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つぶやき集 2018年4月 1

昨日のピリスのリサイタル。彼女の紡ぐ音が、音楽が素晴らしかったのはもちろん、ホールの景色が美しかった。演奏者と観客の心が通い合っていると感じる幸せな空間、経験でした。今頃になって、なぜか涙が湧いてきます。素敵な時間をありがとうございました。ピリスさんも、一緒に聴いていた方々も。

誰にも言わないだろうと思っていたこと、そして実際にずっと隠していたことを、呆気なく口にしてしまう瞬間が人生には稀にある。言ったのが良かったか、言わずにいた方が良かったか、それはわからない。ただ妙に肩の荷がおりたような心の軽さもあって。そして、その軽さが淋しく心細い。

軽くなった分を。急いで埋めようとしていることに気付く。人は案外、おもりを必要としているものなのだ。自由より不自由に安住するものなのだ。この心細さや淋しさを、だからほんとうは大切にしなければならない。

空白が語るもの。「無い」ということで存在を示すもの。不在であるからこそ、その力が伝わってくるもの。

ツイッター、3年前に辞めたはずだったけれど。メインアカウントを凍結した後もこの予備アカウントは消せず。気がつけば少しずつ呟く頻度が増している。せめて、内容は読書と芸術鑑賞に限ろうと決めてはいるのだけれど。ふと、心のざわめきを吐き出してしまいたくなる。時々ならば良し、としようか。

さてと。返却期限の迫った「アメリカ短編小説傑作選 2001」を読むとしよう。この本を借りたのは、単独で翻訳されている本のないある作家の作品を読むためだったはずなのだけれど。その作家の名が思い出せない。

つぶやき集 2018年3月 3

古本とお話しできたら面白いだろうな、とふと思う。前の持ち主とか、前の前の持ち主とかについての思い出話を聞かせてもらうの。小さなのから大きいのまで、様々な人生ドラマがあったりするんじゃなかろうか。古本にも、持ち主の好き嫌いがあって、三代前の持ち主との暮らしを今も懐かしんでたりとか。

一度も読んでくれないままだったけど、その持ち主の部屋の香りが好きだった、とか。隣に並んでた本と仲良くなって楽しく暮らしてた、とか。殺人事件があった家に住んでいたってことも、もしかしたらあるかもしれない。恋人から贈られた本で大切にされてたけど、別れた後に売り払われた、とか。

私が売った本が次の持ち主に「前の持ち主はどんな人だった?」って訊かれたらなんて答えるんだろうな。考えると面白いのと怖いの半々だな。

元の持ち主が同じで。同じ古本屋に売られて近くの棚に並んでいた仲良しの本が、それぞれ別の人に買われる。もう二度と会えることはないだろうと別れを告げて。何十年か後に思いがけず、どこかの本棚で出会う、ってこともあるかもしれない。うん。北と南に別れたのに古本市のワゴンで出会ったりとか。

本の世界にも美女とかイケメンとかいるだろうな。性格が温厚な本も攻撃的な本も、社交的な本も内気な本も。優しい本も意地悪な本も。同じ作品でも初版と改訂版では性格が違ったり。あと、文庫と単行本でも。お洒落さんでカバーの汚れを気に病む本もいれば、汚れを勲章と誇る本もいて。

4月に観る映画はないかと物色中、「モーリス 4K」上映を知る(まだ先だけど)。アイヴォリー監督の作品にハマってた頃に観たなぁ。自信はないけれど、確か映画館で。ヒュー・グラントは皆が言うほど美形とは思わなかったのだけれど。パッとひらめくような笑顔には惹き付けられた。

映画を観たときの感想も日記のどこかに書いてあるはずだけど。掘り返す根気も勇気も無いなぁ。でも、とにかく。アイヴォリー監督の世界観は変らず好きだ。要は見事に英国的な美しさが隅々まで行き渡っているということなのだけれど。E・M・フォースターも大好きでよく読んだっけ。

つぶやき集 2018年3月 2 

昔、私はなかなか優れた読み手であったと自負するのだけれど。そして今はまったく堕落してしまったと感じるのだけれど。それは気が散らすものが多いからで、気を紛らす種に事欠かない、ある意味では豊かさゆえなのだろう。本を読むことがもっと切実だった時代があったのだと懐かしい。

買ったらすぐ読む派だった私が、非常用と称し意識的に積ん読を初めて数年。自分の読書一年分の本を貯めるつもりで。200冊くらいの予定だった。たぶん、今それより多くなっていると思う。普段読む本は図書館で借り。その合間に貯金ならぬ貯本。これで病気をして、図書館に行けなくなっても当分大丈夫。

でも。図書館で借りるのが習慣になり過ぎていて。しかも現在は住んでいる市と働いている市の双方から借りていて。買った本を読む暇はない。そろそろ買った本を読むか、買うのをやめるかしないと、置き場所がなくなる。それに買った本を読み切らず人生を終える不安も生まれてきた。

でも。本は読むのも楽しいけれど。買うだけでも楽しいのだ。本をたくさん買うと豊かな気持ちになる。古本屋さんが好きなのは、私のお財布でも重さに手が痺れるくらい本を買えるから。あと、本の表情がさまざまだから。新刊本と違って、出会いや別れや旅をしてきた本が並んでいるから。

4月には。本を買いに行こう。


このつぶやきの2年後の2020年。
新型コロナウイルスのため仕事は休業。
図書館へも当然行けず。
そもそも食料品買い出し以外、外出もせず。

おかげで、せっせと積読本を読む毎日です。
一日一冊は読めるだろうと思うのに意外と捗りません。
それでも非常用の「貯本」は着々と減っています。

そもそも、とある目的のため、年内に読み切る予定でした。
けれどコロナの影響で、その予定が消滅する可能性も出てきて。
…となると、非常用の本は追加しておいた方がいいのだろうか?

ネットで本が買える世の中ではあるのですが。
給与が出るのか不明な休業中に買い物はできれば控えたい。
だいたい、買おうとしても結構売り切れていたりします。
さらに届くのにも普段よりだいぶ時間がかかっている。

貯本がこんなに早く、役立つ日が来るとは想像もしなかったな…

つぶやき集 2018年3月 1 

春。短眠型で5時間も寝ればふつうに生活できる私が、朝起きられなくなる不思議。体調が一年中でいちばん優れず、気持ちも沈みがち。カメラを持って花を探しに行こうと思いつつ。気付けば家から一歩も出ずに本を読む。そんな休日が続く。この季節に読みたい本は何だろう。

月に15冊は本を読む。昔のように一日1冊は無理。それでも毎日何かしら読んでいる。それなのに、「これじゃない」感が付き纏うのは、本の選び方が下手くそになったのか。読みたい本を読めばいいのに、何が読みたいかわからなくなって久しい。読んでみたら「そうそうこれ!」と思えるのを期待している。

もう何年も。もっと読み応えのある本を読もうと決意しているのだけれど。気づけば楽に読める本ばかり手にしている。時々歯ごたえのある本を読むと、やっぱりこういうのを読みたいなぁと実感するのだけれど。若い頃に難しい本を読んでおいて良かった。今からだと読めないかもしれない。いや、読みたい。

2015年も、2016年も。いちおう自分の読んだ本の中からベスト10を選んでみたのだけれど。2017年は選んでいない。まぁ順位をつけること自体が無粋なことではあるのだけれど。特に心に残った本を振り返ってみるというのは楽しい作業でもある。問題は読書内容が我ながら年々貧相になっていること。

今選ぶと違うかも、と思いつつ。2016のベスト10を。1 ネビルシュート「渚にて」2 大坊勝次「大坊珈琲店」3 鶴見俊輔「読んだ本はどこに行ったか」4 メイ・サートン「70歳の日記」5 岸 政彦「断片的なものの社会学」6 コルム・トビーン「ブルックリン」7 ジョセフィン・ティ「フランチャイズ事件」

続き。8 エクナット・イーシュワラン「スローライフでいこう」9 ローレンス・ゴールドストーン  ナンシー・ゴールドストーン「古書店めぐりは夫婦で」10 服部晋「服部晋の「洋服の話」」なるほど。我がことながら、わかるようなわからぬような。10冊選ぶのは苦し紛れだったかもしれない。

でも。振り返ったおかげで思い出した。鶴見俊輔はもっと読んでみようと考えていたのだった。あと、ジョセフィン・ティの「時の娘」も再読したいと。メイ・サートンの読み落としている著作も手に取ろう、と。そもそも一番好きなはずの翻訳文学をあまり読んでないことがショックだったりしたのだ。

2018年の読書を振り返ったとき。あの本良かったなぁ。この本も良かったなぁ。あれもこれも、また読み返したいなぁ。そう思えるような本をいっぱい読みたい。数年に一度、勇気を出してヒトに本の押し売りするのだけれど。そうせずにはいられないような本にも出会いたい。

本のつぶやき

「本のおもしろさは、その出来不出来だけでなく、半分くらいは読むときの姿勢に左右される。読書熱がおとろえていると、なにを読んでもつまらない。どれだけ切実に読むか。いかにして読む側が本の価値を見出すか。そこに読書の醍醐味があるといっても過言ではない。」・・・荻原魚雷『古本暮し』より。

ああ。わかる。切実な思いで本を読んでいた頃。何を読んでも面白かった。頭というのでもなく心というのでもなく、血管の中に何かが流れ込んでくるような、そんな感じがした。興奮とか感動とか、そういう言葉で済ませたくないないような・・・ひんやりと冴えた熱狂というのか。走っていくものがあった。

ただ若かっただけなのだろうか、と。今、時おり振り返って考える。不思議なくらい、切実さを失う反面に増していった呑気さで、老いたことを実感することはなく。歳のせいにするような衰えを見つけるのは皺の数くらいなのだけれど。

感じることも。考えることも。どんどん深く追ってはいかない(いけない?)気力の不足なのか、ただもう考える途中で飽きてしまうのか。感じるというのも。考えるのとは違う風に追求していけるものなのだけれど。そういう風に入り込んでいくような感じ方をあまりしなくなっている。

言葉の使い方も下手になったのかもしれないな。でも。そのことが救いになってもいるかもしれない。そんなつもりはないけれど。自分の思いを振り返って「負け惜しみ?」と問うことも少し、増えた。「頑張れない」ことを「頑張らない」のだと言い訳しているという疑惑も否定できない。

長田 弘「世界はうつくしいと」。「うつくしい」が「美しい」と書かれなかったところがうつくしい。収められた二十七篇の詩は、漢字で書ける言葉を敢えて平仮名で書いたようなやさしさに満ちている。もちろん実際には漢字を使っているのだけれど。詰めるのではなく、開いた・・・という印象がある。

私はもともと漢字好きで。その形にぎゅっと意味が詰まっている感じがおそらく好ましく。でも目で見て意味が伝わるという長所は。視覚的なうるささにも繋がっていて。ひらがなは最初から最後まで辿ってはじめて語の意味が受け止められるというところに、「小さな時のながれ」が生まれるのだな、と。

漢字なら即座に目で理解してしまうことばを。もう少しゆっくり辿ることで、ゆるやかに心に迎え入れることができる、そんな感じがする。時間としては、ほんのわずかな差ではあるのだけれど。意味は変わらなくても、リズムが変わるのだ。


「つぶやき集」=ツイッターでつぶやいたことのまとめ。
凍結させたアカウントの時代には毎日ツイートしていて。
その中から抜粋してまとめていました。

その後の検索用の新アカウントはフォロワーもほぼなく。
ポツリポツリと。気がつくと、つぶやいていて。
それでも、もう拾い集めるのもやめるつもりでしたが。

自分の読書と、自分のその時の状況は無縁ではなく。
読書の記録の延長のつもりで、再開することにしました。

今回は、本についてつぶやいていたものを。
時期はすみません、わかりません。

『古本暮らし』も『世界はうつくしいと』も。
感想は書いているはずですから、その頃ですね。

調べました。

『古本暮らし』荻原魚雷(2016年4月)
『世界はうつくしいと』長田 弘(2015年5月)

思ったよりも、昔でした。
タイトルに過去記事(感想)のリンク貼っています。
興味のある方はどうぞ。
  

プロフィール

Author:彩月氷香

とにかく本が好き
読書感想がメインですが
時々、写真や雑記も。

*初めましてのご挨拶
*ブログタイトルの由来

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