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『火花』又吉直樹

4163902309
文藝春秋
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今更だけど、読んでみた。

芥川賞受賞作は、読んだり読まなかったり。
読まない方が確実に多い。
なんとなく、避けてしまうのだ。

理由は、そこそこはっきりしている。
たぶん。大抵の場合。読んだら怒りが湧くからだ。
「何でこれが芥川賞なの!」と。

芥川賞を神聖化しなければいいだけのことで。
恒例行事というか、文学界のイベントというか。
軽く流して、面白がってればいいんだと思う。

というよりも、読まない方が安心だ。

又吉(親しみをこめて呼び捨て)は嫌いではない。
積極的に好きまでもいかないけれど。
とにかく死ぬほど太宰が好きな人と記憶されている。

実は私が苦手な作家トップ3に入るのが太宰治。
あと、志賀直哉がダメですね。それからヘミングウェイ。

なぜと聞かないでください。
本に関しては好き嫌いはそんなに無いつもりなので。
嫌いって言い切るのは余程のことなのだけど。
理由なんてあるだろうけど、簡単に説明できません。

ほぼ生理的なものだとしか言えない。
よくわからないけど受け付けないもの、ってあるでしょう。

言い訳するようだけど。
嫌いっていうのはある意味、その対象を理解してると思う。
わかってないから嫌いって言える!とファンは言うかもだけど。
「嫌い」という感覚は意外と鋭く本質を察知している結果なのだ。

で。嫌いなのは、自分に繋がる部分もあるからだとも思っている。

あとは一見、似たり寄ったりなAとBのうち。
Aは大好きで、Bは大嫌いとかも私はあり得る。

「Aが好きなら当然Bも好きじゃないの?」って言われるが。
似ているからこそ、AとBの違いは大きい(と私は思う)。
似ていても一番肝腎なところが違う(と私は思う)。

「私は思う」と付け加えたのは、その違いを感じるかどうかは。
私の個性だか資質だか好みだかであって。万人共通ではないから。
私の言う「いちばん大切」も他人には何それ?なことかもしれない。

だいたい、その「大切なこと」を説明できないところが弱い。
「読めばわかる!」で終わらせたくなるのだ。

さて。本題である筈の本の感想に入る前にかなり脱線しました。
この本の感想も「読めばわかるでしょ」で終わらせましょう。

うそですよ。
書きますよ。感想。書きますけど・・・・

(以下、むやみやたらと長いので暇のある人だけどうぞ)

まず。なぜ読もうと思ったかから始めましょう。
たまたまですね。我が家で購読しているのが毎日新聞で。
今月(2018年10月)から連載が始まったんです、又吉氏の小説の。

せっかくだからと読んでみました。期待はしていません。
で。一読。「わ、わ、わわっ。下手!」
「下手」という語が頭に浮かんだ時、「いかん」と焦った。

私、過去にある作家の文章が下手と書いて事故ったことがあり。
文章が下手な作品に出会うのが恐怖なのですよ。

素直に下手と思ったら下手と書きたい。
ただ、それに誰彼なく同意して欲しいわけではないし。
作者を誹謗中傷したいわけでもない。

それでも。下手と言われれば、傷つきますよね。
まさか当人の目に入るとは思わず書いたのですが。
ツイッターで拡散され、作者のファンや友人から攻撃されました。

自分の書いたことに責任を持て、ってことですよね。
拡散されたとは言え。ツイッターに記事告知をしたのは私。
エゴサーチが頻繁に行われていることは承知しているべきでした。

その時。一大決心をして。今だから笑って明かしますが。
「もう今後、存命の日本人の作家の本は一切読まない」って。
あ。守ってないですよ。すぐにね、そんな決心崩れましたよ。
でも。そのくらい、ショックな事件でした。

おかしいでしょ。発想が。
読まないんじゃなくて。感想書くのをやめればいいのにね。
批判的(のつもりはないけれどそう取られる)な感想は隠すとか。
良いと思った本の感想だけ記事にすればと忠告もされました。

だけど。私は未来の私を読者として想定してるので。
嘘は書きたくないし、書いたり書かなかったりも厭で。
主張というよりも、自分の読書の記録のつもりなので。
(そう、「本を読んで思ったこと感じたこと考えたこと」の)

ツイッターで記事告知することをやめ。
それだけが原因ではないけれどツイッターもやめ。
まぁ、今なら。人気作家の文章が下手と書いたところで。
誰の目にとまることもないだろうとも思いますが。

「下手」という語が浮かんだだけで。ギョッとしました。
悪夢甦る、です。だって思ったら私、書かずにいられない。

追いつめられた私、名案が浮かびました。
(ただの気の迷いとも言います)
もしかしたら「下手」と思ったのは勘違いでは?
それを証明するために、じっくり一冊、読んでみたら?

待ってください。いよいよ、おかしいです。
夕刊で読んだ連載の断片だったら。無視したらいいんです。
本を読んじゃったら。ここに感想を書かなきゃならんでしょ。

でも。私。「下手」という語にうろたえる自分が面白くて。
どんな時、どんなものを私は「下手」と感じるかということを。
じっくりと調べてみたくなったのです。

というのも。私はそうしょっちゅう「下手」と思うわけではなく。
大抵は「ああ、素晴らしい・・・」とうっとりと読み。
イマイチだとしても「そんなに上手くはないな」で留まります。

「下手!うわぁーへたヘタ下手!」の怒号が脳内を響き渡るのは。
ふりかえってみると、読んでいて、つんのめってしまう時。

言葉の使い方に違和感があって、ちょくちょくフリーズする。
頻繁に立ち止まるために、内容が頭に入ってこない。
こういう場合に私は「下手!」と絶叫するようです。

物語世界に没頭できないことに腹が立つんですね。
あくまでも私は作品には肯定的な立場ですから。
その世界になるべく身を捨てて投じるつもりでいるのです。

ま。文章のクセって誰もありますから。
それが自分の感覚に合わないと読みにくいってのもあるでしょ。
実はそういう問題で。「下手」はそもそも言葉の選択ミス?
・・・とか、考え直してみたりもしたんですが。

年に200冊以上読書する生活をウン十年やってますから。
そういうクセにも沿って行ける読書技術はありますよ。

私の読書技法のその1は。
「どんなに気が乗らずに読みにくかろうと50頁までは読む」
そのくらいまで読めば慣れて、作者の世界観に入っていけます。

ところが、稀に。
一行に三回くらいの勢いでズッコケる文章に出会います。
表現が独特と言えば聞こえはいいですが。
言葉の使い方が不自由で、不自然で、流れに乗れない。

ま。そろそろ。本書の内容の話をしましょう。
今更、自分の「下手発言」を恐れても仕方ない。
そんなに影響力があると自惚れるなって見方もできるし。

そうだな。それに。
トラウマになってる過去の事件も視点を改めれば。
作者に突き刺さるだけのことを言えた自分って凄いかも。
(あ。結局、自己肯定するんかい!)

では。さっくり実例を挙げちゃいましょう。
果てしなくあるんですけれど。
私がコケた箇所のうちで、比較的マシな部分を。

熱海は山が海を囲み、自然との距離が近い地形である。そこに人間が生み出した物の中では傑出した壮大さと美しさを持つ花火である。このような万事整った環境になぜ僕達は呼ばれたのだろうかと、根源的な疑問が頭をもたげる。山々に反響する花火の音に自分の声を掻き消され、矮小な自分に落胆していたのだけど、僕が絶望するまで追い詰められなかったのは、自然や花火に圧倒的な敬意を抱いていたからという、なんとも平凡な理由によるものだった。

これ、読んでも皆様は大丈夫ですか?
私は何度もコケました。えー。では私の脳内実況。

熱海は、山が海を囲んでいるのはわかった。
山が海を囲むと「自然との距離が近い」のか?

傑出した壮大さ?
この場面で花火見て、思うか、それ?
(思ったんだろうけど・・・)

万事整った環境?
自然と花火がコラボしてるから?
雑多な人混みとかゴミとか屋台も「整ってる」の?
万事て、ナニを差すの?

それって「根源的な疑問?」
芸人がなぜ呼ばれたかってそんな深い疑問?

「矮小な自分に落胆」・・・・えっと。
矮小な自分と落胆のところがスムーズにつながらん。
声を掻き消されたから矮小で、だから落胆、なん?

「絶望して追い詰められる」のはあるけど、
「絶望に追い詰められる」って。
「絶望」って場所があるん? どこ?どこ?

自然や花火に敬意って払います?
払ってもいいけど「圧倒的???」
ていうか、自然と花火がそもそも同列なんですか?
で、自然と花火に圧倒的敬意を払うって「平凡」なこと?

さて。この文章の一連の流れを言い換えますと。
こんな感じでいいんでしょうか。

花火が凄くて。自然も凄くて。
それに比べて自分はちっぽけで。でも花火は凄くて。
花火と自然と自分を比べて落胆したけど。
花火と自然が圧倒的な敬意を払わせてくれたから絶望せず。
でも、そういう自分って何とも平凡だよねって自嘲。

わからないとは・・・言いませんけど・・・
他に書きようがありません? 大仰な割に伝わって来ない。
僕の心情も、花火の美しさも。

ていうか。絶対「美しい」とは書くまいとしてるね。
でもさ。この場合は、ぶっちゃけ。

「落ち込んじゃったけど、花火はやっぱりきれい」で済むでしょ。
それだけのことでしょ。いや、そう書けとは言いませんよ。

花火だけでなく、自然にも圧倒されたんですよね?
なら、読者にも圧倒される自然の情景が伝わって来なきゃだめでしょ。
自然、ってそもそもなんだよ。「山と海が近い」で察しろってか?

ここだけならまぁ、なんとか堪えますが。
この調子が続くと、読むのも忍耐との闘いになってきます。
ていうか。これ、ワザとかな?そうだ、ワザとだな?
笑わせようとしてるわけね? ギャグなのね?

「圧倒的」という形容はその語もバンバン登場して。
あ、これ。又吉さんの口癖なんだ・・・と了解しました。
私にとってはかなりの違和感がありますが。
著者本人にとってその表現がピタッと来るのであれば仕方ない。

だれにだってありますよ。
村上春樹の「やれやれ」だって独特ですもの(好きなフレーズだけど)。
又吉さんの本をまた読むことがあれば「圧倒的」の数を数えてみます。

茶化しましたけど・・・
そして、改めて読めばヘタ下手言っても可哀想かと思えても来ますが。

正直、これってあまり考えて書いてないというか。
語彙が貧弱過ぎて、紋切り型の定型文の継ぎはぎでしかないというか。
結果、果てしなく大げさというか。その上、しっくり来てないというか。
(「圧倒的に」に対抗して「果てしなく」を使ってみました)

このズレた感じが「狙い」なのか。
著者の敬愛する太宰治ってこんな風な文章書きましたっけ?
いや・・・太宰は嫌いだけど、文章は上手かったはず。

そっか。でも「道化」を演じる調子って失敗するとこうなるの?
自虐気味の笑いにも上手く昇華できてはないと思いますけども。

うん。下手だね。やっぱり。私はそう感じる。
伝えたいことを表現する時の言葉選びが相当甘いと思う。

こうして見ると。
普段、内心ちょっとな、と感じてる人気作家とかでも。
十分、文章は「書けてる」ということがわかります。
あと、歴代の芥川賞作家も(読んでコケたことはない)。

まぁね。デビュー作ですからね。
でも、現在の連載も読んでて、度々フリーズしますけど・・・

はい。じゃあ。本書を読んで私は怒ったか。
「こんなもんが芥川賞か!!!」と。
(過去に怒り狂って記事書いたことあります)

いえいえ。つんのめって、「う」と唸りつつ、堪えて読めば。
著者の言いたいこと、書きたいことはちゃんと見えて来て。
人物の描写や会話なんかは割とスムーズに読めました。

私。お笑いが好きってことは全然なくて。
最近の芸人さんを見ると「何がおもろいんやろ」って思う。
じゃあ昔の人ならいいのか?というとそれも場合による。

全体に「うるさいな」って印象が先に来ちゃって。
弟に付き合って、M-1グランプリとか見てもあまり笑えない。
時々、面白いと思うこともなくはない、くらい。

ただ。お笑い芸人さんはね。憎めない。
あ、関西のローカル番組には彼らがやたら登場するのです。
あまり売れてない人ね。若手や売れないまま中堅になったような。

で。しんどそうなロケばっかりやらされている。
そこで笑えないギャグを絶え間なく飛ばしている。
滑りまくりながら、ボケツッコミを連発し続けている。
なんかね。笑えなければ笑えないほど健気な感じする。

ふざけ倒すことに必死な芸人魂には泣かされる。
本書の「僕」の師匠の神谷さん、いいですね。
二人の会話のところは果てしなく馬鹿馬鹿しくて好き。
読んでいてズッコケることもなかった。

きっと。モデル、いるんだろうな。
漫才に関する場面の描写は経験者ならではの臨場感がある。
描写が達者とは言えませんが。コケはしない。

主人公の心情吐露がいかんのだな。
うーん。それをそういう言葉を使って言うのか、と。
ストレートかつ大げさかつ青臭くて、恥ずかしい。

あ。それ・・・太宰治的かもしれないわ。
高校生の時に5冊くらい読んだだけだからなぁ。
読み返して確認してみない限り迂闊なことは言えないけれど。
(それに太宰が文章が下手ではないと思う)

自虐的というところはね。欠点でもない。こんな表現は好き。
よく読むと、はぁ・・・何いってんだかという無意味さだけど。
又吉さん本人っぽい印象でなんか好感が持てる。

僕はただ不器用なだけで、その不器用さえも売り物に出来ない程の単なる不器用に過ぎなかった。

あと。青臭かろうとも、以下の台詞は好きかな。
芸事に対しての真摯さがあるよね。すごく共感できる。

「平凡かどうかだけで判断すると、非凡アピール大会になり下がってしまわへんか? ほんで、反対に新しいものを洟から否定すると、技術アピールになり下がってしまわへんか? ほんで両方を上手く混ぜてるものだけをよしとするとバランス大会になり下がってしまわへんか?」

後半。段々面白くなってきて。
最後の場面なんかはいい。笑い泣きを誘われた。
やり過ぎやけどね。その感じがお笑いっぽいと思う。

この作品はどう考えても「下手」だけど(まだ言うか)。
しかも、かなりとんでもないレベルの下手さだけど。
上手くて心に何も響かない作品よりはちょっとだけ好きだ。

ごめんやけど。本を買ってまでもは読まないけど。
夕刊の連載やったら、このまま続きを読んでみるよ。

たぶん、この人、もう上手くはならないけどね。
なんか憎めないから・・・まぁ頑張って。

そういうアンタ、まともな文章書けるんか?と言わんとって。
書けようが書けまいが、読んで感じた気持ちは書くよ。
ずっとそうしてきたし、これからもそうする。

下手と叩かれようとも、それでお金貰ってるんだから。
そんなのにメゲズに書くしかないでしょ、作家も。

「私が間違ってました」と私に頭を下げさせるくらいの。
傑作をどうぞ、これから書けるなら書いてください。

売れずに消えていったたくさんの芸人さんの汗と涙は。
凡人の心を揺らすきらめきを小さいながらも湛えている。
それこそ、平凡だけど。その光が書くに値しないとは思わない。

(2018.9.15)
何がいいたいんじゃー!という長文を久しぶりに書いてみた。
最後まで読まずにうんざりして投げ出した人が大半でしょうか。
ここまで到達した読者さま、お疲れ様でした。
読んで下さってありがとう。心からお礼申し上げます。

これでも半分以下に削っていて。元はもっと長いのです。
不遜にも、ここに「私は違いがわかるオンナ」という主張が加わり。
物事の「良し悪し」を感知するレーダーは生来の物か後天的な物か。
はたまた、そんな判断基準があるというのがとんでもない思い違いか。
そもそも「良し悪し」と「好き嫌い」は違うと言い切れるのか。

・・・とか言う屁理屈をですね、延々と書き連ねておりました。
段々。自分でも自分の主張に付き合い切れなくて投げ出したんですが。

それに。「書評」でなく「読書感想」と言い張るにしても。
脱線の範囲はある程度はセーブしておかなきゃと自戒しまして。

今回は「私にとって下手とはどのようなものか」を。
ちょっと追求してみました。それならまだ感想の範疇でしょう。
5年に一度程しかない「脳が下手と叫ぶ」作品に出会ったのですから。
掘り下げて観察することは果てしなく重要(私にとっては)。

あ。「果てしなく」の連呼にお気づきでしょうか。悪意がありますね。
それは認めつつ。又吉氏の「圧倒的」の連呼も。もしかしたら。
文章全体の完成度が高ければ、チャームポイントになったんじゃないかと。

うん。それは嫌味じゃないですよ。果てしなく本心。
ちなみに、この記事に登場する「果てしなく」のごとく、
「火花」という作品には「圧倒的」が登場します。

一例として、ひとつ引用。

誰もが圧倒的な花火を引き摺っていた。

では、この辺で。

関連記事

こんばんは
コメントするのは久々です。

最初の苦手というか生理的なもの。。。のところから始まり
読んでいて激しく頷きながら共感してました。

「食べず嫌い」のように「読まず嫌い」なだけだと私自身思っていたんですが
「火花」ダメな類でした。
2018.09.20 19:14 | URL | t0m0 #JyN/eAqk [edit]
お久しぶりです! コメント嬉しいです。

『火花』ダメなのが本当なんじゃないかと思います。
私、ちょっと半端じゃなく弱っている時期に読みまして。
自分がダメ過ぎて、他人に厳しくなれなかったのかな、と。

うん。ダメダメダメーって絶叫しても良かった気がする。
少し、優しくなってるんです、一時的に、たぶん。
でも。夕刊の方も読めばよむほど。ひどい文章です。
下手以前に・・・ところどころ日本語になってない。


t0m0さまみたいな意見を聞けると。
こうして書いて良かったなぁって。ありがとうございます。
2018.09.21 18:08 | URL | 彩月氷香 #- [edit]


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