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つぶやき集 番外編 27

単純なので。「今の自分は好き」という時はある。一日の中で、「私」はその時々、入れ替わっている。もちろん底辺に持続している「私」はあるのだけれど。表層・・・否、中層くらいまでの私は、環境や気分で大きく変動している。

違うか。表側がそんなに変化してたら多重人格になってしまう。たぶん、表はそこそこは同じ「私」を保っているのだ。となると、その表を保つためにジタバタと足掻いている「私」の姿が私自身には耐え難いということだ。自分の心の動きが醜くて正視し難いと感じているということだ。

私は日頃、腹が立って仕方がない様々なことを。本当に馬鹿らしい、相手にもしたくないような低次元のことだと思っている。なのに、それらに気持ちを振り回されていることが悔しくて仕方ないのだ。そんなこと、そよ風ほども何も感じずに微笑んで通り過ぎてしまえる自分だありたいと切に願っている。

でも。そうできないながらも、そういう顔をしていれば。それはそれで恨みを買うのだ。そうして、何かちっとも生産的でもなければ創造的でもないことに、神経を磨り減らしている自分自身にうんざりしてしまう。誰にどう思われようといっこうに構わないという気持ちはあるのだけれど・・・

「自分を嫌いになる」時間が長引いていることが苦しいのだと思う。

つぶやき集 番外編 26

誰にでも「演技性」はあると思う。私は無意識の相手のモードに合わせてしまう癖が昔からある。話し方とか雰囲気が、目の前の人に似てくる。なのに環境が作り出す雰囲気には溶け込めない。そして嫌いな人のトーンに近づいてしまっている時の自分が嫌いだ。

もちろん、合わせられないトーンというのはあるのであって。けれども呑まれているというか引き摺られるというか、それで反発するというか。言葉や態度が攻撃的な人が何より苦手なのは、その人たちに攻撃されるからというより、攻撃されることで発動する自分の中の攻撃性が苦しいからだ。

普通に生活していれば寝たままの自分の攻撃性を起こすものは、何であれ、嫌い。そして同じ目にあっても、穏やかに流せる人もいるだろうにと哀しくなる。それにしても。攻撃的な人物が今、周囲に多過ぎる。

威張る人間とそれにへつらう人間が嫌い。でも、そのどちらかに大半が属している。どちらにも入らないで立っていることが困難な職場だ。もちろん、威張らず、へつらわずの人もいないわけはない。そういう人はひっそりと私にエールは送ってくれている。彼らは一人で立てる強さがあるのだ。

私も一人は平気なのだけれど。それでは仕事が出来ないので。うん。仕事がもうちょっと出来たら、威張られることもなくなる・・・というか減るだろう。最初よりは減っているものね。問題は仕事に関して教えを乞わざるを得ない人物が悉く威張り屋だということだ。

でも。結局。仕事のことで愚痴るのは。全ては言い訳になってしまう。腹立ち、怒りの後に行き着くところがいつも反省で。そのことにもいっそう疲れるのだろう。反省しつつも、そこに悔しさや憎しみが混じっているので。そういう感情に捕らわれている自分自身が厭で仕方ないのだ。

わたしは結局。「自分を嫌う」ことが一番、耐えられない。

つぶやき集 番外編 25

「選択の科学」という本を読み始めたのだが、たいへん面白い。ここでも私が幼少時より深く西洋式の考え方に馴染んでいるということが判明した。私の集団嫌いは生来のものもあるが、読んで育った本の影響もきっとあるのだ。日本人らしさに馴染めない要因が思わぬ方向から見えてきた。

クリスチャンだったおばあ様の影響は思いの外、深い。田舎の旧家に全く似合わぬ人だった。「個」の強さを発している人だった。彼女が信仰していた「神様」の姿を知っていたらなぁと思う。彼女が通った教会に一度でも訪れてみたかったと思う。

私自身はキリスト教徒の姿を見ることは少なからずあったけれど。みな、同じ神様を信仰しているはずなのに、そうは見えなかったりした。私が神様を信じていたころも、それはどこか「私だけの神様」めいていた。祖母には祖母の、神様の姿があったような気がしてならない。

私は結局。私をそれほど嫌いではない。でも。それは少しでも自分の中に好きなところがあるからで。なのに。近頃は自分の好きな部分が、どんどん磨り減っているように感じる。

「私」を私が作ったとは思わない。だから、「私」を大事にしないことは、私を作った人々や環境に対して申し訳ないような気がする。そして。私はただただ、綺麗なものが好きだ。「私」をゴシゴシと洗って磨いて、日光で消毒して。仕上げにそよ風でくすぐって・・・そんな休日が欲しい。

つぶやき集 番外編 24

読書に。テーマを決めて遊んだ頃があった。そう昔のことではない。クリスマス時期にクリスマス関連の本ばかり読んだり(今もクリスマス本を集めた記事は検索で訪れる人がある)、ロンドンオリンピックの頃はイギリス関連のエッセイ(割と硬派なもの)を読んだり。

「すぐ読めて満足感あり」というテーマもあった。これはブログの読者さんに募集して。教えてもらった本を読んだのだけれど。23冊も推薦してもらって。とても楽しかった。今だったら。どんなテーマがあるかな。出版社縛りというのも面白い。でも新潮社とか講談社とかいうとエライことになっちゃう。

「新潮クレストブックス」くらいまで狭めれば大丈夫かな(このシリーズ大好き)。でもそれだと出版社じゃなくて「シリーズ」縛りになる。個人的には「国書刊行会」か「みすず書房」ならば、限定してみても面白そうと感じる。カラーのはっきりしている出版社だと思うので。「音楽之友社」もいいな。

ジャンルを限定してみるのもありだ。「ミステリー月間」とか、「SF月間」とか、「エッセイ月間」とか、「古典名作月間」とか、「哲学月間」とか。それを言うなら、国籍でもいい。「フランス月間」「イタリア月間」など。「週間」でも「年間」でもなく「月間」くらいが妥当だと思う。

つぶやき集 番外編 23

嫌いな人は、とことん嫌いだし。好きな人はすごく好きで。でも、好きの中に羨ましさがある場合は、好きなのに苦かったりする。好きでも嫌いでもない人がいちばん多いはずなのに、なぜかどこかで猛烈に嫌われていたりもする。一瞬で好き嫌いを決めてしまう犬か猫みたいなところが私にはある。

ベタベタとつるむ人々が嫌いだ。そういう人たちは大抵裏では互いの悪口を言っている。言わぬ賢い人もいるが、その場合は互いの利用価値をきっちり測ったうえで、仲良しごっこをしている。別にそれで本人たちが満足しているなら構わないと思いつつ、余波としてこちらに降りかかる小さからぬ害に苛立つ。

集団の中で働くと。私は大抵、ボスの群れと対立する。表立ってではないのだけれど。そもそも何故、群れなくてはならないのか、わからない。群れに参加しない自由はあるはずだと思うのだ。けれど参加しないなりにも、合間を上手く泳げればいいのだが、逆行して押し流されたりするのは愚かなことだ。

不器用で。神経質だけれど。無駄に根性だけはある。しぶといということ。滅多に使いはしないけれど、毒はたっぷり隠し持っている。結局は、そんな自分自身がしんどいということだ。捨て鉢な闘争心を中途半端に発揮してしまう自分が、醜くて見苦しくて、嫌いなのだ。

  

プロフィール

Author:彩月氷香

とにかく本が好き
読書感想がメインですが
時々、写真や雑記も。

*初めましてのご挨拶
*ブログタイトルの由来

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  • つぶやき集
2017年02月08日 (水)
つぶやき集 番外編 27
2017年02月02日 (木)
つぶやき集 番外編 26
2017年01月27日 (金)
つぶやき集 番外編 25
2017年01月21日 (土)
つぶやき集 番外編 24
2017年01月15日 (日)
つぶやき集 番外編 23
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