときと合わないときがありますね。おちこんで、メゲたりネクラになったりしてるときは、フリルが浮いてる感じで、フリルばかりがひとりでハシャいでいる(笑)。ぜんぜん気持ちが添っていかないのね。
 そういうときは、きっと着てても似合わないんだろうと思いますね。
 着るもとか、髪のかたちなんかも、心ざまに添ってるかどうかって大切みたい。

 本当は本もためないほうがいいと思う。吉村昭さんが、仕事が完成したおと、そのために集めた資料をすぐ古本屋に売られるという話をきいて、いいなと思いました。次にまた必要な人が見つけて使えますものね。
 私も、マメに動ければ図書館などを活用したいのですが、それがしにくいので、つい買いこむのだけど、死んだら、すぐ古本屋に出してといっているの。

 はじめて行く町なんかだと、町の歴史など知りたいほうなので、そのあたりの、維新のときのお殿さまの名前とか、勤皇派だったか佐幕だったかなんて、あらかじめ、ちょっと調べていったりします。そんなちょっとしたことでも、旅のおもむきが違ってきます。

 何年もかけて———一生かけてでしょうけど———すてきな好きな町を沢山つくって、その町に仲のよいお友だちができてね、<来たわよ>って電話したら<じゃ飲みに行きましょ>って、その町の人しか知らない穴場のお店なんかに行ったり……そんな場所が日本中のあちこちにできたら嬉しいなと思うの。旅についての、私の夢ですね。外国にもそんなとこができればいいなあ。

『伊勢物語』は<もうちょっと言い足してくれたら……>というところで、完結にさっと描写して終わる。そこのところが好きですね。
 その行間をこちらが読みとっていくのが面白い。しゃぶっていると、いくらでも味が出てくる(笑)。自分の人生のキャリアに応じて、いろんな読みとり方ができる。奥深い本だと思います。

<もののあわれ>は一貫して『平家物語』のなかをながれ、物語の最後は、「それよりしてこそ、平家の子孫はながく絶えにけれ」と、ふっと灯が消えるように幕を閉じます。
 ね、『平家物語』にあらわれる男って<いい男>が多いでしょ(笑)。——<いい男>というのは、なんというのかなぁ……その人に、華がある、というか、そんなふうに感じさせる人ね。
 その人のまわりにいると、なにか良い事がありそうに思えて(笑)、そばにいるだけで高揚感を味わえるような人……男にも女にもいますね。

 それから、愛嬌がある気配というのも、いいものです。見ず知らずの人であっても、ふっと感じる気配が、なんというか、物言われたそうにしている(笑)、こういうのはカサ高くない。
 私にとって<カサ高い男>っていうのは<いい男>じゃないですね。いくら立派で、美男で、本人がイキがっても、カサ高い人は、それだけでももうだめですねえ(笑)。
 <カサ高い>というのは、そうね、かわい気がないってニュアンスかなあ……かまえてるというか、ね。なんかこう、場所をふさいで、うっとうしいような。……いやいや、体の大きさと関係ありません。小柄な人でも、カサ高いと場をふさぐ(笑)。こういうのって、なんとなく肌で感じるものなんですね。

古典と関係ない話がけっこうありますね。

(2018.3.28)
さて。この記事について言い訳を。
3月に読んだ本の感想を9月になって書こうとしたものですから。
内容はまったく覚えておらず。かと言ってまた読むのも癪で。
何とかむりやり感想を書こうとした結果の大惨事です。
本人は呑気に「やっぱり英語の勉強だけはしようかな」とか。
ぜんぜん関係ないところに意識を飛ばしております。
何を読むかも大事だけど。「どう読むか」だよなぁ、やっぱり。
古典が面白いというより、聖子さんの読み方が面白い。
私、『平家物語』に何の魅力も感じていなかったのですが。
この本を読んで、読んでみたくなりました。
「読み上手」な人って素敵だな。見習いたいです。

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2018.09.28 21:47 | | # [edit]
どうぞどうぞ、気兼ねなく、こっそり遊びに来て下さい。
読んで下さってると教えて下さってありがとうございます。
嬉しくて、思わず、ぴょんと跳ねました。

鍵コメさまの読み間違い、なんだか可愛らしい響きですね。
それに、「目年増」って名言! 
私だけじゃないと知って、安心しました。

聞く言葉より見る言葉の方が多いからなんでしょうか。
気付いてない「読み間違い」、まだありそうな気がします。
2018.09.29 12:55 | URL | 彩月氷香 #- [edit]


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  • 『古典の森へ』  田辺聖子 工藤直子
  • 2018年09月27日 (木)

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