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お礼とお詫びと思い出と未来。

先日の。父の訃報記事に。
お悔やみの言葉、ありがとうございます。

ほんとうは個別にお返事すべきなのですが。
ここで、お声かけてくださった皆様にお礼申し上げます。

経験した人ならば、ご存知かと思いますが。
世帯主を予測もなく突然に失った家庭は。
兎にも角にも、手続きが山のようにあります。

私の忌引きは5日しかなくて。
(それでもあるだけで有難い世の中とも思いますが)
その間に、通夜とお葬式と最低限の事務手続きをして。

仕事に復帰してからも。
暇さえあれば、電話、電話、電話。
夜も朝も、書類、書類、書類。

休日は市役所。
これがうまく一度で済まず、もう5回は行きました。

あとは。
父がしてくれていた家事と買い物。
母ができないわけではないのですが。
そして、もちろん、人並み以上にしてくれているのですが。

母は足が悪いので。
無理をさせてはいけないのです。
だから父がいつも車の運転をして母と買い物へ行っていました。

私。ペーパードライバーではないのですが。
車の運転はどちらかというと苦手。
そんなこと言ってられなくて。
ここ半月、今までになく車のハンドルを握りました。

まぁ。この歳でも。乗れば慣れるものですね。
狭過ぎてイヤと敬遠していた道や駐車場も平気になりました。

つくづくと。
父に。ずっと甘えていたんだな、私。

ホントは私が運転して、父を乗せてあげなきゃいけなかったのに。
母だけでなく、私もよく送ってくれたり向かえに来てくれて。

ゴミ捨てと、掃除機かけと、新聞を取りに行くのと。
あと、お風呂洗いもよく、やってくれていた。
書類が必要な手続きは皆、コツコツとしてくれていた。

洗濯物を干したり、取り込んだりも。
とにかく、家族のために何かすることを優先していた。
嫌な顔をしたことが一度もない。

母が今日は自分で歩いて買い物へ行く、と言うと。
じゃあ、迎えに行く、と。
時間をおいて、自転車か車で迎えに行っていた。

毎朝、必ず、コーヒーを私の分も淹れてくれた。
私が予定より早く出掛けるような日は。
「コーヒー今から淹れるけれど、飲む時間ある?」と確認してくれた。
私の外出に合わせて、早めにコーヒーを淹れてくれたりした。

私と母が出かけて父だけ留守番の日も時々あったけれど。
そんな時は、いつもレンジでチンするチャーハンを食べていた。
それが不満というのでもなくて。ニコニコと笑顔で。
「じゃあ、おとうさん、あれ食べとく」といつも言っていた。

一人で家でのんびりしてるのも好きだったと思う。
何かをしなきゃとか、何かをしたいとか、何かが欲しいとか。
自分を縛る義務や欲が、驚くほど無い人だった。

そこが、物足りないなぁって私は感じていた。
不思議だなぁ、理解できないなぁとも思っていた。

ただ。訃報を知らせた父の友人が言ってくださったように。
「いつも幸せそう」だった、のが父という人で。
何も特別なことがなくても、普通の毎日を幸せに過ごせる人だった。

競馬と数独が好きだった。テレビでのスポーツ観戦も。
煙草も好きで、少しずつ減らしてはいたけれど。
禁煙なんて、ただの一度もしたことがなかった。
コーヒーは毎日、必ず朝、自分で淹れて飲んだ。
その時、絶対、柿ピーを小皿に出して添えてつまんでいた。

新しいことは特に好きではなくて。
いつもと同じ、がいいという人だった。
決まったペース、決まった銘柄。
それも、とてもとても平凡なものが好きで。

焼酎は、いいちこ。
ビールは、キリンビール(のちにアサヒに変わる)。
煙草はマイルドセブン。
コーヒーも普通のブレンド。
柿ピーは、亀田のノーマルなやつ。

ささやかな人生を、ささやかに、楽しんで生きていた。
誰にでも好かれる・・・というよりも。
なぜか、オバちゃんに異様に親しまれる人だった。

とにかく、優しい人だった。

でも。短気だったんだ。
皆が「穏やかで優しい」と言い、それはまちがいないのだけれど。
すごくすごく、短気な人だったんだ。

私はそれを知っている。自分もそうだったから。
家族も、もちろん気づいてる。
よその人は想像したこともないと思うけれど。

なんだっけ。私、何を言いたかったんだっけ。
父の自慢? 父の思い出? 父を喪った悲しみ?

父がいなくなって生じる「忙しさ」を言おうとしていたんだ。
そして。それは。その忙しさの意味するものは。

父が今まで私に与えてくれていた時間を表すものなんだ、って。
父が。なんでもしていてくれたから。
私には、自由な時間があったんだ、たっぷり。

なのに。時間がない、時間が足りないって。
そんな、愚かな言葉を平気で発していた。

悔やんでも。悔やんでも。泣いても泣いても。
私が、父から贈られた時間のお礼をすることはできない。

お父さん、ありがとう。お父さん、ごめんなさい。

こんな長い記事を書いておいて。信憑性は薄いかもしれませんが。
まだまだ、私はブログを再開できる状態ではありません。
気持ちの面でも。時間の面でも。体力的にも。

というよりも。
ブログを辞めることも。また考え始めています。
今までも。何度も何度も。辞めかけては続けてきましたが。
今度が多分、一番本気で辞める気持ちに傾いています。

それでも。
書き溜めた感想がそこそこな分量あるので。
それは順次、投稿していこうと考えています。

それに。
今年はどのみち、そう多く本を読むことはなさそうですから。
もしかしたら、ポツリポツリと感想を書き始めるかもしれません。

辞めるとしても。
緩やかに。終わりに向かって歩いていく感じになるのでしょう。

私の性格上。結局は辞めない可能性はかなり高い気もします。
今は。どちらとも答えは出せません。出しません。

もっともっと大きな問題が控えているから。
それが。どう決着するかによるのだと思います。

では。またしばらく留守にします。
様子を見に来てくださっている方(いらっしゃるのかな?)、
ごめんなさい。そして、ありがとうございます。

父がいない生活を。生活として成り立たせるために。
私は今、精一杯、頑張っています。
頑張らなくていい、頑張りすぎ、と心配してくれる人もいるけれど。
やっぱり、私は頑張りたいのです。

母も頑張っている。頑張っていないと言いながら頑張っている。
力を抜かなきゃいけないけれど。
力を抜くことにも頑張ってしまっている。

それも。まだ仕方ない。
時間はかかります。当たり前だ。
だって。お父さんがいなくなっちゃったんだもの。
ずっとずっと、私たちを支え続けてくれた人が消えたんだもの。
父の不在を埋めることなんて絶対にできっこないんだもの。

そのことを自覚した上で、頑張るけど無理はせずに。
私がいちばん私らしく生きていける暮らしを。
これから造っていきたいと思っています。

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本来であればお悔やみを述べなくてはならないのに述べそびねた感じになってしまいました。すみません。
改めてお悔やみ申し上げます。

今までも何度となくお父さまのお話がブログ上にあって、朝コーヒーを入れてくれるとか、以前にも書かれてましたよね。
「こんなお父さんいるんだー」と羨ましく思ってました。
今回のお話も読んでてただただ羨ましい限りです。
彩月さんにとっては普通の日常のひとコマかもしれませんが、素敵なお父さんでしたね。
亡くなり方もそのような人だからこそだったかと。
苦しまず、ただ急で驚きましたし、家族からすると「ひどい」とか「なんで?」と思われるかもしれませんね。

私の父は今、認知症真っ最中で、母が面倒を見てます。
妹が自宅にいるので、運転が必要な場合は妹がしてますし、
休日であれば私もたまに行きます。
そういう風になった父を見るのもイヤですが、生きているだけで
いいのかどうなのか。考えてしまいます。

ブログに関しては一生続けるものでもないと思いますし、
彩月さんの考えたとおりでいいんじゃないかなと思ってます。
2019.02.04 08:50 | URL | igaiga #JyN/eAqk [edit]
ありがとうございます。
そもそも、父の死を公表する必要もなかったかと思うくらいで。
お悔やみなんて、気を遣わなくていいんですよ。

本当に。優しくて。真面目で。人が羨む父でした。
よく、「いいお父さんねぇ」って言われました。
困ったところや、ワケのわかんないとこもありましたけど。

介護の大変さはあちらこちらで耳にしますし。
いつかそういう日が来ることも覚悟はしていました。
父がいつまでも元気で優しいことを期待してはいませんでした。

でも。もし。娘のこともわからなくなったり。暴言を吐いたり。
そんな風に人が変わった父を見ることになったら。
言葉にならないくらい辛かったと思います。

だから。良かったね。いい亡くなり方だったね、って。
そう言う人も何人もいて。そのことを否定までは出来ませんが。

今回の亡くなり方が、ひどい、というのはちょっと違います。
父は。このように亡くなることを自ら選んだと思います。
昨年の人間ドックで、心筋梗塞の可能性の診断が出ていました。
というよりも、とにかく、このまま放置してはいけないような、
たくさんの危険な兆候について書かれていました。

それを、父は私たちに言わず、隠していました。
死後に、警察に人間ドックか健康診断の結果を見せろと要求され、
探し回った時に、その診断書が出てきました。

病院へ行き。治療をしていれば。まだ父は生きていたと思います。
ただ。父は自分が病人になりたくはなかったのだと。
病弱な家族の中でただ一人、元気な人、という立場でいたかったのだと。

それは優しさでもあり、わがままでもあったかもしれません。
私と母に、自分を介護させるようなことはできない、しない、と。
そう強く決めていたのでしょう。

それは父を美化しすぎで。
診断で脅されようとも、現実にはどこも具合は悪くなかったから。
大丈夫だろうとタカをくくっただけかもしれません。
病院も、大嫌いでしたし。
そもそも、ほぼ病院に行ったこともありませんでしたし。

即、治療か入院がそもそも必要だったかもしれない状態で。
普段通りに何も変わらない毎日を半年ほど、生きました。
私と母に迷惑をかけないで、逝きました。
亡くなる前日には、アルバイトにも行きました。

私たちは、そのことが哀しくて。
父が私たちに、もっと迷惑をかけて欲しかったと哀しくて。
もっとわがままを言って欲しかったと哀しくて、やりきれないのです。

そんなに。一人で格好つけて旅立たなくても良かったのに。
あとは。何しろ、365日、一緒に暮らした人ですから。
不在の空白が大きすぎて。それが辛いのです。

私が家を出ていれば。こんなに哀しくはなかったと思います。
ある意味、仲が良すぎて。
父と母と私、一緒に過ごした時間が長すぎたんですね。

正直なところ、簡単に立ち直れるとは思いませんが。
父が天国で心配し続けなくていいように。
母と二人、毎日を平和に楽しく暮らせるように。
ゆっくりと回復していきたいと思っています。

ブログは私の趣味ですから。
きっと。落ち着いたら、またやりたくなると思います。
少し先にはなるでしょうが。

辞めるとしたら。
他にもっとやりたいことが見つかった時かな。

igaiga様も。お父様の介護、大変ですね。
お母様が一番、大変なのかな。
お父様に会いに行くのは無理しなくても。
お母様がしんどくなりすぎないように気晴らしに付き合ってあげたり。
楽しく過ごせる時間が持てるようにしてあげてくださいね。
私なんかが言わなくても、とっくにそうされてると思いますが。

皆様、私を励まそうとしてくださって。
もっとひどいことが世の中にはあるよ、と。
色々と実例を語ってくださるのですが。

まぁ。それも思いやりとしてありがたく受け止めますが。
そういうことではなくて。
単純に。私はやっぱり。哀しいことは哀しくて。
哀しくないふりもできないし、無理やり元気も出せないし。

だけど。
哀しみながらも、ちゃんと前へ進む行動はしていくので大丈夫。

心配をかけないようにもっと明るくできたらいいかなとも思うけど。
そういうのも性分なので。無理して明るくするのも違うのかなって。

父が私にとって大切すぎたので。
失くしてしまって哀しいんですね。
それだけ哀しんであげられることが供養だよ、と言ってくれた人もいます。

でもね。でもね。
それでも。まだまだ。私も母も行きていかねばなりませんから。
現実的に対処しなきゃならない問題も山積みなんです。

予測もつかなかった死、となるとそこのところが大変で。
なので。私はまだ早いかもだけれど。
エンディングノートをつけ始めるつもりです。
2019.02.06 09:51 | URL | 彩月氷香 #- [edit]


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  • お礼とお詫びと思い出と未来。
  • 2019年02月01日 (金)

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