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獣の奏者 4(完結編)  上橋菜穂子 

4062156334
講談社
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獣の奏者は、<闘蛇編><王獣偏>で完結した物語でした。
<王獣偏>のあとがきに書いたように、あの物語は、獣(遠い他者)に向かって、ひたすらに思いを伝えようとする人の姿を描いたもので、その結末としては、あれがすべてだと感じていたからです。その思いは、いまも変わっていません。

上橋菜穂子さんの、あとがきの冒頭。
私は今回、何よりも、この箇所に心を打たれた。

だが、彼女は書いた。その後に続く、<探求編><完結編>の二作を。
「きれいな球体のように閉じた物語だというイメージがあり、そのあとになにかをくっつけた感じにはしたくなかった」という思いを曲げて。

正直に言おう。彼女のその思いは正しい。

続編として書かれた二冊が蛇足だったというつもりは毛頭ない。
多くのファンと同様、私もこの物語に魅せられ、
続きをせがんだ側の人間なのだ・・・。

そして、母としてのエリンや、息子である生意気なチビすけジェシの、
成長と苦難の道を共に、無我夢中で歩んだのだ。

でも。<王獣編>のあとがきの時には理解できなかった著者の、
「完結した物語」という意味が、本作を読んで身に沁みた。

それが、何故か、を言葉にすることは難しく、
誤った印象を与えてしまうかもしれない。でも、書こう。

私の勝手な感慨に、お気を悪くされるファンもあるかもしれないことを、
あらかじめ、お断りさせていただきます。

私は、前作も、前々作も、涙をとめることも出来ずに、
流れ落ちるままに、読んだ・・・それは自分でも不思議なほどに。
そして「それは、哀しみではない」と、書いた記憶がある。

そう。哀しみは、この完結編で訪れる。
ほんとうなら、ここでこそ、大泣きしてもいいという場面。
私は、何故か、一滴の涙さえ浮かべることがなかった。

哀しくないといえば嘘になる。でも涙は出ない。
やはり、私は今までも、哀しくて泣いたわけではなかったのだ。

エリンが幸せについて、本作中で、こんなことを言っていた。
「幸せという言葉は大き過ぎる網のようなもの」と。

その言葉で包めるものは多く、かぶせてえしまえば安心できる。
でもそれによって隠れてしまうものも多い。幸せという言葉を使うことで、
自分のやっていることを納得してしまうのが怖い、と。

同じようなことを私は「哀しみ」という言葉に対して感じる。
「哀しみ」で括ってしまうと見失うものはあまりにも多い。

この物語は、この作品においては、終末が見えていて。
物語が完璧すぎるがゆえに、結末は他にあり得なくて。
そのことが心の中ではっきりと見えてしまい、私は、淋しかった。
・・・読み続けることが苦しかった。

予定された終末へ、向かっていく物語。
その軌跡に、どれほど美しく強い想いがこめられていても。
決定されてしまった未来へ向かう道中には心が冷える。

読んだことを後悔するには、この物語が与えてくれた感動は
大き過ぎるけれど、それでも。ああ。
何かを犠牲にして生まれた物語なのだ、これは、と。
そう、強く感じずにはいられなかった。

著者が誰よりも、そのことをよく、わかっていた。
わかっていて、書いた。そのことに、私は言葉を失なう。

<王獣編>の結末には、見えぬ未来が広がっていて。
その彼方を見つめる想いには、遥かなるものが息づいていて。
心をしめつけられるような、美しい景色が、
読む者の脳裏に永遠に棲み続けるような、そういう最後だった。
あれで、良かったのだ。あれで、完結していた。

今、はっきりとそう思う。

明確な結末をつけるということは、虚しいものだ。
どうしても、それは平凡なものとなる。
かといって、非凡なるものを目指せばいいわけではない。

あるべき結末は、ある種の物語にとっては、
あまりにもわかりやすく、ありきたりのものとなる。
そのことを否定することもできない道筋の正しさが、
むしろ物語の完璧さを損なってしまう。

そもそも、物語に完璧を求めることが幻想だ、とは言えるのであり。
物語と、その登場人物が「生き」てしまった時に、
その流れを止めることは、もうできないのも真実なのだろう。

上橋菜穂子さんは。その繊細で鋭い感性で。
作品として完結すべき地点を知っていたにも関わらず、
続きを「物語る」ことを選んだのだな・・・。

「続きを読みたい・・・完璧さが損なわれてもいいから」
と、そうまで望まれて、やっと書いたものなのだものね。

その苦しかったであろう選択に、そしてその決断を促した、
偶然の数多くの出会いに、敬意を表することにしよう。

著者が、<闘蛇編><王獣偏>は「人と獣の物語」、
<探求編><完結編>は「人々と獣たちの歴史の物語」と言った、
その意味を噛みしめながら・・・。

物語として、失ったものと、得たもの。
どちらも、かけがえのないものだったと。

きっと、著者以上にそのことを深く知る人は、いないのだから。

(2010.11.2)
ごめんなさい。本の感想になっていませんね。
私の心に強く響いた思いを記したらこんな風になってしまいました。
「生きる」ということの意味に、真正面から対峙し、真っ直ぐ立つ、
美しく力強いファンタジーの名作であることは付記しておきたいと思います。
個人的に気になった点がもうひとつ。以下、あとがきの引用。
「ご飯を食べながら、カントの教育論について話してくれた西巻丈児さん。
考えてみると、あの話がずっと、この『獣の奏者』の物語の底に流れ続けてきたような気がします。感謝です。」
私がカントを読む決意をしていることは、常連の皆様はご記憶かと。
・・・ああ、まさか、ここでもカントに出会うとは!


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2013.08.18 10:32 | | # [edit]
ありがとうございます。
思うがままに書き綴ってしまいましたので・・・
今読み返して少し恥ずかしくも感じましたが。
そのように思って頂いて嬉しく思います。
2013.08.19 16:08 | URL | 彩月氷香 #- [edit]


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  • 獣の奏者 4(完結編)  上橋菜穂子 
  • 2010年11月03日 (水)

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