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『私の猫たち許してほしい』佐野洋子

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ちくま文庫
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感性の鋭さ、その肉厚さ。

感性の鈍い人が。
そもそも文章なんて書くわけない。
いや違う、書いても読むに足るものになるわけない。

だから。エッセイを読むということは。
書き手の感性の鋭さを鑑賞する会を開くようなもの。
ま、参加者は読者ひとりですけれども。

エッセイの面白さは。
羨望と悔しさと驚きと呆れと笑いと怖さから出来ている。

他人の鋭敏過ぎる感性というものは。
面白がる前に、どこか恐ろしい。

同じものを見て。
何も感じてなかった自分に気付かされたりして。
我が感性の鈍さに茫然としたりする。

鋭過ぎる感性の不幸に他人事ながらゾッとしたりもする。

で。内心小さくつぶやく。
「信じないぞ!」と。

そうよ。多少の演技力ってものが。
文章には必要だったりして。
なんでも素直に受け止めちゃ、いけない。

作為を全否定はしないけれど。
上滑ってるのは、ふん、と笑ってやるのだ。

感傷的過ぎるのと。滑稽味が過ぎるのと。
この二つの「演技過剰」はとても鼻につく。

エッセイの名手と言われる書き手は。
按配が上手いのだ。やり過ぎない。
演出も優れていて、演技も自然。

まぁ。舞台のお芝居のことを思ってみれば。
大げさだから「ウソだ!」ってものでもない。
お約束事に則って、型にはまりつつ自由な文章もある。

佐野洋子は究極の怖さだ。
規格外。
正直、ちょっと判断がつきかねる。

素直に思うままを書いているように見える。
たぶん。ウソじゃない、演技じゃない。
でも、黒いぞ。読後に残るどす黒い印象が強いぞ。

自己欺瞞を激しく憎む私ではあるけれど。
だからって自分にそれがないというつもりはない。

佐野洋子のエッセイを読んでいると。
なぜだか。自分自身の「感性」と捉えているものが。
きれいに洗濯済み、みたいな気がしてくる。

ええ。絶対に偽ってはないのですけれどもね。
他人様(そこに未来の自分自身も含まれる)の目に触れるなら。
ま、手入れはしなきゃねぇ……って感じ?

うん。漂白はしていない。磨いてもいない。
でもねでもねでもね。
ざっと軽く汚れは落としてあるのよ。

いやいやいや。だってね。それってマナーでしょ。
泥だらけ、傷だらけ、血を流してるままって怖いでしょ。
誰もそんなもの、みたくないでしょ。ホラーでしょ。

佐野洋子は。洗ってない感じだ。
たぶん。絶対、そうではないのだ。
洗ってないように見せる「技」なのだ。

洗うと消えてしまうものが。
ちゃんと。彼女の文章からは見えてくる。
でも当然、掘り出したまま出されているわけじゃない。

ふつう、再現できないものを。
彼女は再生できてしまうのだと思う。

感性の鋭さの種類が「肉厚」だ。
「感性」=「鋭い」とすぐ言葉が浮かんでくるように。
感性って、あまり厚みを感じる存在ではないのだけれど。

佐野洋子の場合は、どうも違う。

佐野洋子的な「感覚」は。
凡人は「持っていない」と言うだろう。
もしくは「持っているけど」直視していない。

自分の中にあると認めたくないもの。
言葉にすると単純化し過ぎになるけれど。
敢えてそれでも言うとするならば。
「腹黒さ」「我儘」と言い表せてしまうであろうもの。

「正直」になれば、書き表せるものかと言えば。
まぁ絶対にそんなにシンプルなものではない。

私も、「私」が強い人(良くも悪くも)と自覚があるが。
佐野洋子さんの「私」ぶりと比べると、巨人と蟻の違いだと思う。

私は環境に「染まれる」人間だと考えている(他人は否定するかも)。
佐野洋子はどこまでもしっかりと「自分」を保ち続ける。
何もそこまで、というくらいの「自分」の強さだ。

そうだなぁ……。
これは羨ましいのか。可哀想なのか。いやどちらと言っても失礼か。

「誰が何と言おうと私は」……この感覚が生来強い、ということは。
まぁ、あまり。幸せに生きるのにプラスにはならない。

私の場合は、なので。表立って主張はしない。
でも、心の中ではしつこく持ち続けている。
心にあるものって、隠せはしないのですよね・・・

なので。私が周囲の人からどう見えるかと言うと。
良くて「浮いている」、平均的には「頑固」、悪くて「反抗的」。

そして、それら全ての印象がソンであると学んだ以後は。
「あまり打ち解けない」くらいに留まる外面をまとっている。

共感は実はしていないけれど。
共感力に近いものを自動的に発動させて。
「人当たりがいい」「優しい」と評されているくらいだ。

佐野洋子さんだって。お会いしたら。もしかしたら。
優しい、感じのいい人なのかもしれない(存じ上げません)。

あ。で。何が言いたいんだっけか。
やっぱり。このように書けるって凄いと読みながら感心する。
面白いけれど、お腹の底から涌き上がってくる恐怖もある。

悔しさはないわけがないのだけれど。
「負けました」という前に、この人に勝ちたくない。
(あ、そもそも勝てないというところは考えないでおこう)

だって。しんどいもの。しんどすぎるもの。
もっと楽をして生きたいよ。

違うかもしれないけれど。
佐野洋子自身が書いている「最後まで、自分を言いつのる性質」は。
人間社会においては、本人にも周囲にもかなりな負担になるもので。
たいていの人は、持っていても押し殺してしまうのだと思う。

だけど。真のモノ作りをする人は、
絶対に絶対に絶対に失ってはいけないものなのだ。

いや、失いたくても失えなかった人が。
自分を言いつのるために何かを作り始めるのだろう。

うん。失った方が幸せだと思うよ。
そんなにナニを言いたいの?って思うよ。

でも。言いたいものをもっている人が作った作品は。
必ず、輝いている。それに触れる人の心に強く響く。

言いたいものがあることを。
忘れてしまった、忘れたくないけれど忘れたことにした。
忘れないと生きるのに支障があって無理矢理忘れた。

そういう人が、たぶん、それを見て涙する。
(泣かずに笑う場合も怒る場合もある)

風刺とか、ユーモアですませられなくて。
佐野洋子さんの言葉は私には「怖い」。

自分の中の何かが騒ぐような。
何かが脅かされるような。
寝た子を起こされるような。

やだやだ。静かにしてったら!

(2018.5.5)
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  • 2019年04月09日 (火)

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