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ゆっくりと・・・

ずっと、「休まない」ことを自分との約束として守り続けてきた、
このブログを休んでから、いつの間にか約1週間が過ぎました。
その間も訪れてくださった方が、たくさんいらっしゃること、
大変うれしく、まずは篤くお礼を申し上げます。

毎日、楽しんで読んでくださった方があるのだということを
改めて喜びと励みとして噛み締めています。

ところで、今、私は、たぶん、震災とは遠く、最も安全とも言える、
影響も受けることのない地域で、何不自由なく、何の変化もなく、
平穏無事に暮らしています・・・。

そんな私が、ただ落ち込んで、ブログまで休んで、
いったい、なにを自己満足な自粛ムードなのか?・・・と
疑問に思われてしまっても仕方ないところだと思うのですが。

ただ、ほんとうに、言葉が出てこなくて。本も読めなくて。
胸と心に抱えた思いを反芻しながら、日々を過ごしています。
かと言って、私が被災者の方々や支援活動する方々に送れる言葉もなくて。

励ます言葉が「安易」だなんて言うつもりはありません。
その言葉を発することが出来る人の心も、発することができない人の心も、
被災者の方々の無事と被災地の復興を祈る気持ちは同じだと思います。

ただ、それが励ます力となるのかもしれないと思いつつも、
「元気を出して」「頑張って」「前を向いて」「負けないで」等のエールの嵐に、
私は、少し、ほんの少しだけ、違和感を感じてしまうのです・・・。

立ち上がらねばならない、光に向かっていかねばならない、
明日を信じなければ生きて行けない、それはわかっていても・・・。
今しばらく、哀しみを噛み締める時間を必要としている人々もいる。

ずっと落ち込んでいればいいなんて勿論、思っていませんが。
哀しみを乗り越えて立ち上がって欲しいし、その手助けをするのが、
被災しなかった者のせめてもの、勤めだとも思いますが。

それを行為の伴わぬ言葉で、してはいけない、と。
いえ、その言葉に責任を持てるほどの発信力のある人には、
それもひとつの重要な役割かもしれないとも思うのですが・・・。

激励されればされるほど、「哀しみ」「絶望」の行き場を奪われる、
そういうこともあるのではないかと・・・。

いや、皆がそうではない。それに、絶望する余裕すらないという、
そういう面も真実でありもするでしょう・・・。

同じ大きな災難の中にあっても、人間はそれでも一人一人、違う。
前向きな心、すぐにも立ち上がり、この苦難を乗り越えようと闘う心、
私はそれを、貴く、かけがえのないものだと思います。

そして、それを積極的に支援しようとする人々の思いや行動も。

けれど、哀しみのあまり死んでしまいたいほどの絶望も、
存在を許されていいと思うのです・・・。それを弱さとは言わない、と。

いつかは立ち上がるにしても、みな同じスピードではない。
10倍の時間がかかったからといって、その人の心が劣るわけではない。

一方、すぐに立ち上がったからといって、その人が冷たいわけでもない。
そして、立ち直ったように見える人ほど、本当は傷ついているかもしれない。

同じと言える部分もありながら、やはり人間は、絶対に同じではない。
同じ経験を共有しても、それでも、違うんだと私は思うのです。
だから、どうあるべきかとか、どうあることが正しいとは言えない。

被災した人々が甚大な数にのぼり、その傷は大きいがゆえに。
今後、発生してくるひずみも、大きなものになるでしょう・・・。

私は、自分が弱い人間だと自覚しています。
それを卑下するつもりもないし、かと言って「繊細な心」の持ち主だと、
誇ったり、開き直ったりするつもりもありません。

そして、「強くならねば」と意思で強制しようとも思いません。
いや、そう努力したこともあるのですが・・・。

もっと言えば、強い、弱いというのも、ある一面だけを見た言葉で。
倒れて、立ち上がるまでに時間がたくさんかかる人間は、
その哀しみや絶望を長時間抱え続けられる強さを持っている、と。
そういう見方もできるのではないかとも思っています・・・。

それは、いいことでも悪いことでもなく、「個性」なんだと。
だから・・・一刻も早く、と今から急がれる「復興」に、
すでに、取り残される不安を感じている人もいるのではないかと。

ええ、物資の面では、本当に、何もかも速度が大事だと思うんです。
でも、心は。心を「激励」という形で、急かして欲しくない、と。

哀しむ時間も、絶対に。必要なのだと思うのです。
それは部外者にも同様で。哀しんでも何の役にも立たないからと、
早く元気ばかり出そうとすることが正しいとは、思えないのです。

今、形にならなくても。心でじっくりと噛み締める時間も。
単純に、不要か必要かという問題でなく、なくてはならないものだと・・・。

うまく、言葉になりません。こうして語る、この自分の「言葉」すら、
薄っぺらく、実のないものに感じられてなりません。
不自由のない環境に暮らす私から、実感のある「言葉」が生まれるなんて、
幻想ではないかとも思えます・・・。

実際に、私が何も行動できていないのに。何を言える立場にあるでしょう。
せめてもと、決して多いとは言えない募金をするくらいで・・・。

できれば、励ますよりも黙って寄り添っていてあげたいのです。
でも遠くにいると、それは叶わぬことですから・・・
つい、人は遠くからでも届く「言葉」を発したくなるのでしょう。

そして、実際、それが届いて力となることもあると思います。
それを否定したりは、しません。偽善だなんて言いません。

けれど、それだけではない。そう思えてならなくて。
いえ、言葉の力は人一倍、信じているつもりです。
でも、だからこそ、どうしても言えないこともある・・・。

言語を絶する悲惨な状況に、誰の心にも、きっと。
湧き上がる思いは、「今、私にできることは何だろう?」という問い。
それに即答できないもどかしさが、心を圧迫する・・・。

そして、同じ思いから、生まれる行為も、ひとつではないと思います。
今、祈ることしかできぬ無力さとともにある私は、せめて、
自分の気持ちに嘘をつかず、ゆっくり、じっくり、自分にできることを
探したいと思います・・・。

考えてどうにかなることではなくても。
そういって自分の日常にあっさりと戻っていくのでなく。
この惨事の中で生まれてくるものに、自分なりに真摯に向き合いたい。

力になりたいなんて、そんな大きなことは考えなくても。
思いや心などという、形のないものに何の存在意義も認められないほどの、
切迫した事態であるとしても・・・それだからこそ。

やはり、「心」と「思い」を見つめて。
「今すぐ」でなくても。ここから育めるものもあると信じて・・・。

今は敢えて頑張らずにいたい、なんて言ったら怒られるでしょうか。
頑張ることの必要性は、どんな場面でもあるというのはわかっています。
いえ、逆境の時こそ、それを乗り越える「頑張り」は一層必要でしょう。

それでも、私の正直な思いは、「頑張ることが全てじゃない」なんです。
頑張れない状況と心を率直に受け止める中に見えてくるものもあると・・・。

すぐに頑張る気持を起こせない人を置き去りにしないで欲しいと・・・。
早いことだけが正しいわけでなく、ゆっくりでもいいのだ、と・・・。

言うまでもないことですが、厳しい状況下、強い覚悟を持って、
頑張り続けている方々へは、心よりの応援の気持ちを抱いています。
彼らの存在は大袈裟ではなく、私たちの希望だという思いも強くあります。

原発関係の方々、自衛隊の方々、医療関係の方々、ボランティアの方々、
自ら被災しながらも職務に当たっている方々、海外から支援にいらした方々、
その他、まだまだ、書き漏らしているとは思います・・・。

勿論、被災して多くのものを失いつつ、立ち上がろうとしている人々も。

******************************

こうして、心ならずも、自分勝手な思いを語ってしまいましたが。
しばらく、まだ沈黙して。「祈り」とともに過ごしたいと思います。

ずっと、私のブログに訪問してくださっている方々は皆、
本が好きな人だと思います。そして、言葉の力もよく知っている人だと。

その方々との交流を絶やしたくはないですし、今、読めないからと言って、
ずっと読まないつもりもありません・・・。
ほんとうは、無理すれば、読めるんです・・・というよりも。
読み出してしまえば、流れに乗って、「いつも」に戻って行けるんです。

でも、その「強制」「努力」は必要なものなのか?と問うた時に、
書物の世界の「喜怒哀楽」や「学び」に、心から没入できない状態で、
本に本当の意味で「出会う」こともできないと感じて。

こんな時期だからこそ本を読む、というのも間違いではないと思います。
また、こんな時こそ読める本も、もしかしたらあるかもしれません。
「読書」に対しての姿勢も千差万別であって良いと感じています。

読むことも、書くことも、私にとって、とても大切なことですから。
かならず、戻ってきますので、気長にお待ち頂けたら幸いです。

日頃、親しくさせて頂いてる方々のところへの訪問も滞っていますが、
また、遠からず(と思います)訪れて過去記事も覗かせてもらいますね。

被災した方々、そして救助や支援に尽力する人々、また離れてはいても、
心を痛めている人々・・・すべての人の心に光が射す日が訪れますように。

(追記)
長過ぎる記事を、最後まで読んで下さってありがとうございます。
文章も情けないほど、グダグダで・・・お恥ずかしい限りです。

ブログを休む理由を書こうとして、延々と語ってしまいました。
言葉足らず、もしくは言葉の過ぎたところもあるかもしれません。
ご不快を感じられた方がいらしたら、申し訳ありません。

哀しみに浸ることを推奨するつもりもなく、こういう時にこそ、
「楽しさ」や「笑い」もあってもいいという思いもあります。
フランクルの名著、「夜と霧」のことが心をふとよぎりました。

だから、帰ってくるときの私は、読者の方々が拍子抜けするほど、
もしかしたら「あっけらかん」としているかもしれません。
楽しい本は、楽しい気持ちで、ご紹介したいと思っています。
その心が再生するまで、もう少しだけ時間をくださいね・・・



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こんばんは。
なかなか傷が癒えないかと思いますが、
少しずつでも元気出してくださいね。
2011.03.17 23:23 | URL | かっぱのしんちゃん #JyN/eAqk [edit]
私も同じように違和感を感じています。
送られる救援物資の箱に、いくつもの頑張れのメッセージ。
見ることが苦しくなってしまいました。

兵庫県の方がテレビで応援メッセージを求められ、「簡単に頑張っては言えない」と涙ぐんでおられました。
これは本当に悲しい言葉でした。
これ以上何をと、言葉にならない思いを感じます。

自分の体が、心が、どうにも動かないとき、頑張っている人が眩しく、時に直視できない気持ちになります。
必死で立ち上がろうとしている人を、直視できない被災者の方もおられるだろうなと感じています。
被災者の方同士の励ましはあっても、安全圏からのネジを巻くかのような応援は、しない心でいたいと思っています。

東北の方の我慢強さと頑張りが、見ていて辛くてたまらないのです。

私も本が読めません。
自分があがいてもどうなるわけではないのですが。
すっかり参ってしまった氷香さん、無理なさらないでください。
静かにお互い祈っていたいですね。
2011.03.18 18:59 | URL | ごろちゃん #JyN/eAqk [edit]
「少しずつ」とおっしゃってくださる優しさに、
ジーンとしました・・・ありがとうございます。
2011.03.19 09:38 | URL | 彩月氷香 #b98C2Btc [edit]
「頑張ろう」と当事者の中から生まれる言葉ならいいんですけれど。
「頑張って」って遠くからの言葉は時にとても残酷だと思うんです。

私だったら、その言葉に「応えなければ」と思うことで、
なおさら、どんどん、しんどくなって行く気がして・・・

「頑張って」という言葉が、突き刺さるように感じるんです。
ヒリヒリ痛くて、もう、聞きたくないんです。
嫌いな言葉じゃないけど、こんな苦しい時に、のべつまくなしに
こんな浴びるように、四方八方から耳にしたくは無いんです。

でも、そんな自分の感じ方がもしかして、間違ってる?と
不安に思えるほど、一致団結的に「風潮」が出来上がっていて。
私の身の上には何の変わりもないのに、心細くて哀しくて・・・

昔から。「大勢の人が一つの方向へ走る」現象がダメなんです。
そういう気運に敏感に反応して、参ってしまうんです・・・。
これは被災者の方を思う心とは別のところで発生している、
私の精神の弱さなのかもしれません・・・。

「安全圏からのネジを巻くかのような応援はしない心」って。
よく伝わる表現ですね・・・ごろちゃん様の優しい心が見えます。
私の言いたかったことを美しくまとめてくださったような、
すてきなコメント・・・ありがとうございます。
同じ思いの人もいらっしゃると知って心が安らぎました。

書いてはいけないように感じていた気持ちをこうして書き、
私には過ぎるほどの思いやりで受け止めて頂いて、
ほんとうに、深く感謝の気持ちでいっぱいです。

静かに祈りながら、私も元気を出そうと思います。
2011.03.19 10:21 | URL | 彩月氷香 #b98C2Btc [edit]


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  • ゆっくりと・・・
  • 2011年03月17日 (木)

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